帝国の薔薇
一所懸命に言い募れば、瞬きの後ロイは眩しそうに笑った。
「それならそれが姫の答えだ」
「…オレの答え?」
「尊い覚悟だと思うぞ。…まあ、困難な方がやりがいはあるか」
「…マスタング?」
ロイはそれ以上は何も答えず、ぽんぽん、とエドワードの頭を軽くなで続けるだけだった。
それからさらに一日を過ごして、昼頃には二人は宿を発った。幸か不幸か砦の追っ手にはまったく遭遇せず、そのまま砦へ向かう。
砦の手前でフュリーと合流し、ハボックが首尾よくやったことを伝えた。つまり、夕食の後が蜂起のタイミングだと。そこで、フュリーは、この国では傭兵隊がつける制服である青い軍服を差し出してきた。残存兵力というか、キンブリーがつれてきた部隊は傭兵隊であるため、その方が中でまぎれやすいのだという。エドワードはそれでも目だってしまうことに代わりはないので、赤い近衛の服と、宝剣をしっかりと身に付けて、その上から外套をかぶる。
「…おまえ、青の方が似合うな」
青い軍服に袖を通したロイを見上げて、エドワードはぽつりと言った。目鼻立ちの整った男なので取り立てて似合わないというほどでもなかったが、こしてみると、やはり赤は彼の色ではないな、と思った。
「私もそう思うよ」
面白くもなさそうに返してから、ロイは、フュリーに案内するよう告げた。蜂起の前に近衛の連中と接触を図らなければならなかったからだ。
「こちらです」
青年の案内に従って歩き出した二人にもはや言葉はなかった。
近衛師団がおよそ三十人程度に分けられて牢に入れられているのを見、エドワードは胸が締め付けられるような気持ちになった。これでも同じ鍋の食事を取ってきた仲間達だ。どうにかして助けなければ、と誓いを深くする。
「食事の時間はまだだろう?」
看守が、フュリーと、その後ろに立っていた青い軍服の男と外套をかぶっている人間の組み合わせに眉をひそめる。牢の中からは青い軍服の男に視線が集まっていたが、事前に示し合わせてでもあったのか、誰一人として声を上げるものはいなかった。
「いや、ちょっとした事情聴取をね」
いかにも人の良さそうな顔でフュリーが答えれば、看守は、すぐに緊張を解いて、「そりゃ面倒なこった」と同情的に返してきた。
「そういうわけだから、ちょっと鍵を借りてもいいかな?」
「いいぜ。…って、言いたいとこだがな」
「…?なに?」
内心冷や汗をかいたフュリーに告げられたのは、しかし予想外のことだった。
「その一番後ろのちっこいの」
看守が舌なめずりせんばかりの顔で笑う。
「おめぇ、女だろ。こっちも牢獄暮らしでよ、退屈してんだ。ちょっと遊んでかねえか」
フュリーがいきり立ちかけ、外套の中でエドワードが困惑している中、ロイが一歩前に出た。
「おい」
威圧的に上から見下ろされ、看守が一瞬たじろぐ。
「貴様は貴様の仕事をしていればいい。下手に欲をかくとろくなことがないぞ」
目にも留まらぬ、とでも言いたくなるような早業で、ロイは看守が腰に帯びていた刃渡りの太いナイフを抜き、その首に突きつけた。誰もその動きを目で捉えることができなかった。看守に至っては、何が起こったのかもわからない。
「フュリー」
ロイは、呆然と立ちすくむ看守の腰から鍵束をとると、眼鏡の青年に投げ渡した。
「開けろ」
「は、はい!」
命じざま、ロイは、看守の鳩尾に重い拳を見舞って昏倒させ、適当にあたりに転がした。弱いと思っていたわけではないが、ここまで荒事に慣れているとも思っていなくて、エドワードは外套の中で瞬きした。
「殿下」
しかし、ぼうっとしていられたのもわずかな間のことだ。フュリーが鍵を開けたそばから近衛師団の精兵達が出てきて、整列を始めていたからだ。ロイに声をかけられて、エドワードははっとして外套を跳ね上げた。
「皆!」
もどかしく外套を脱ぎ捨てて、エドワードは解放された兵士達のほうへ走っていく。まずは謝らなければと思っていた。自分ひとりが難を逃れたことを。しかし…。
「殿下!」
「殿下、よくぞご無事で!」
彼らはエドワードを取り囲むと、口々にそんな声を上げて、中にはうれし泣きを始める者さえいた。呆気にとられて言葉を失うエドワードの前に、少し髪が乱れはしたものの、相変わらずきりりとした女性がゆっくり現われる。
「殿下」
「リザ!」
「ご無事な姿を拝見できて何よりの幸せです」
「だって、無事って…皆が捕まってたのに…自分だけ…」
ホークアイはエドワードの肩に手を置いて、そんなことはないと首を振った。
「旗が無事ならその許に集うことができる。兵とは、そして将とはそういうものではありませんか」
だから気に病むことはないのだとリザは笑った。
「…そんな…」
「謝罪も何も、とにかく事が終わってからにしないか、殿下」
そんなエドワードの背後に近づいて、ロイが飄々とした態度で声をかける。
「皆、動けるか」
良く通る声があたりに響き、それに応えるようにどよめきが起こった。
「このまま一気に砦を制圧する。なに、心配は要らない。夕食に少し細工をすることになっている。簡単に制圧できるだろう」
不適な笑いに、それまで牢に入れられていたとも思えない様子で近衛師団は気勢を上げた。
「殿下」
と、その様子をぼんやり見守ってしまったエドワードに、ロイが再び声をかけてきた。
「――号令を」
のぞきこんで目を細めるその顔は、エドワードだけにロイが見せるものだった。安心させようとするような、その表情は。
エドワードは頷いてから、宝剣を抜いた。その刀身は伝え聞くように確かに赤く、暗い地下牢でも輝いて見えた。
「皆、わたしについてきてくれ」
精一杯の号令には、近衛師団の勢いのよい掛け声が返って来た。
夕食をとるタイミングは必ずしも一定ではないのだが、客人格であるレイブンと、それと夕食を共にするキンブリーがもっとも早く食卓に着く。それに前後して食堂での食事が始まるのだが、最初に異変を訴えたのはレイブンだった。
「…何か、腕が…」
目を見開いて呼吸を荒くし、突然倒れこんだレイブンを見て、キンブリーは食事を取るのを止めた。まさかこんな手段に訴えてくるとは思わなかった、と舌打ちする。しかしその舌がしびれてきていて、こんな姑息な手段をとった男に胸裏で恨み言を連ねる。
そうして部屋を出て、あたりを見回せば、食事を取っていたと思しき連中が皆似たような状態になっている。実際にどの程度の被害を受けているのかわからないが、こんな時に一気に攻められたら、人数で勝っていても負けるだろう。キンブリーはぞっとした。食事に一服盛った人間が、そこまで考えないはずがないからだ。そして砦の地下牢には、食事は与えていないとはいえ無傷の近衛師団がいる。もしも彼らを解放されたら――、
その最悪の想像が現実のものになるまで、時はかからなかった。
「…!?」