難攻不落の男
女に見とれていたエドワードだったが、ロイの声に潜むとげのようなものに気づき、慌てて顔を上げる。
「…あら?随分可愛らしい方をお連れでいらっしゃるのね?」
女の水色の瞳が、じっとエドワードを見つめてきた。思わずぼやっと見返してしまったエドワードの視界を遮るように、ロイが自然に体勢を動かした。
「詮索は無用に願います、マダム」
はねつけるような声は、エドワードには耳慣れないものだった。まるで自分が怒られているような気持ちになって、思わずエドワードは肩を竦めた。
「まあ、怖い」
けれど鈴を鳴らすような声で笑う女には、ロイの発する怜悧さがこたえていないようだ。よほどに鈍いか豪胆かのどちらかだろう。そしてちらりと見ただけでもいわゆる白痴美人というのではなさそうだから、後者なのだろうとエドワードは思った。
「磨く役はご自分でということかしら」
「マダム」
ロイの声はさらに冷え冷えしたものになった。ほとんど殺気とでも言った方がいいものだ。
少なくともロイがここまで、特に女を相手にここまで不快感をむき出しにするなど正直考えられないことだったので、エドワードはなんだか胸の辺りが落ち着かないような、嫌な気持ちになった。しかもやり取りの意味がわからない。
「もったいないわ、私に預けていただけたら…」
「詮索は無用と――」
ほとんど恫喝に近しくなったロイの声を止めたのは、その背に庇われた人間の小さな手だった。
「…?」
怪訝そうに振り返ったロイの視線の先では、ロイの軍服の裾を握ったエドワードが眉根を寄せて懸命に首を振っていた。駄目だ、といいたいらしい。何が駄目なのか、多分そんなことは何もわからずに、けれどこれ以上脅すなと言っているらしい。
まるで、喧嘩を止める子供のような顔だった。
「……」
その必死さを見ていたら、ロイもなんだか力が抜けてしまう。ふう、と肩で息を吐くと、面白そうに観察している美女を振り向いた。
「お互いに、詮索も干渉も無用。…それを超えてのお言葉は、私にもあなたの安全を保障しかねる。それだけは覚えておいて頂きたいものだ」
「…承知いたしましたわ」
女性はあっさりと引いた。そして、ほっと胸をなでおろしているエドワードをじっと見つめる。
「……?」
視線に気づいたエドワードが顔を上げると、彼女はにっこりと微笑んだ。人形みたい、とエドワードの頬が釣られてほころぶ。幼い頬は丸く愛らしい。
「…では、失礼」
そんなエドワードの上でロイが辞去を告げ、有無を言わさぬ勢いで細い手首を取ると引っ張って歩き始めた。
「うわっ…」
咄嗟のことでバランスを崩したエドワードだが、ロイは待ってはくれない。
「ちょっ…大佐!大佐!歩けるってば…!」
去っていく青い背中と赤い背中に、年齢不詳の美女は困ったように小さく笑った。
公園を出たところで、ロイは一端足を止めた。
半分吊り上げられるような格好で無理に歩かされていたエドワードは、ほうと息をついた後で、思い出したように眉を吊り上げた。
「…なんだったんだよ!もう!」
子供らしくむくれる頬を一瞬無表情に見下ろしたロイだったが、すぐにからかうようないつものふてぶてしい表情に切り替わる。
「さてね。まだ君は知らなくてもいいような類のことさ」
「…なんだよっ、それ!わけわかんね!」
頭から湯気を出さんばかりのエドワードに、ロイはすまないと、かけらもそうは思っていないような顔で口にする。そうして、再びエドワードの手を取った。
ただし今度は強引なものではなくて、そっと繋ごうとする優しい仕種だった。
なんだか調子が狂ってしまう。
「さて、思わぬ寄り道をしてしまったが、早く行こう。のんびりしているとお茶がディナーになってしまうよ」
「…別に…そんなのどうでもいいっての…」
ぶすっとそっぽを向く頬は、元の白さのせいかつやつやと赤い。突きたくなくなって、ロイはやめた。ここは往来だし、そんなことをしたらいよいよつむじを曲げてしまうに違いないから。
ロイがエドワードの手を引いて立ち止まったのは、小さな一軒家…にしか見えない家の前だった。白い壁に赤い屋根とドア、鎧戸がなんともメルヘンチックである。
しかしよくよく見ればドアが一般の民家よりも大きく、そして入口にはあまり大きくもなかったが看板が下げられていた。
「さあ、どうぞ」
ロイはそっとエドワードの手を離すと、今度は軽く小さな背中に添えた。まるでそつのない動きだった。
そして、背中に置かれた手の大きさや自分とは違う体温に落ち着きをなくしたエドワードにはかまわず、ロイのもう片方の手がドアを開けた。こうまでされて、今更逃げることなどできるだろうか。もっとも、それがなかったとして、ロイから逃げるのは実際難しいことではあるのだけれども。
「…おぅ…」
小さな声で、それでも内心気後れしているのを覚られたくなくてわざと横柄に答えたけれど、喉の奥で笑うような気配がしたから多分何もかもお見通しなのだろう。
まったくもって面白くない。しかし一番面白くないのは、そんなロイに腹が立つより先に「本当にかっこいいのかも…」と感じてしまうことだった。
あの女の人達の話を聞いたからだ、そうだ、とエドワードは無理やり自分を納得させなければならなかった。
店内はさほど広くなく、ゆったりしたひとりがけのソファと小さなテーブルの組み合わせが数個あるだけでだった。こんなんで商売になるのかな…とエドワードは思わずちらりと心配してしまった。
「…げ」
しかしその心配はガラスケースの中身を見て消え去った。
――確かに、ひとつひとつの「それ」は大変に繊細で美しく、格調高い。だがそれにしても値段がおかしい。
固まってしまったエドワードの耳元で、腰を屈めたロイが囁いたのはその瞬間だ。
「気持ちはわかるが、今日は私の言う通りに」
「……」
暴利だ、おかしい、とでも暴れだしそうな気配を感じたのかもしれない。ロイはそう言って、席に座るようにとやわらかいパーツで出来ている背中を軽く押した。
ガラスケースの向こうにいる、もしかしたら制服なのかもしれないが、茶色と水色のエプロンをつけた娘が少しだけ笑ったようにエドワードには見えた。
なんだか、落ち着かないことしきりだった。
…のだが。
「…うま…っ」
ぱくり、とおよそ一口サイズとしか言いようのないその、表面に花であろうか、何かが描かれたショコラを口に入れるなり、エドワードのなんだか説明のつかないもやもやした気持ち、は一気に晴れた。
一瞬かもしれないが、とにかく晴れた。
スイーツとは偉大である。
無意識の様子で手で口やら頬やらを押さえているのは、多分それだけ美味しいということなのだろう。ロイは噴出さないようにするのが大変だった。
そして、可愛いと思わずにいられなかった。
「…これ…なに…!」
打ち震えた声で口にするエドワードに、ロイは端的に答えた。
「ショコラ」
「…知ってるよ! …いや知らなかったのかな、オレ、こんなうまいものがあるって知らなかっ…!」
「…そうか。…もっと食べるといいよ」
「えっ! …で、でもさ、…だってさ…えっと…」