『交錯』
兄のアナタは当然、先に居たから造られた瞬間から僕はアナタの弟で。だから。二番目の兄への弟としての思いも、そしてとても人に仔細を話せることではないその意味でも。
(−…そうなって彼を知った。知った彼の内面が非常に多い。)
知りたいと思い近付いて(下世話なことだが己は幸いにも非常に彼好きのする姿形だったそうだ。)求め求められ、その結果分かった彼のより素顔に近い面は……生きる世界を定め、そこには何人も−…こうなった自分ですら決して近付かせようとしない、取り付くしまもない絶望的な孤独さだった。初めは寝た後ですら、 彼のその思いや寂しさに呑まれそうになり本当にこの人を愛し切れるだろうかと不安になったが、それ以上にこの男の抱える悲哀と苛烈さがただやるせなかった。
だから−…何とかしたい。しなければならない。
(アナタの心−…だから大抵は。)若干遠間の刃をちらりと見遣る。
彼がいつまでも大樹に軽く体を寄せるだけで座りもしないのは心を張り続けるため。彼が少し怒った様に眉尻を上げているのは、この場所にい続けると気が萎えてしまう、とか俺はここにいてはいけないんだとか、そう言うことを考えてしまっているから。
欠伸を噛み殺し眠気に耐える兄を見、雷は溜め息をついた。
心地良いものを受け入れることにいつも逡巡する彼。そしてそれになれることを幼子の様に戸惑い恐れる彼。
この場の草木その枝葉、この全てをただ緑は緑だろうとでも言いかねない堅物の手にやはり半ば強引に花を乗せ、簡単に名を教え、それらの青臭さや甘い香を嗅がせた。それはもう雷の中では決して新しくない記憶になっているのに。やはりこの人はここに慣れたくないらしい。慣れて欲しいとは特別思わないが−…彼を連れて来たことは間違いではないと思う。
雷は空を見上げる。作られた天と作られた日の光。今こうして軽やかに吹きなびく風だって作り物で、 日の眩しさに思わずかざしたこの手、こうして彼をいつも思い続ける心も彼の人自身も。所詮作り者なのだ。
作られた自分達その目的は−…戦うこと。
強い風が部屋を流れ木の葉が吹き、薄色の花弁が舞う。思わず顔を押さえた手の平にいくつか貼り付いたそれら。
散り落ちたそれを眺め思う。
−…どう足掻いても逆らっても、宿命は変えられるものではないし、定まった目的の下自分達は作られたのだけれど。この人はただそれだけしか見えていなかった−…見ようとせず片付けてしまうこの人に、他のことを知って欲しかった。
葉を一枚取り思う。
例えばこの緑。きっと今も緑は緑としか思っていないだろう。
その融通の利かない彼に教えたかった。気を落ち着けるのに都合良い色だと。心を解き張った気を鎮めるのは決して悪いことではないと。
手に張り付いた葉を片手に集め、ふっと息を吹き付け風に流す。やや気取りがちにも見えるその仕草もこの美丈夫には嫌味無く良く合った。
丁度吹き落ちた葉の真横に生えた草の小さな花。その薄色の花弁を見て思う。
彼にもこの彩りに気付いて欲しかった。僅かでも
……ここをそろそろ出なくてはならない。
予定は特に無い。時間も十二分にあるが刃はそう思っていた。ここにいると己の何かが崩れて行く。 それを刃は自らの怠慢、あるいは心の鈍り。その言葉だけで強引に全て処理しようとしていた。
だが、ここに己を連れて来た者……刃の言い訳、あるいは嘘など五秒で看破し、時折びくりとする程刃以上に刃の内面を鋭くえぐり出す者……にどう伝え、上手くこの場を立ち去るか。
彼は緑を眺めているようだった。
この者も自分も作り者だが、彼の髪は作り物の日より輝き、作り物の空より青い目は緑を映していた。ちょっとした彼の動作でも金の髪が揺れ、改めて思う。長く見続けることに戸惑う。彼に慣れて。彼から与えられる気遣い心遣い。子供の様にまるで損得を考えない一切曲がらぬ刃への直線過ぎる思い。あるいは自らの性的欲求の解消……それらを己は得て良いのだろうかと言う思惑。それに囚われつつ、しかしただずっと眺めていたい、留まっていたい。そう思わせる光景。
その青と緑とこがねは眺めていれば良い。
(そうすれば俺は兄弟達の為の刃を振るいたくなくなる。摘み取った彼に一言、言ってしまえば恐らくは喜んで付いて来るだろう。彼もそれを望んでいるかもしれない。)
(そうすれば己は随分……楽になり、自らの意思で選択し、傍らに置いた花は血に染まる。)
(俺の様に)
−…持つ武器ですら優雅な青年
自らが留め自らが守るべき場所の主
外貌肌色も違う。青と緑とこがね。
……
留まっていたい。だが留まれない。
彼は言うだろう。この身この命アナタと共にありたいと。彼を自分のものにしたと思っていたが、自身はこれから先も汚れ続けて行く。 そして己とはかけ離れた世界の彼。この手、己の心体は届かない。
刃は境を引こうとする。この者は自らがこの場に留めるべきだ。己がどれだけ他の命を奪い、血まみれになろうとも。だから俺はこの場所にいてはならない。遠くでこうして眺めているだけで良い−…良いと。思わなければならない。人殺しにはこの場の緑も花も合わない。だから俺は遠くでお前を眺め続けている。
俺の居場所は戦場で、俺の留めたいお前の場所はここだ。
悪いがそっと立ち去ろうかと逡巡していたら雷が近付いて来た。緑と花の世界に囲まれた美しい青年の絵がそのまま刃の前に抜け出て来る様な光景だった。
いてはならない、だが本当は−…
受け入れたら慣れてしまう。そして求め続けてしまう空と日と緑。
本当は眺めるだけでなく。出来れば花の手を引いて−…
「……飽きて来た?」
不意に紡がれた言葉に我に返る。
「そんなことはない。ただ……」
(出来るなら本当は−…)
この場に来て以来、盗み見るばかりだった青の目がじっと刃を見つめ、それに戸惑う。
「……ただ?」
「何でもない」
「じゃあもう少しここにいましょう」
上目遣い。そう見えたのはただ彼より己が長身だからそう感じただけで。ただ弟が兄に頼み事をしているだけで。それだけだろう。
「……ゆっくり座って。」
暖かくやわらかな空間のすぐ真横で彼の声。暗にもう少しここに居て下さいと。
−…意図しているのだろか、無意識なのだろうか。非常に自分好きのする姿形の者の態度をただ都合良く、下世話な意味で受け取った結果、そう見えただけなのか。
−…兄へ弟が甘える、ありふれたそれだけなのだろうが。
結局立ち去ることは出来ず、刃は大樹の側に座ってしまうことになった。ここに来て以来立ち通しだったからだろう。足の裏が少し痺れていた事に刃は初めて気付いた。
すぐ側に彼がいる。既に自らが手折った者が。
大樹の下豊かに葉の茂るその隙間を縫い、光の如く日の帯が注ぐ。それを受けた彼の髪は間近で淡く輝き、最早幾度目だろうか、刃の心を捕らえた。