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『寂々』

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 「貴方を惑わす物は」
 相変わらず男は何も喋らぬ。だが言葉に応じ一度、大きく震わせた体が肯定を示していた。
 「……話しましょうか?少し。」
 過酷なその生に反し、鳳凰が奇跡的にと言って良い程に身に付ける事のできた明朗な性質。それは穏便に世を渡り、そして今のように人と和す際の強力な武器となった。
 緩やかな笑みを浮かべ、男へ向け手を広げる。
 うずくまった眼前の男が立ち止まり、剣を振るうまでの動作に充分に先手を取れるように、三鈷は裾に入れ込んでいる。
 「……いい」
 今初めて、戦いの中途で鳳凰は男の声を聞いた。細い骨の浮かび上がる喉から出た声は、外見通りの少しかすれた低音だった。
 同じ力を持つ者が見え、その心の思うままを口にしたらどう感じるだろうか。男の意を引き付け、彼をこの場に留めるために鳳凰は呟く。
 「……動かなければならない」
 「……」
 「……行かなければならない」
 ちらと横目で盗み見た男の肩が再び震える。
 (もう少しだ。同じなら)
 この言葉で引き止める事はできるだろう。
 「……あの城に。“覇王”」
 強い恐怖か、怒りとも念の凝り固まった表情にも見て取れた。それらが一瞬、彼の顔にさっと噴出した。唇を白くし、がくりとうなだれ脱力した手がだらりと下がる。
 雨水の染みる如く、生きた刀は逢魔ヶ原の地に吸われ、ただ黒い影となる。
 そのさまに驚きつつも、戦意を失った男に鳳凰は歩み寄った。

 彼は鴉と言った。
 聞く必要はなかった事だし、聞き漏らしたのだが、三、四つ年嵩なのだろう。町の飲み仲間達に良くからかわれていた幼い面立ちの鳳凰と異なり妙な程年齢と、若さに不釣合いな鋭さを感じさせる男だった。
 万事に関心を示さぬ、冷め切った男の性質もあるのだろうが、大半の話のきっかけや、喋り続ける方は鳳凰で、鴉は応じ端的に答えるか、あるいは無言のままだった。

