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『寂々』

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 男の発する嫌な気配は消えぬ。鳳凰が詠んだ真言、彼の耐えられなくなった恐怖心に応じた、と言うよりは、この原にやって来た者の恐怖不安、惑う心に嗜虐性を抱いたのかもしれない。
 (無理だろうな)
 そんな相手だからまず、動くよりは話す、話し合う選択はできないのだろう。
 辛うじて表面だけで平静さを繕い、強く緊張した意識を対峙する者に向けていた。
 はずなのに、男が消えた。
 (―…?)
 瞬く間だろう。もし一瞬でも目をつぶり、はっと身を捻らなければ彼は「裂かれて」いたかもしれない。
 躱す僅か前まで、鳳凰は三回の……まるで時を切り取ったかと思う三つの光景を見た。
 一つは、地と水平に一体化した黒い何か。
 二つ。これを避けなかったら自分は死んでいたかもしれない。彼の前で二つに交差した黒く鋭い何か。
 三つ。ずるりとまるで地から。姿を現した男の削げた顔。
 (何だ、これは)
 流派とか、あるいはその中の半世紀ほど遡る古式の業だとか、そういう物ではない。
 (何なのだ、今のは)
 人間の技ではない。そうとは思えない。
 この男は……分からぬほどの迅さで地を滑り、見た所丸腰……つまり交差させた素手で空を切り裂き、俺の目の前に地の影から姿を現したのか。人の男が。
 (……!!)
 どれを取っても不可解な動きに、今度こそは直に恐怖を自覚し、躱した身のまま男との間を取る。
 到底、人と思えぬその男は何も言わぬ。今の、精神的に優位なまま鳳凰を更に追い詰めるのでもなく、驚く様を嘲笑する訳でもない。
 黒紫の空何かがぎゃあ、と鳴く。鵺の血を吐く最期の悲鳴だろうか。まずそう思う程この原は薄気味悪く、ただ暗い。
 再び耳に残る鳴き声を発し、空に黒い何かが浮かぶ。
 その声の主……一尺以上の大烏は何かを探しているようだった。対峙する男もまた頭をもたげ、その存在を認める。
 男がふいに左手を上げ、ゆっくり、ぱちりと鳴らした指。それに応じ空を裂くように羽を広げたまま大烏は飛来する。くるくると男の頭上を旋回し、みるみる内に黒い影となりそして……長く細身の刀の形を取り、男の右腕に収まった。
 その刀、八寸(二尺八寸)を超えるだろう。四角く冷たい、細工飾りの一つもない鍔に狭い身幅。それがこの削げた男には良く合った。手にした男の佇まい。そしてにやりと……初めて表情を変えた男の口許。彼に謎の刀が相応しいと言うよりは、まるでその二つのもの……男と烏が、元来はそこに一つであったかのような錯覚を感じさせた。
 23年間の内生きて来て、モノを自らの武器に変化させる人間など一度も見た事はない。やはりこれは人の形をした魔なのだろうか。
 束の間の思考すら許さぬ速さで、始めて見せた口許の笑みを、痩せた顔に張り付かせたまま男は駆ける。
 驚きのまま思いを留めていてはいけない。鳳凰はただ一つ、結論をはじくしかなかった。
 (ああ……迷うな)
 この者が魔そのものの人なら、退魔師として俺はこれを倒さなければならない。眼前に迫った、魔を具象化したかのようなこの者と、俺は……決して相合わぬ。

