∽ペイパームーン
「愚か者め。近況など先に申した通りぞ。尤も貴様が真っ当に伝えられるとは思うておらぬわ。見たままの我の様子を伝えるが良い。」
「・・・本っ当に相変わらず腹の立つ奴だな・・?」
「我とて胸が悪くなるわ。」
じっとお互いに見つめあう。剣呑に。
が、すぐに女が顔を歪めて笑った。
「あーもーどうしてお前だとこうなるんだか。いいぜ、Jiegui、な?」
譲られて、毛利は少し呆気に取られた。
「ジエギィ、って欧米人は呼ぶけどよ、ホントはチェークイっつー発音になんの。中国語。どこの国でも面白がって皆そう呼びやがってよ。仕舞いにゃ無線や書面にまでJieguiが行くから楽しみにしてろとか、ナニソレって感じで。あー、日本人は普通に姐貴って呼ぶけどな?」
こんな字、とテーブルに置かれた白いボール紙に書き付ける。
「何か作っていたのではないのか?」
「ああ?構うな構うな。ただの遊び。白ーいお月様。」
「しかし、姐貴・・か。」
くっと、毛利は喉を鳴らした。
昔と何も変わらないらしい。
兄貴、と呼ばれていた不愉快な男と、今は眼前にある不愉快な女は誰から見ても同じ人間だろう。
「・・・だろ?ハマリすぎだろ?」
ぶすっとして女はドリンクを手にとる。
冷えたグラスは汗をかいていて、氷が小さくカランと鳴った。
と、女が瞬きをしてグラスを見つめた。
すぐに通り過ぎる店員を捕まえてアイスコーヒーとマフィンを頼んでいる。
それきり口元には運ばずグラスを置いた。
「・・・飲んでも構わぬぞ。」
「だって不公平じゃん。もーりのが来るまで待ってる。」
「・・・貴様のそういうところが不愉快なのだがな。」
「いいじゃん別に。こっちがしたくてしてることなんだから目くじら立てんなよ。」
「然様。貴様がしたくてやっていることよな。ならば我も好きなようにしようぞ。」
冷笑した毛利は、置かれたグラスを手に取ると一息に飲み干した。
カラカラと氷が涼しい音を立てた。
「ちょ、てっめえ何をしやがる?!」
「我はコーヒーよりオレンジジュースの方が飲みたかった。」
女の手元のドリンクは、オレンジジュースだったのだ。
「ガキかよっ?!」
「貴様ほどでは無いな。」
「・・・あーそうだよな、毛利サマは味覚がお子様だもんな、毛利サマ七不思議だもんな、そりゃコーヒーなんて大人の飲み物いらねえよなっ!!」
「ふん。食の嗜好に大人も子供もあるまいよ。だがマフィンは貰うぞ。貴様は苦いコーヒーでも飲んでおるが良い。」
「~どっこまでも俺様思考だな、てめえ!」
「貴様ほどではないが。」
と、言い争う場を取り繕うように、店員が笑いながらアイスコーヒーとマフィンを置いていく。
日本語でも遣り取りが聞こえていたのだろう、マフィンはきちんと毛利の手元に皿が置かれた。
女は仕方なし、とオレンジジュースを2つついでに頼んでいた。
「・・・コーヒーがあるであろう?」
「は?そのマフィン、喉渇くぜ?」
「阿呆。ひとつは我が飲むわ、当然よ。だが貴様はグラスを2つも並べて何とする?」
「ああ、オレンジジュース、必要なんだよ。色付けるのに。」
そう言って、三日月の形に切られている白いボール紙を差した。
「・・・貴様・・・。」
「絵の具なんて船に邪魔だからさ、わざわざコレのために買うのも勿体ない話だしよ。汚いとか言うなよ。船は綺麗にしてるけど、何でも雑多にあるもんなんだし。」
「・・・カビが生えるやも知れぬぞ。」
「水被ったのそのまんまにしてりゃ、何だってカビるぜ。そしたら捨てるだけだ。」
毛利は眉間が寄っているのを自覚して、そこを押さえて眼を瞑る。
