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『寂々』

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 そして対峙する鳳凰も息を呑む。いや、重苦しく……まるで今現れただけのそれに見張られているようで息苦しいのだ。
 逢魔ヶ原に城が浮かぶ。降るかの如くこの原の黒紫の空を覆いつくす。
 (……ああ)
 黄金城。
 ―…せめて今はどこにでも行けるように。動けるように。
 始めはその先も分からなかったのに。行かなければ。
 あの場所へ、今姿を見せた城へ。
 (……何故)
 それも分からぬのだが。
 強くならなければ。
 分からぬ力を生まれながら持ち、それを利用し増大させる術や業の手ほどきを山で受けていた。その自らの師の……従兄弟になるらしい。六十の坂は超えただろう、今は五尺程に縮んだ背の、髪も髭も白くなった道士が。
 彼だけでなく。この旅で、会った。
 巨躯の僧とそれに何故か付いていた幼い忍も、異人の女も……誰かは呟きまたは叫び、口に出さぬ者も表情が言っていた。強く強く強く。
 (「覇王」)
 心の奥底で、責めるように呟いた。その鳳凰の問いかけに応じるが如く、上空の城がより存在感を増し、丁度五間は間を置いただろう男の真上に城は昇る。それに架かる薄くたなびいた雲がいやに白く淡く伸び、まるで白蛇のようだと鳳凰は思った。
 地に落ちた雲の影に首だけを僅かに上げ、男は城の存在を確認する。
 長く伸びた白雲が彼のこけた頬に影を落とした時か。城を見た瞬間か。
 どちらがきっかけだろう。離れた鳳凰からも分かる程、男は目を大きく見開いた。がばと痩せた両の肩を自らの手で抱く。
 対峙中であるのに、驚いた事にそのままうなだれた。
 (……)
 男の鳳凰への殺意は嘘のように失せている。この原の風も土も……心なしか、迷い込んだ時途端に感じた嫌な気配も薄れた気がする。
 驚きで一間、男へ寄った。鳳凰が近付いても攻撃を仕掛けぬその男の、肩を抱く指は衣が曲がり、骨に喰い込む程の力が入っている。
 襲われてはならぬと考え、遠間から良く見ると、半身だけ僅かに震えていた。
 (この男は)
 遠く離れた町で尾ひれの付いた噂。子供達は唄い大人達はおののいていた。その男が。
 (……怯えている?俺の眼前で。……信じられぬ。)
 城を見て。
 はっと鳳凰の心に一つの疑いが浮かんだ。行かなければ動かなければ……旅の前、何を見て分からぬままの俺は駆け出したのか。
 強くならなくては、強く強く。―…自分だけでなく天和殿、そしてこの旅で会った者達が何を見た時に特にその思いを抱くのか。
 顔を上げず小さく呻く男を見る。今までからは考えられぬ有様だった。まるで疲れず倒れぬカラクリが、急に血の通い生身の生きた心を持ち直したかのように、城を見て。
 現れた黄金城にどんな形であれ、反応している。
 表情の見えぬ男に知らず近付いていた。俺と、俺だけでない。天和殿、この旅で出会った者達……
 あと数歩。
 お前は……
 鳳凰は男に近付く。城もまた彼等に近付き、降りる。
 間は五尺程だろうか。意識せず僅かに伸ばしていた鳳凰の手はまだ届かない。
 その時に。
 男の携えた生きた刀が喚いたと、そう考えた方が納得の行く、人の声とは思い難い奇妙な声で男が呻いた。皮と骨ばかりの痩せた肩の震えが一層、強くなる。病人さながらの体からは到底絞り出せぬ程、細く高い、怪鳥の如き声だった。
 うなだれたままの男の呻きは続く。不意にがばと両腕を広げた男。そこから弾けるように蒼の気が発せられる。
 (!!!)
