難攻不落の男
エドワードの前にはシンプルだが綺麗な白磁の皿があって、そこにはもしかしたら今のエドワードにとっては宝石よりも価値のあるショコラ達が鎮座ましましている。
トリュフもあるが、やはり何と言っても美しいのはボンボン・ショコラと呼ばれる一口サイズのショコラ達だろう。表面にテキスタイルめいた意匠が再現されたものあり、アイシングのようなものなのか、表面に季節の花が描かれているものあり、また形が面白いものもありと、実に様々だ。
だが、ロイは、別に甘いものが嫌いとまでは言わないが、そこまで好きなわけでもないので、どちらかというと、どれから食べようかと先ほどから百面相をしているエドワードを見ている方が何倍も楽しかった。
深くじっくりと淹れられたコーヒーを傾けながら、食べる順番を真剣に考慮している姿がなんとも言えず目に楽しい。今など、食べた後でものすごく嬉しそうな顔をし、すぐに深刻な顔になると「…最後に食べればよかった」なんて呟いていた。どうやら予想以上に美味だったらしい。
「後でお土産にしたらいいよ」
「えっ」
声をかけてわかったのは、それまでどうやらロイが向かいに居ることを忘れていたようだ、ということだ。今更に照れたように頬を染めているのはそういうことなのだろう。
本当に、面白い。可愛らしくて。
ロイはすい、とガラスケースの奥を振り向いた。すると、茶色と水色の、落ち着いた、けれども可愛いエプロンをした娘がすぐに気付いてやってくる。なるほど、値段に見合った躾のされている店である。
「今店にある物をひとつずつ包んでくれるかな」
「かしこまりました」
女の子は一瞬軽く目を瞠ったが、すぐに笑みを浮かべると、丁寧にお辞儀をして下がった。ここできゃあと騒いだりしないのはさすがに職業人というべきだろうか。
「これなら順番なんて気にしないで食べられるだろう?」
エドワードは一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてぽかんとしていたが、事態がのみこめてくると、何かを言いたそうに肩と口をわなわな震わせた。だがロイは確信犯の笑み。
「――コーヒーが進んでないようだが、飲み物を変えるかい?」
「…!猫舌なだけだ…っ」
いーっ、と口を尖らせると、エドワードは上に赤い小さな欠片が花のように散らされているショコラを手に取り、一気に口に放り込んだ。
「……うま…!」
悔し紛れ、恥ずかしいのをごまかすためのような仕種だったが、…すぐにも腰砕けの表情を浮かべてエドワードはテーブルに突っ伏した。
ロイは今度は普通に笑って、ぽん、とやわらかい金髪を少しだけ撫でた。
大満足、という感じのエドワードを伴って店を出ると、さすがにあたりは夜になっていた。
「うわ…月出てる!」
店を出る際、エドワードが手洗いに立った隙に会計を済ませてしまった男に、エドワードはあんな高かったのにとか、そんなつもりはないとか食って掛かったのだが、難なくあしらわれ、…そして店の外に出た瞬間に、大きく出た月に心を奪われてしまったらしく、そんなやりとりも悔しさも、純粋な心からは追い出されてしまったようだ。
「ああ、満月だったんだな」
「え?違うよ、あれ満月じゃねーよ」
「そうかい?丸いじゃないか」
「丸いけど…ちょびっとだけレモン型だよ。ほら、あの辺、わかる?丸じゃなくて、太ったレモンみたいだろ?」
エドワードは指差しつつ説明してくれる。けれどその形容詞に、思わず不意をつかれたロイは笑ってしまった。
「…大佐?」
何笑ってんだ、とばかり眉をひそめるエドワードに、いやなんでもない、とすぐに答えれば、訝しんだようではあったが、とりあえずそれ以上の追求はしてこなかった。
「ところで、鋼の」
「なに?」
「夕飯は何かリクエストは?」
「…今散々チョコ食べたけど…」
「それは…、ほら、なんだったかな。女性がよく言うだろう。甘いものは別腹とかなんとか…」
それはごく他愛無い一言だった。どこにも瑕疵のない言葉のはずだった。
だが――。
「…オレ、女じゃ、ないし」
エドワードの丸い頬が強張って、ぷいとそっぽを向いて不貞腐れたように返されて、ロイはしまったと思った。
しばし、沈黙が二人の間に落ちた。
「…そうだな」
そして折れたのは大人の方。
ロイは、つまらないことを言ってすまないな、と侘び、そうして何事もなかったかのように歩き出す。
「…少し腹ごなしに歩いてから行こうか」
「…うん」
軽く提案のように告げれば、いくらかぎこちない様子ではあったけれども、エドワードもそう頷いたのだった。
いつもがやがやと賑わしい、けれど料理の味も早さも折り紙つき、その上さらには賑わしい、を超えて騒ぎを起こした人間は肝っ玉女将か腕はいいが無口な職人気質の大将に追い出される――そこはそんな店だった。店の中は若干雑然としていたが、といってテーブルや椅子、皿が汚れていることはけしてなかった。グラスだってぴかぴかだ。
つれてこられた店にエドワードは最初目を丸くしていた。
「ってめえこのスットコドッコイ、なんつった今!」
「んだとこの平面面!」
「やめないかいあんたたち!喧嘩すんなら表ぇ出な!」
「……いやいやいや、…いや、喧嘩なんてそんな。おっかさん、そんな、なあ?」
「お、おう!ミーナ母さん、そんなことしてねえぜ俺達!だからほら、…そのアンチョビちょうだい?」
「…ふん!まあったく、暴れるんだったら外につまみ出すよ!」
かなりボリュームの豊かな女性はそれこそ母親のように遠慮なくしかりつけた後、屈託ない笑みを浮かべて「あいよ!」とアンチョビの何か、を置いていった。そうして去っていく背中に、その前まで喧喧諤諤やりあっていた男達は、何事もなかったかのように同じ皿から摘み始める。話題もなんだか楽しそうなものに変わったようで、肩でも組まんばかりだ。
…というようなちょっとした寸劇めいたやりとりを見て、エドワードはぽかんと目と口を開いて立ち止まった。ロイが頭上でくすくす笑って、おいで、と言いながら固まっているエドワードの手を引いて中へ入る。
「マム・ミーナ、元気そうで何よりだ」
皿を出し、今度はカウンターでなにやら話しこんでいた大柄な女性の背中に、笑いを含んだロイの声がかかる。
ちなみにロイは結局着替えもそこそこに出てきたので、コートの下はおなじみの軍服だ。
「んん? …あれ、まあ!大佐の坊やじゃないか!」
この呼びかけにまたしてもエドワードは目を丸くして絶句した。
大佐の坊や、とは。また。
「おやじさんのコロッケが食べたくなってね、また来てしまった」
「またまたぁ、あんたは顔だけじゃなくて口もいいからどうだか」
ぽんぽんと小気味よく言い返しつつも、女将はあいた席を目で探し始め…、そしてロイが繋いでいる小さな手の持ち主に気付く。横にも縦にも大きな女性なので、もしかしたら嫌味抜きでエドワードの存在に気付いていなかったのかもしれない。
…知ったら、本人はショックを受けそうだ。
「…あら」
ばっちりと目があって、驚いたのか圧倒されたのか、エドワードの肩がぴくりと跳ねた。ロイは握ったままの手を軽く振り、目を細めて教えた。
「鋼の。こちら、ミーナ母さん、だ」