「・・・そもそも、その月は何だ?」
「だからお遊びだって。うちの船でさ、古い映画が流行ってて。で、この間ウケタのが紙のお月様がどうのって歌の流れるやつでさ。」
「・・・先刻、歌っておったアレか。」
「・・・聞こえてたのかよ。」
「下手くそだったな。」
「言うと思いましたっ!!だから聞かれたくなかったっつの。」
女は口を尖らせ、眼を泳がせる。
思いのほか似合っているその仕草に、憎まれ口はやはり良い物だと毛利は思う。
実際のところ、発音が悪い他に難点など特に無い歌声だった。
特に、潮風で中学生の頃よりも低く掠れたハスキーボイスは眼を瞠るものだった。
「アレなら我も知っておる。母がよく見ておったわ。」
「お母さん、趣味渋いなー。相当古いぜ?」
「モノクロ映画の鑑賞が趣味よ。」
「そっか。うちの船で一番の古株のジイサンがDVD持ち込んでよ。休憩の連中で順繰りに見てったんだわ。女の子が可愛いの可愛くないので大論争。でも歌は良い、で一致してる。」
「ああ、母もよく歌っておった。が、それでどうして月を作ることになる?」
「え、ノリで?」
「・・・・・やはり貴様は理解できぬわ。」
「ええー、何でどうして、そうなんのよ?」
「当たり前だ阿呆が!」
と、またもその場を取り繕うように店員がオレンジジュースを二つ置いていった。
声が高くなれば置いていかれるシステムなのかもしれない、この店は。
煩い客にはとりあえず、何かを口に突っ込ませろ、ということか?
ともあれ、毛利は気が殺がれた。
「昔から理解できんとは思っておったが、そこまで相変わらずか・・・。」
比較的小さくぼやけば、女は笑った。
「何だぁ、それ。あのとき理解しようとか思ってくれてたわけ?意外だなあ。」
「何を言うか、我は誰も理解なぞ!」
「そうそう、そうだよなあ。毛利、理解されることもすることも拒んでるって感じ?テストだけ理解できればいいんだなーって思ったもんよ。」
毛利は口をつぐんだ。
猿飛は、コレにはシガラミが無いとメールで寄越した。
まさにその通りの発言だった。
昔から。男だった頃から、コレは理解が出来なかった。したくも無かった。
中学生の頃など、理解しようという発想自体、思いつきもしなかった。
「え。何?なんで黙るんだよ。違うのか?」
「そうではない。そうではない、が。」
ふと、毛利は気付いてしまった。
コレに何かを期待などしていない。
していないのだが、観察をしたいとも思うのだ。
あまりに理解が出来なくて。
何を言い出すのか、わからなくて。
オイラーの定理よりもシンプルに見えて、その実、複雑系に見えるコレを。
・・・自分が関わらない場所からなら、観察したいと思うのだ。
シガラミを片方が失くしていれば、容易にそれは思いついた。
「チカ。」
「うぅえ、へっ?」
「何だ、その返事は。」
「や、だって、お前、名前知ってたのかよ?!」
「・・・知らぬと思うておったか。虚けめ。」
「あー、はいはい、お前さんは頭いいですよ、名前くらい憶えるの苦労しないでしょうよ。」
「我は貴様に興味がある。」
「っへ?!」
言いながら、毛利の脳裏には、あの薄暗い教室で小さく笑った男が過ぎる。
―今のアンタに、興味あるよ。
―普通にシガラミ無しのもーりさまの話とか、聞いてみたかったんだけど。
「幸い、我は男で、貴様は女だ。付き合わぬか?」
「は、はあぁ?!」
「何だ、先ほどからその返事は。そのような返事、船では許容されまい。」
「え、や、あの、毛利?毛利サマ?熱あるんじゃねえ?」
「無い。」