 城を見て恐怖し、思いが極限になったのか、超え果てたのか。
 黒紫の空、枯れた侘しい原の端まで届く程の声で男は吼える。
 この旅で幾度見ただろうか。その蒼の気は失せて転じ……男を薄く覆う壁となった。気がうねり、互いにぶつかる音がバチバチと耳を打つ。まばたきすら忘れ、ただ鳳凰は男を凝視していた。
 彼の迅さ、技。確かにその威力に慄然としたが、生きた刀を持つ男の全ての不可解さに言葉を失ったのではなくて。
 問えぬ問いばかりを繰り返し、それは言葉にならず頭を巡る。
 ―…師の血縁の天和殿に会った。この旅で会った者達。
 言葉にできぬ謎ばかりが、積もっては決して散らず、自らの内にひしひしと溜まる。
 問うたとしても答えられぬだろう。
 動かなければ、行かなければ どこへ?城に
 倒さなければ、討たなければ 誰を? (「覇王」)
 何故?
 いずれに問うたとしても答えられない。
 理屈ではなかった。言葉にはできない。だが、駆られ続けるのは。
 どちらも見た。泥棒とそれを追う赤毛の男。血にまみれて戦って斬って、また戦っていた忍の男二人。
 そして……己(おのれ)
 今姿を現し浮く城に何らかの形で応じるのも、何より蒼の気を。
 (危機に瀕し窮地に追われた時、内の力が破裂するようにほとばしる、この気この力)
 魔としか思えぬ眼前の男が操っている。
 (……同じ力だ)
 彼も呼ばれ駆り立てられるのだろうか。だとしたら。
 倒さなければならぬ。それを思い留まり鳳凰は少し考えた。
 自らのこの力は何なのだろう。鳳凰が生まれ、物心ついた時から細く、だが延々と長く繰り返し自問し抱いていた事。
 それが―…この旅をして。答えに近付けたかと思えば、ただ謎が一層深くなった事もあった。
 動かなくては行かなくては。しかし今の自分に適した、然るべき行動を取り、然るべき場所に辿り着いたとしても完全に満足し納得できるものではないだろう、そう思う。今自分は……底の分からぬ謎の渦に身を投じようとしている。仮にその流れに逆らおうとしても避れきらないだろう。
 (―…恐らく、飛び込んで行く火の中に抱く疑問の答えがある。)
 何も分からぬのに、それは直感だった。
 旅の中の、彼と同じ力を持つ者達も同じだった。身辺の不安、疑問、困惑、不条理、謎、焦燥……そして空に浮く城を見て抱く思い。全て言葉にはならない。口では話せない。だが駆られ、互いに邂逅を果たしては触発される。
 思えば……原に迷い込み後、一方的に挑まれるばかりだったこの眼前の男からも、自分は多くの事を汲み取っている。もしこの男と話せたら。何か得る事ができるだろうか。城を見て、唯一彼だけ恐怖を露にした……旅で会った者達とはかなり異色といえる魔の気配の男から。
 自らの23年の生の中の問いを、この男が一度に解決してくれるなどとは元より思ってはいない。
 だが、力を持つ者なら。
 (……話を。)
 掠るだけで重傷を負うだろう、男を覆う薄い気の壁は失せた。
 彼は震えたまま。気の壁を維持する力が失せ、自らを恐怖から守る物を失った事への不安からか、肩の揺れが大きい。
 同じ力を持つ者たちの中で、何故この男だけが城にここまで違う反応を示すのだろう。何故?
 ……分からないが。男が俺の恐怖を煽り戦いを挑んだように、対話のために俺もこの男の怯えにつけ込もう。
 長刀を振られてもまだ喰らわぬ距離。鳳凰は少し近付いた
 「貴方は」
 立ち働く女人達に話し掛ける以上に気を払い口を開く。まず厄介な右手の生き刀をどうかしようか……
 間を取り、無言の男の横に並ぶ。
 「あれですか」
 ただ空気のように穏やかな佇まいで、僅かに口許に笑みを作り鳳凰は尋ねた。大きめの目のみを、それに動かす。
作品名:『寂々』 作家名:シノ