『寂々』
「俺、貴方の仰ったように退魔師なのですよ。この力は、生まれて物心ついて……その時にはもう持て余していた。伸ばしたり制御するために山で勉強していました。」
「……高明山か?」
鴉は少し眉をしかめた。彼にとってやはりそういった場所は苦手なものらしい。
それを見て僅かに笑い、話を続ける。
「……その後下山して、魔を討っていました。」
遠い昔に倒れた二親の記憶がかすめる。ふと上を見上げると、空に浮かぶ城が目に焼きつく。
(……俺の人生は。面影の薄れかけた親の仇討ちなのだろうか)
幼い時はそうして、怒りや憎悪を魔へ向ければ良かった。だが。
魔に心や、あるいは体を食い尽くされた人。魔に怯えながら暮す時叛宮の人達。自分一人の先走る感情だけでは退魔を生業にできないと、歳を重ねる内知った。
そしていつからかあの城が浮かんで来て……いや。確か丁度その前に。
「……城の出る以前に良くあの話が囁かれていましたね。貴方もご存知でしょう。ああ、そう言えばここと同じ原だ。……でもあそこはいけない。前の大名達の戦いもあの近くでぶつかった。今恐らく嫌な瘴気が満ちているのでしょう。夕方なんかは空が赤々として、写る池が血のようになっているらしいですよ。そう、そこの……亡霊の噂。」
「……」
ふと鴉を見ると、万事に冷め寡黙な彼が今まで以上に不気味な程に黙りこくっている。
「どうしました」
気になり声を掛けるが鴉は何も答えぬままだった。冴えぬ顔色のままだが戦意は窺えないので、そのまま話を続ける。
もう一度鳳凰は空を見た。嫌だ嫌だと思い続ける城。逃げたとしても巻き込まれる正体の分からぬ巨大な渦。幾度不条理と思っただろう。溜まり重なる思いを、同じ力を持つ者の何れかに会った時、いつか吐露するだろうと感じていた。
「……あの城と。その者達に駆られて……嫌なものですね、理不尽な事ですよね。俺はまだ良いんです、退魔師だから。彼等が魔で、大名達の我欲を高めるばかりの城も魔性のものであるのなら、俺も何とかしなければならないのでしょうし。でも」
なあ、何でだ。
「……直感ですよ。この旅の中で貴方の他に同じ力を持つ者に、幾人か俺は会いました。老人も、女も子供もいて、皆抗って立ち向かおうとしていました。」
……過去の。ただ過去の。
「本来なら。……例え貧しかったり、彼らの生業そのものが過酷であったとしても。おおむね平穏に……友や大切な者達と共に、無事に生活していた人達ばかりなのですよ。」
尖った顎を撫で、鴉は答えた。
「戦いに向かう者は女も子供も同じだと俺は思うが。お前は情があるのだな。」
「いえ、そうではなくて。……俺が言いたいのは。貴方もそうだったんだと思うんですよ。」
「俺が?」
不思議そうに鴉は鳳凰の方へ振り向いた。
「だって空白の刻なんて。城がなければそんな事なかったかもしれませんよ」
楽天的と言われ意識せず、また努めてでも悲しみや怒りを出さない自らの、積もった本心だったのかもしれない。普段の鳳凰と思えぬ程苦しげで皮肉めいた声だった。
「……覇王なんていなければ」
「それはない」
「?」
「……あの男はいる、生きている。変えられぬ現実だ。……あれがいるから俺も……」
気のせいだろうか。怒りと恐れ以外に変化しない鴉の顔にさっと思いが刷かれた。しかし人間的な温もりや血のめぐった生気のあるものではない。例えるならもっと暗い……固まった念のように陰に籠ったものとでも表すべきか。
「三百年前でしたか。その者が何故城の中で生き続けているのでしょう」
「……分からん。」
「……人間ではない。彼らは。あの者達は。知りもしない、ただ一人の男の何百年前のままの野心でこの国の人達の毎日や、旅で会った者達と貴方の生き方をめちゃくちゃにしようとしている。そんなのおかしいですよ、時叛宮のこれから先はあの男一人のものではないのに。……正常じゃない。あの男のためだけに動いて、権力者達を操っているらしい亡霊も……」
今まで見知らなかった男に一息で思いを撒き、ふっと息をついた鳳凰は城を覆う雲を見る。長く白く架かるそれが丁度鴉の顔に影を落とした。
「蘭丸」
うつむいていた鴉の小さな呟きに、不可解な違和感を鳳凰は覚えた。
どうとも言い表せぬ、何なのだろう。足らぬ語彙で辛うじて例えるとしたらまるで……そう、非常に言い馴れた感じで口にしたような。
「あなたはその者を詳しく知っているのですか」
「?何を言っている。先刻お前が話した事ではないか。お前さんたちにしてみれば、ここと良く似て薄気味悪い原に亡霊がいると」
……何なのだろう、今一瞬抱いた違和感は。
「……亡霊と相見えたのですか」
「まさか。耳に噂が入る程度だ。一度も見た事はない……まだ。……蘭丸、覇王」
いぶかる鳳凰をよそに、鴉は終いに一言だけ、ぽそりと蘭丸、と呟いた。怒りか悲しみか念か、どれからの思いかは分からないが、戦いの最中とうって変わった彼の感情的なものは見て取れる。しかし眼前の鴉の真意は遠い後に鳳凰がいくら考えても掴めぬ態度だった。
降り近付いていた城が黒紫の空に紛れ遠くなった。
同じ力を持つ者が二人、見まえたが結果、戦いには至らなかった。互いの血が流れぬ事を悔やみ惜しむかのように城は尚ちらちらと狭間に隠れては見える。
思いのままにはさせぬと鳳凰は思う。
分からぬ事ばかりだが血の駆られるまま、何も考えずに行き着くのではない。こうして邂逅を重ね煩悶し考え抜き、張り巡らされた謎の帳を僅かにでも解いて進もうとしている。
「……今は失せたか」
「そうですね。しかし」
「……ああ」
双方の声に出さぬ思いは“また来る”
「……動きましょうか」
沈黙の後、行かねばならないと鴉が呟いた。ただ深く暗く、意を汲み取れぬ表情で。
「あの城へ……」
狭間にうつろう、幽かだがいつも側にある城。
長めの鴉の指が、そっと空を指差した。
「あそこに、あの城に。……そして」
最後は小さく短く、低い声だった。
その時の彼の表情の翳りを、未だ忘れる事はできぬ。
男とは後に会うことはなかった。
どちらが先だっただろう。空からあの城が失せ、覇王と亡霊の噂が民に囁かれなくなった事と……ほぼ同じだったかもしれぬ。城下の者や村人達のお喋りに、逢魔ヶ原の魔の話もふつりと上がらなくなった。
あれからいく月たったのか。
この力を持ち生き続ける事への答えは、城と彼等が失せる前までに全ては出し切れなかった。しかし力を持つ者の一人として感じ、考え続ける事はできた。そう思いながら鳳凰は生業の退魔を続けている。
遠かったがそうではない過去の大きな渦に巻き込まれて尚、こうして自分は生き残った。
ぬるぬる、じゃりじゃりと、相変わらず湿る風の吹く原の土を鳳凰は踏む。
……変わらない。ここに主はいないのに。
「……」
何も考える事なく、顔を上げる。
かつては二人を見下ろしていた城。
力を持つ者を呼んだ者達二人。彼らも同様、血の下に一つだった。
その下で刀を振り、過去の者に恐れていた男。
ただ今はもう全て消えた。