帝国の薔薇
やさしく尋ねれば、こくりと頷いた。幼くして両親と弟をなくしたのだ、そのショックは大きかっただろう。話さなかったことを責めても致し方ない。それよりは、もっと違うことを考えるべきだった。
「…では、キンブリーを締め上げなくてはな」
「…?」
「殿下のお父上のことを何か知っているかもしれないじゃないか。弟君のことも」
エドワードは顔をあげ、ぱちりと瞬きした。
「父さんと…アルのこと?」
「ようやく出てきた手がかりだ。きっちり締め上げなくてはな。…だがその前に、砦に拘留されている兵士達だ」
「…あ」
そういえば、とエドワードは気まずさに頬を染めた。一軍の将たる身で今までそのことに思い至らなかったことを思うと肩身が狭い。しかしロイはそれについて指摘することはなかった。
「キンブリーが我々のことをどう伝えているか、…軍の中で誰がどう立ち回っているか、で裏にいる人間がわかるだろう」
「裏…、中央の誰か、ってさっき言ってた?」
「そうだ。…とにかく、吹雪が止んでからでないと動けないからな。今は休むことだ」
「……おまえ、どうしてそんなに余裕があるんだ」
恨み言を言うつもりはなかったが、するりとエドワードの口からそんな言葉が落ちてしまった。彼女にしても、常にない緊張状態にあったのだ。
「慣れているからな」
しかし、ぶつけられたロイはといえば、あっけらかんとした様子であっさり流した。
「緊急事態には慣れている。今さら動揺する可愛げなんて持ち合わせがないんだ」
そんな風に言われてしまえば、エドワードとしてもそれ以上何も言うことができない。複雑な顔をしている主の小さな頭を撫でて、ロイは、もう少し休むといい、とだけ言って聞かせた。
夜になるとさらに冷え込んできて、寝ぼけながら身を丸くしたら、一枚外套のようなもので包まれた。あたたくなって再び眠りに落ちる寸前、大きな手で頭をなでられて、それがひどく嬉しかった。
そうして、朝になって。自分がまきつけていたのがロイの上着であったことに気づき、そして既に彼の姿がないことにも気づいて、慌てて洞窟の外へと走り出す。
「お、姫大将」
「…え…」
入り口近くにはロイがいて、けれどロイだけがいたわけではなかった。行軍にまじっていたはずのハボックと、それから見たことのない黒髪眼鏡の青年がいて、そちらは背中を出したロイの手当てをしていた。エドワードが出てきたことに気づいたロイが急いで上着を羽織ったけれども、しっかりとその火傷はエドワードの目に焼きついてしまう。
「なんだよ!やっぱりたいしたことなくないじゃないか!」
簡単に騙された自分への憤りで、エドワードの目に悔し涙が滲む。それを、どうどう、とあやすのは、金髪ノッポの若い男で。
「まあまあ、許してやってくださいよ。殿下。男ってのはやせ我慢が趣味の生き物なんですから」
「そんなの知らない!なんだよ、何で言わないんだよ!」
「言ったからといってどうなるものでもないだろう。そんなことより、ハボック、中の様子は」
「そんなことって…」
唖然とするエドワードをちらちら気遣わしげに見ながら、ハボックは拘留されている軍の内部の報告を始めた。
ハボックの報告で、遠征軍の内部は大まかに二つに分かれていることが知れた。
近衛師団、これはもうエドワードと女帝の親衛隊のようなものだったから、案の定というべきか砦の地下に拘束されている。そのうち労働に使役されるようになるかもしれないという話だった。
しかし、中央軍からつけられた軍勢に関して言えばこれは一枚岩ではなくて、将軍の一人レイブンとそれに従う一軍はキンブリーと合流し、北の使節をこれから迎え入れるところだという。中央からついてきた将軍はレイブンの他に二人いたが、そのうちのひとりマーロウ将軍は近衛と同じく地下に軟禁されているそうだ。レイブンと手を組むのを断ったのだという。もうひとりは事態に追いつけていないのか、とりあえずはレイブンに従っているという。
そしてキンブリー、及びレイブンは、皇太子は兵士達を見捨てて逃げた、しかし吹雪で死んだだろう、と告げていると知れた。
エドワードはぎり、と唇をかみ締めた。何たる不名誉だろう。
「…それと、これは、ホークアイ女史から伝言です」
「あ、…リザ!リザは無事なのか?」
今の今まで忘れていた自分に眩暈を感じながら、それでもエドワードはハボックに食って掛かった。彼は幾分驚いた様子だったが、ぴょんと飛びついてきた姫を危なげなく受け止めて、「無事ですよ」と返してくれた。
「近衛師団は皆殿下を信じております。と」
「…え…」
大きく目を見開いたエドワードに、ハボックは明るく笑った。
「大丈夫です。殿下がご無事なら、なんとでもなりますよ」
「…オレ、そんな、すごいのじゃない…!」
じんわりと涙を滲ませる少女の頭を、しばし惑った後、どうかお許しを、と口にしてからハボックはなでた。
「大丈夫ですって。俺の勘は昔から当たるんでね」
「勘?」
「はい。全部うまくいきますよ」
底抜けに明るい顔で言われて、エドワードはきょとんとした顔をする。そうしていると本当にそこらの少女のようで、ハボックはなんだかこの皇太子が哀れになった。これから先、あの強烈な女帝のように人の上に君臨していけるのだろうかと、ついついそんなことを思ってしまった。
「とりあえずは、腹が減っては戦ができぬ、です。色々もってきましたからね、腹ごしらえといきましょう。作戦会議はその後でね」
「腹ごしらえって…」
そんな場合じゃ、といいかけたエドワードを遮ったのは、きゅう、と鳴った彼女自身の腹だった。一瞬の間を置いて、エドワードは真っ赤になる。しかしハボックもロイも、見知らぬ青年も顔を見合わせて、とりあえず食事にしよう、と言っただけだった。
手際よくその辺に転がっている石でかまどを作り、荷物の山の中から鍋も取り出し、ハボックと眼鏡の青年がてきぱきと何かを煮ていた。そしてかまどの近くにパンらしきものを並べて温めている。
エドワードはあたりを見回して、木がほとんど生えていない、荒涼とした景色に眉をひそめた。山だからなのか、あちこちで煙が噴出していて、なんだか不吉な場所のように思えてならなかった。
「悪魔の谷と呼ばれているんだ」
まるでそんなエドワードの思考を読んだように、ロイがぽつりと声をかけてきた。
「悪魔の谷?」
「ああ。土地ではね。まるで地獄のようだからと」
言われてエドワードはあらためてあたりを見回した。なるほど、確かにそんな印象を受けても仕方ない。だが、ロイは、くだらないというように笑った。
「だが悪魔が住んでいてなんていうのは勿論迷信だ。ほら、あちこちで煙が上がっているだろう。あれは、地中のガスが噴出しているだけなんだ」
「…ガス?」
「温泉も沸いている。源泉は熱くてとても入れたものではないが、ぬるくなった場所なら入れるところもあるぞ」
エドワードは複雑な顔をしてロイを見た。この男は未だに謎が多い。こんな風に妙なことを知っていたり、緊急事態に慣れていたり。
「…ん?どうした?」
「…おまえ物知りだな」
「単に賢いだけだ。さて、そろそろできたんじゃないか」