帝国の薔薇
そうして一気に中に押し入れば、さすがに、そこには、ウロボロスの私兵や傭兵が配備されていて、思うようには進まなかった。それでも宮城の内部のことはこちらもよく把握している。効率よく倒しながら進んで、彼女もまた玉座の間に近づいていた。エドワード達が聞いた歓声はそうしたオリヴィエの戦闘のうちの途中で上がったものであり、実際には、広場の戦闘が終息したのが先だった。
どか、と乱暴に足で玉座の間の扉を蹴破れば、誰も玉座には座っていなかった。かわりに、それを取り囲むように何人かの異様に顔立ちの整った男女と、それからこちらは疲弊した様子の老臣達がいた。
「おそろいのようだな」
唇を歪めて吐き捨てれば、男女のうち一番若そうに見える人物が応じた。男とも女とも見えるが、胸がないから男かな、とオリヴィエは思った。
「ご機嫌よう、女王様?」
「訂正しろ。私は女王ではなく女帝だ」
ふんぞり返って命令すれば、相手がけらけらと笑った。
「エンヴィー。遊んでいないで」
そんな、しいて言うなら青年が一番妥当な人物の背後から、こちらは妖艶なという枕詞が相応しい美女が声をかけた。しかし残念ながらオリヴィエは女性だったので、取り立てて感銘を受けることはなかった。
「初めまして、かしら。陛下。一応名乗っておくわ。私たちは、ウロボロス」
「ああ、初めましてだ。そしてさようなら、だな」
「あら、もう退場なさるの?残念だわ」
「勘違いするな。退場するのは貴様らの方だ」
ふん、と鼻を鳴らして言い切った女帝に、妖艶な美女は目を細める。笑っているようにも見えたが、よくわからない。
「またぞろ湧いて出るとはな。私の駆除が甘かったか」
「まあ、虫みたいに言われるのは心外ね」
「虫と大差あるまい」
しれっと言い放ったオリヴィエは堂々としており、ひとつも揺らぐところがなかった。この国を随分と昔から、影より支配してきたという謎の組織、その恐らくは幹部クラスの人間を前にしても。それは、彼女だからこそだっただろう。
「国の心臓にたかった寄生虫。違うか」
淡々とした、けれども痛烈な嫌味を含んだ台詞に、エンヴィーと呼ばれた青年が眉を吊り上げる。
「…思いあがっちゃってんじゃないの?女王様」
「だから女王ではなくて女帝だと言っただろう。頭が悪いのか?」
貫禄ある女帝の態度に、怒鳴りたそうな顔でエンヴィーは肩を震わせた。気持ちはわからないでもない、と思ったのは、実は女帝の後ろにいた少年の方だ。
マイルズは当初置いていかれた方が、と進言したのだが、これはエドワードへの褒美だからな、と言い切った女帝に押し切られる形で、アルフォンスもこの場へ同行していた。しかし、それだけが理由ではないだろうということはアルフォンスにはわかっていた。女帝は恐らく、アルフォンスに見せようとしているのだろう。政治の影に潜んでいるものが何なのか、それを実地で。
「ねえ、陛下。ティンクトゥラは今どちらに?」
「あれは私の薔薇にくれてやったよ」
知らないはずもないだろうに、と女帝は笑った。
「あら、じゃあ、あれは本物だったの」
「なに?」
「豪快に見えて用心深い貴方のことだから、あれは偽物かと思っていたのに」
「おまえらの狙いはティンクトゥラなのか?」
この問いに、美女のみならずウロボロスの者達が笑った。
「勇敢な女帝陛下。我々がなぜ今動いたとお思い?」
「悪党の考えなど知らんな」
正義が聞いたら裸足で逃げ出しそうな女帝に悪党と断言された連中は、しかし、特にこたえたところはなかった。
「ティンクトゥラの意味も知らずに…、姪御さんは、かわいそうね」
赤い唇を吊り上げての台詞に、女帝は眉をひそめた。
その頃、広場を収めて宮城内へ歩を進めていたエドワード達だったが、そこで思わぬ異変に見舞われることになった。
「…剣が、鳴ってる」
スノーホワイトを今は隣に従えて歩いていたエドワードが、不意に立ち止まり、そんなことを呟いた。
「なに?」
ロイがそれを聞いて覗き込めば、エドワードは既に剣帯から宝剣を外していた。
「…鞘が…」
見事な宝飾の施された鞘がかたかたと震えており、音はそのせいなのだと知れた。だがしかし、剣がひとりでに震えるなど聞いたことがない。ロイは眉をひそめ、一瞬考え込んでしまった。だから、反応するのが少し遅れてしまった。
「…、待て、殿下…」
特に意図した行動にも見えなかったが、エドワードが不意に刀身を鞘から抜いた。抜く動きを見せた時、ロイはなぜだか急激に、それを止めなければいけないような気持ちになったのだが…、結果から言えば遅かった。
「…!」
鞘から抜けば、そこには赤い刀身があるはずだった。しかし、その時に限り、抜かれたそれは剣ではなかった。
「…なんだ、これ…」
剣の蜃気楼、とでも言いたくなるような、赤く透けた刀身に一行の視線が釘付けになる。だが、呆然としていられたのも最初だけで、蜃気楼がぼんやりと広がっていくにつれ、そうも言っていられなくなった。
「殿下、離せ!」
「えっ…」
ロイがエドワードの手からティンクトゥラを払い落とすのと、その光が広まりきるのとどちらが早かったか。いずれにせ、柄が床に落ちて音を立てる頃には、エドワードの姿が消えていた。
「…姫?」
後を追ったロイの声に、返事はなかった。
玉座の間で睨みあう女帝と秘密結社の幹部という図式に、第三勢力が加わるのに間はなかった。
「どうなってる!」
そこへ至るまでの道は女帝一向にあらかた片付けられていたので、ロイは、とりあえず戸口に立っていたウロボロスのように見える人間を蹴飛ばしざま怒鳴った。
「待ったぞマスタング。エドワードはどうした」
「それはこっちが聞きたいぞ、陛下。ティンクトゥラに何の仕掛けをした!」
相手が誰かということが抜けているのか、単に興奮しているだけかもしれないが、ロイはティンクトゥラの柄を投げ出しながら怒鳴った。
「あら、かわいそう。まだ花の盛りはこれからなのに」
そんな険悪な主従に、ころころと笑いながら声を投げかけたのはウロボロスの美女だ。険悪なままに青い目と黒い目がそちらを睨みつける。
「どういうことだ」
「説明してもらおうか」
「まあ、息があっているのね。さすがはいとこどうし」
「やかましい」
女帝がそれを斬って捨てる。
「エドワードをどうした、と聞いている。貴様らの望みはなんだ」
「ティンクトゥラを王位の証にしてたってのが、そもそも俺らの情報操作なんだよね〜」
ひひ、と笑いながら楽しげにエンヴィーが種明かしする。
「なんだと?」
「あれはさ、魂を吸うんだよね。それで、吸えば吸うだけ魂を中にためてってくれるわけ」
「…魂?」
「そう。大きな戦乱があった時に、王が自ら誰かを手にかけた時に、何よりもまず、王自身から」
美女がにこりと補足する。
「…それで?私はそういう目に見えないものを信じる主義ではないが。どうなるというんだ、貴様らが言うように魂を吸い続けると」
「賢者の石になる」
「…賢者の石?」
「あんたたちにその価値はわからないだろうけどね…」