難攻不落の男
ふぅ、と溜息が聞こえて、ますます目をつぶったエドワードの頭が、ふわりと下に引き寄せられる。
「…?!」
ロイが、膝をついた姿勢のままエドワードの頭を引き寄せたのだ。ちょうどエドワードの頭はロイの肩口に収まるようになって、男らしい首筋から感じられる温度やにおいに硬直していると、ロイの困ったような、けれどどこか嬉しそうな声が聞こえる。
「やきもちかい」
「…なっ!」
強張った背中が暴れるよりも、大きな手がどうどうと宥めるのが早かった。そしてやさしげな声が冗談交じりに問いかけてくる。
「女性陣にいじめられたか?」
「…いじめられてない」
むう、と眉をひそめながら、エドワードは言う。
「そんな青い顔をして。泣くんじゃないかと思って焦った」
「…そんなん…してない」
ぽんぽん、とエドワードの頭を軽く撫でて、ロイは手はそのままに体を起こし、今度はエドワードを自分の胸に抱きこんだ。
普段であれば反発してとうに離れていくはずのエドワードが、今はどうしたことか大人しく、ちょこんとロイの腕の中に納まっている。金色のつむじを見下ろしながら、さて、とロイは目を細める。懐かない子猫が今日ばかりは爪をしまって擦り寄ってきたような、そんな感じだった。
「では、――私の見間違いだ」
ロイの上着の裾を遠慮がちにきゅうっと掴みながら、こくんと頭が上下する。そうして、小さな声で「そうだよ」と声が上がる。笑ってしまいそうになるのを何とかこらえながら、ロイは真面目な声ですまないと詫びた。
「最近視力が落ちてね。そのせいかもしれないな」
「……ブルーベリーが目にいいって」
これになら多分笑っても怒られないだろうな、と見当をつけて、大人は小さく笑う。
「そうか。覚えておこう」
しばらくはじっとしていたが、上から見える頬が普段の色に戻った気がして、ロイはそっとエドワードの体を離した。
「…そろそろ、小腹が減らないか?」
大丈夫かなんてことはわざわざ口にせず、ロイは、おどけたようにそう問うた。エドワードはおかげで照れくささを覚える前に意識を切り替えられる。
「…甘いの食べたい」
小首を傾げて要求を口にする。それを世間では「おねだり」というんだよ、と言ったらこの子供はどんな顔をすることか、と思いつつ、ロイはけしてそんなことは言わない。
「そうか。私も喉が渇いたな。では行こうか」
「どこに?」
「鋼のは」
ロイはそこで一旦区切り、子供っぽい顔で一度笑って見せた。エドワードの緊張が一番和らぐ顔だと、ロイは薄々その事実に気づいている。
「ショコラなどは好きではないかな」
「…すき!」
猫のように目を見開いて、語気を強めて答えるエドワードの顔はほんのり色づいていて、本当に好きなのだろうことをうかがわせた。
「では行こう」
後は答えを待たずにさっさと歩き出せば、慌てた様子で小走りについてくる。ひよこが親について歩くようだと思ってロイは噴出しそうになったが、今度も彼はこらえて、数歩進んだ先でエドワードを待つために立ち止まってやった。するとエドワードが追いついて、満足そうにロイを見上げる。いこうぜ、ときらきらした目が主張している。
ロイは今度は無意識に目を細めていた。無性に可愛く思えてならなかったのだ。
目的の店へ行くには遠回りになる道だったが、幸いにして子供はそのことに気づいていないようだった。ロイは内心ほっと胸をなでおろす。
遠回りしたのには勿論理由がある。一番の理由は、その通りの方が人通りが少ないからだ。ちなみに人通りが少ないのは寂れているからではなく、単純に緑地が多いせいだといえた。休日ともなれば散歩している市民もいるが、半端な時間帯ではそうもいかない。
「あ、リス」
エドワードは見上げた大きな木の枝の上に何か生き物を発見したらしい。
目を丸くして呟くと、ひっくり返りそうなくらい首を反らして生き物を目で追っている。ロイは、そんな子供の動きを黙って見守る。
「…口を開けていると虫が入るぞ」
動いたのは、頭を振りすぎてバランスを崩した体を支える段になってからだ。そうして、ついでのようにそう教えてやれば、はっとした顔でエドワードは固まった。そしてその後、かあ、と顔を染める。
「…入んねーもん」
むう、と眉根を寄せて口を尖らせた後、ぴょん、とロイの腕から跳ね上がって先を歩き出す。ロイは小さく笑って、赤い背中に声をかける。
「元気がいいのはいいが、道はわかるのかい」
「………右!」
「残念、このまま直進だ」
うう、と悔しそうに拳を固めるエドワードの隣までゆっくり歩いて、ロイは目を細めた。小さな子供のようにあしらわれているのは悔しくもあったけれど、ロイのそんな目を見ていたら、エドワードもどうでもよくなってきた。
「…のどかわいたっ」
「ああ、そうだな。君にはオレンジジュースを頼んであげよう」
「…こ、コーヒー飲めるしっ」
「やめなさいやめなさい、コーヒーなんて。あれは大人の飲み物だぞ」
ははは、とロイは笑って、さっさと大股に歩いていく。エドワードはちょこまかと慌てて追いすがることになった。
「なっ!し、失礼だぞっ、大佐っ!オレだってコーヒーくらい飲めるんだからなっ」
きー、と猿のように暴れまわるエドワードにとうとうロイは声を隠さず笑い出した。
「ああ、うん、悪かった悪かった。じゃあコーヒーをふたつだな」
「…わかればいいんだよ、…わかれば!」
笑いすぎて滲んできたらしい涙をぬぐうロイの足を、エドワードは蹴りつけてやった。痛いじゃないか、という声は笑いを多分に含んでいて、なんだか悔しいようなくすぐったいような複雑な気持ちにエドワードをさせたのだった。
そんな風にじゃれあいながら公園を突っ切る道を歩いていた二人だったが、不意に、ロイの気配が強張った。
「…?」
微かな緊張のようなものにエドワードが怪訝そうな顔になる。しかしロイは表情をわずかに硬く、真面目なものに変えて、エドワードの手を突然取った。
「た…」
それに目を丸くしていると、早口で囁かれた。
「――私の背中に」
「へ…?」
「いいか、なるべく顔を出さないように。声も出さないで。少し早足で行くぞ。…わかったか?」
ロイの声は低く、威圧的でさえあった。思わずはいと従いたくなるような。
それはエドワードでさえ例外ではなくて、こくんとひとつ頷くと、半分くらいロイの背中に隠れて歩いた。半分だったのは、要するに反発のようなものと、後は好奇心である。
「――あら…」
ほどなくして進路に現れたのは、年齢不詳の美女だった。
顔を出さないように、といったようなことを言われていたエドワードだが、思わずびっくりして見とれてしまった。なんというか、非常に女らしい女、という女性だった。色気がある、とでもいうのだろうか。
女は後ろに随従めいた雰囲気の若い女性を二人連れていた。こちらもなんというか、洗練された女性である。十分に美人といえる範囲だろう。だが、声を発した女性は桁違いだった。
「お久しぶりですこと、マスタング大佐。…ええ、本当にお久しぶり」
「…ご無沙汰しております。マダム・センチュフォリア」