 三間、二間と。
 距離を確認し呼吸する猶予も与えず男が向かう。
 正面四尺程の間で鳳凰の面を狙った。この技この力この刀で額を割られたら声もなく即死。
 (……間違いなく俺を殺す気だ)
 己を肉塊にしていただろう一撃を、すんでの所で躱す。途端、間断なく突きかかる二の太刀が彼の首筋を襲う。
 完全には避けきれぬ。至近距離で構えが崩れる事を覚悟し、鳳凰は後方に半身を大きく反らした。
 かしいだ体のまま、くるりととんぼを切る。逆さの視界の下、おのれの血が噴き出すのを確認した。
 更に後退し着地し、受けた傷を一瞥する。首の皮とその下を通る太い血の管を切って裂いて、彼をこの原の土の一部たらしめていただろう一撃は、彼の左肩を斬るに留まった。上手く避けた方だろう。指が入る程深い傷ではない。
 (……速い突きだ)
 男の持つ刀のふくらから物打ちにかけてつつっと赤いものがかかる。自分の血が刀に吸われた気がしたのは錯覚で、気のせいだろう。だが鳳凰を斬ったその刀は黒紫の空の下、炯炯と輝きを増し、やはり生きた刀なのだろうと彼は思った。
 必中の攻撃を二度、鳳凰は躱し、防いだ。
 男は次の、別の手を講じてくるだろう。そう思ったが変わらず鳳凰に向かう。
 正面二尺程の距離でついと身を屈め胴を狙う。仕損じて、次は逆袈裟。
 (……この男)
 刀の長さ迅さ、不可解だが冴えた男の技を防ぎ、その中で動きを見ていた鳳凰に疑問が浮かぶ。
 生きる烏を影に、影から刀へと変えた男。それを理解できぬ動きで振るい、刀と共に動く男。だから始めは妙だと思う程度だった。しかし攻撃を躱し、外傷を受けつつも防ぎきる鳳凰へ尚向かい続ける相手を見て思いが強くなる。
 (何故この男は引かぬのだろう)
 何度か俺に見切られ、一旦なら間を置くはずだ。
 原に吹く嫌な風が衣を揺らす。その空気が左肩に負わされた傷を刺し顔をしかめた。
 男は鳳凰の苦痛の顔を見、にやりと笑う。そのまま、火花が飛ぶかのように軽快な脚さばきでひゅっと駆け出した。
 三鈷を持ち直し構えながら、あっと鳳凰は気付く。
 (この男、動きがまるで変わらぬ。)
 これだけ打ち込めば体は疲労し動きは鈍くなる。相手に攻撃を躱される事で行動自体が萎え、消極的になるはずなのに。
 生きる刀を持つ男は、まるで今戦いを始めたかの如き動きで鳳凰の正面一間程の場から不意に跳ねた。
 (―…挙げた声が怪鳥のようだ)
 信じられぬ事に上段からそのまま鳳凰を両断するつもりらしい。
 たまらず三鈷で刀を受け止める。だが九寸程の自らの武器では、どうあがいてもこの刀には打ち勝てぬ。
 案の定刀を受け止めた鈷がぎりりと軋り、衝撃に耐える鳳凰の足も後方に流れた。
 その時、彼は初めて対峙する男を間近で見た。遠目にも痩せた……痩せすぎた男の体格を更に際立たせる丈の長い着流しの、戦いの最中乱れ寛げた襟からくっきりと浮かぶ肋骨。病人さながらの体を見て愕然とする。
 (こんな体では普通の者は刀は持てん。やっと歩けるか位だろう。)
 原に迷い込んだ獲物を中々仕留められぬ、いら立ちだろうか。男が舌を打つ。息を吐いたその喉の下、胸骨がくっきりと浮かんだ様を見て、鳳凰に悪寒が走った。
 (今までの攻撃もこの体で行っていたのか)
 病人か死人か、骨と皮ばかりの体で。普通の者ならば無理だ。そう思う最中、ふと彼が黒い影に、影から刀へと変化させた烏……今は眼前の男の刀となっているものを思い起こした。
 生きた刀の斬撃、引かず向かうばかりの男。意思を持たぬぬけがらのような、動けぬ程のやせた体。男は刀を振るうのでなく、刀に振られているのかもしれない。男が刀を支配しているのか、その逆か。彼らは一体何なのか。
 止まらない謎が思考の渦となり疑問はふりだしへと戻る。
 いずれにせよ魔であるならば斬らねばならぬ、退魔師として。

 不意に。
 風は止む、老木の枝先すらぴたりと動かなくなる。この場所全てに響く、耳に届くはずの音は失せた。
作品名:『寂々』 作家名:シノ