 戦いを挑まれ仕掛けられる最中に思っていた。男の痩せすぎ、病人然とした風貌に人の生命を見て取れなかったからかもしれない。
 途絶えがちな話を繋ぎたい事もあり、「お生まれは」と尋ねる。
 その問に僅かにそっぽを向いた鴉に鳳凰ははっとした。人達に魔と噂され、見るからに浪人とおぼしき男。過去を他人になど聞かれたくないのだろう。言ってしまった事を一瞬後悔したが、もしかしたらこの原に留まる男の経緯が気になったのかもしれぬと鳳凰は思った。何故それが気になったのかは分からない。
 鴉は間を置きぽつりと言った。
 「分からぬよ」
 二親の顔も知らぬ事、今まで一人で、これからもそうだという事、それは当然の事だから感傷など微塵も抱かぬ事。
 「この名だって」
 誰が付けたのかも分からぬし、いつの間にか呼ばれていた。そう言った事を抑揚のない声で話した。僅かに黙る鳳凰を見やった後、ふと思い出したように、「お前さん、驚いただろう」と呟く。
 「?」
 「この鳥……烏ども」
 顎で原の枯木に止まる烏を示した後、骨ばった細い指で真っ黒の自らの影を指した。そして三鈷を持ち袈裟を身に付ける鳳凰に、魔と相反する職に就く……僧籍なのだろうと問いかける。
 「烏どもは魔か……俺も良く分からぬが、そうかもしれぬな」
 ククと笑みを唇に刷きながら、おもむろに言い放った。
 「俺を斬らないのか」
 それに、確固たる口調で返す。
 「……迷いました。でも今は俺は戦い合うつもりはありません。……同じでしょう。俺もあれに応じる者ですから」
 まだ大きく浮かぶ。……忌々しい。空へ指差し城を示した。その鳳凰にしばし無言の後、顔を見目を合わせ鴉は尋ねた。
 「……お前さん、名は」
 「……鳳凰と申します」
 「違うな」
 「?」
 「……トリなのに。魔と言われているらしい俺と、僧籍のお前」
 鴉は薄く笑っていた。投げやりな、少し自嘲的な笑みだったがこの男なりの気を利かせた冗談なのだろう。
 僅かにでも彼との距離が縮まったかと思い、鳳凰は踏み込んだ。
 「……ですね。鴉殿。あれと。……あそこにいる……」
 「ちょっと」
 制し、開いた手の平を鳳凰へ向ける。
 「?」
 「……止めてくれ」
 畳みかけるとおかしくなるぞ、さっきのように。皮肉っぽく目元を歪め鴉は呟いた。どこか人の心に留まる哀れな表情だった。
 「……」
 この男の“おかしくなる”とは何なのだろう。彼が今正常になっているから話す事はできたのだが。大体何故この男だけ城に露骨な恐怖を示すのだろう。
 互いに口を利かぬまま、鳳凰の視線を受けていた鴉が言った。
 「空白の刻」
 「え?」
 「……とでも言うべきか。大抵は分からぬ。ともすればその間だけ記憶が不確かな事もある。気付くと……この原に迷い込んだ者達など」
 (殺しているのだな。それか、立ち上がれぬ体にしている)
 分かるだろうと、伝えず一瞥を与え鴉は続けた。
 「この頃か?段々それが……そうなる頻度が近くなる。そんな気はしている。……特にあれが。あれがこの原に降りて来る時は。」
 途端うずくまり、うう……と呻きをもらす。
 (またか。城を挙げた途端に……これはひどいな。)
 「堪らん、耐えられん。お前も会っただろう。つい二刻程前だろうか。ここに男が迷い込んだ。……あ奴死んだかもしれぬ」
 鳳凰の脳裏に、血の気の失せきった男の逃げ惑う姿が浮かぶ。
 「……しっかりしろ」
 足しにはならんが同じ血を持つ俺がここにいる。
 そう思いおかしなものだと気付く。すぐ前まで無我の内に自らを殺そうとしていた男に手を貸しているなど。
 「城……城……城?一向に頭から離れぬが。あれだ。あの……中に」
 徐々にまた、おかしくなっていく鴉の気配に不安を覚える。心中に芽生えたそれを振り払うように、咄嗟に口にした言葉が丁度見えぬものに駆られた鴉と重なった。
 「……“覇王”」
 数度、頭を振ったまま鴉は動かなくなった。
 「落ち着け」
 (また違われてはかなわぬ)
 城に応じていると思ったのだが。それ以上に覇王に強く慄くのだろうか
 (……確かに俺も、時叛宮の者ならば皆、覇王の存在は脅威だ。だが少なくとも俺は民達のように。覇王や亡霊の噂を聞き、右も左も分からずに恐れる事はない。俺にはこの法力……この力がある。辿り着けるかは分からぬが、覇王に立ち向かえるかもしれない術を持っている。)
 旅で会った彼らもそうだった。
 恐れながらも勝気な眼差しを失っていなかった少女。挑むように城を見据えていた、南琉からやって来たらしい異人の女。殺し合いながらも明らかに城へ向かっていた白服と黒服の若い忍二人……彼ら以外の者達も。
 なあ、と一人ごちる。
 同じ力を持つのに、何故貴方は覇王に恐れるのだろう。
 聞こうと思ったが、正気を失われたらまた止められなくなるかもしれなかったので、直接には聞けなかった。
 鴉を落ち着かせながら、代わりに鳳凰は自嘲する。
 「……馬鹿みたいですね」
 「……」
 「……自分の人生が。不幸だったとは思ってません、俺は……二親を亡くしました。この力のために。」
 「……」
作品名:『寂々』 作家名:シノ