帝国の薔薇
「父を監視する必要は、勿論あったでしょう。思うに、連中は、父ほどに完成された例を知らなかったはずです。そうであれば、やはり、彼を逃がすわけには行かない。…だからこそ、彼が錬金術を研究して、新たに成果として出来上がったものを秘していたのが脅威に映ったのでしょう」
階段はどこまでも続くかに思えたが、アルフォンスが台詞の合間に告げた。
「ここで階段は終わりです。後は平面のようです」
「…そろそろ先頭をかわろう。今さらだが、敵がいないとも限らない」
ころあいだとばかり、ロイが前に出る。それまでは細い階段だったので、交差もできなかったのだ。
「…ありがとうごございます」
自分の前に出てきた男を、アルフォンスは見上げた。彼は叔母によって帝位を断たれた人間で、かつ、今まで姉の傍らで彼女を守ってきた男だという。暗がりではあったが、その精悍さは伝わってきた。
「…いや。…私の顔に、なにか?」
「いえ。すいません。…後で姉の話を聞かせてもらおうかと思っただけです」
見上げていたのが存外長い時間だったらしい。アルフォンスはそう理由を述べた。すると、今度は背後から笑いが起こる。
「それはいいな。私もこいつの口からあれの話を聞きたいものだ」
「…陛下は殿下のことはよくご存知ではないか」
「おまえの口から、と言っただろうが。ちなみに、あれはおまえのことは気に入っていたぞ」
副官を取り替えようかといったら、嫌がられた。
面白そうに言えば、ロイが瞬きした後、ふっと笑う。暗くても、何となくその顔は見て取れた。
「それは知っている。そういう意味では相思相愛だったぞ、きっとな。さて、行こうか」
「…ホークアイはいるか。後であの男の首を絞めておけ」
女帝の苦みばしった声がして、列の後ろの方から、ホークアイ殿は事後処理で地上です、という怯えきった声が返って来た。なかなかに勇気がある。返事がないことで女帝の機嫌を損ねては、と思ったのだろう。
「…確信犯め」
この台詞から判断するとホークアイという人物はロイにある程度強みを発揮する人物らしい。ということはその人とは仲良くなっておくべきだろうな、とアルフォンスは二、三度頷いた。
そのまま一行が進んでいくと、大きな、古い扉があった。
扉の前は開けており、ついてきた兵士が両開きのそれのそれぞれ左右に立ち、こじ開ける。オリヴィエ、アルフォンス、そしてロイの三人は、先頭から少し下がる。
「…開きます…!」
誰もが固唾を呑んで見守る。そして、ご、と重い音を立てて、扉が左右に開かれる。現われたのは…、
「あら、随分早かったのね」
「おまえはさっきの」
扉が開かれた瞬間、中からの赤い光が外に漏れ、目を染めた。広さもわからなくなるくらいに、部屋の中央にあったそれの印象は異様だった。赤い大きな…、例えば言えばそれは大きな管のようにも見えたが、実際にはなんだかわからない赤い光を放つ大きな柱があって、その周りに、さきほどのウロボロスの幹部達、その一部がいた。
「きれいだと思わない?」
妖艶な美女が言えば、一行の後ろの方で誰かが「ボイン…」と呟いた。あまりに静かだったので聞こえてしまったのだ。
「ハボック。後で話がある」
「すんませんっ」
「おまえの部下か。たるんどるぞ。ハボックとやら、私も話があるかもしれないぞ」
「お、お許しを!」
「…遊んでないでください。…姉を返してもらいにきました」
金髪の少年が溜息混じりに大人達を制して、前に進み出た。
「…もし生きているのなら、父も」
「…あら、お久しぶりね。ぼうや。生きていたの」
「生憎、ぴんぴんしています。ラストさんもおかわりなく」
美女と少年は一見すると和やかに、にっこりと微笑みあっていたのだが、その背後には何か恐ろしいオーラのようなものが見えたり見えなかったり、という感じになっていた。
少なくともエドワードには出来ない芸当だ、と思いながら、ロイはその背中を見ていた。詳しくはわからないが、十年前に失踪してから今まで、相当な人生を歩んできたに違いない少年だ。案外、その苦労を活かして彼が皇太子になった方がいいのではないかな、とロイはちらりと思った。案外女帝もそう思ってこの場につれてきたのかもしれないが、そこまではわからない。
「もっとも、貴方たちホムンクルスが変わるはずがありませんもんね。でも、今回は欲張りすぎだと思いますよ」
「ホムンクルス…?」
耳慣れない言葉をロイが繰り返すと、なぜか、近くにいた兵士がぼそりと言葉を発した。
「ホムンクルス…、小さな人を意味する…」
「知ってるんですか?」
「いえ。言葉の意味だけ」
軽く驚いたように振り向いたアルフォンスに、その、糸目の兵士は生真面目に答えた。見ればあまり荒事には無かなそうな兵士で、なぜこの一行に混ぜられてしまったのか不思議だったが、…今は混乱しているから、単純に近くにいたところを巻き込まれたのだろう。何となく、そういう、巻き込まれやすそうな雰囲気をしている。
「残念だけど、ぼうや。ふたりともあの中だわ」
あの中、という言葉に、全員が赤い柱を見た。しかしすぐにアルフォンスは視線を戻す。
「あれは固形化する前の全なる状態、でしょう。あなた方の使う賢者の石は、もう少し固形化されたものだったはずだ。あそこから姉だけを分離することは本当に出来ないのですか。出来るはずだ」
「出来たとしても、やってやる義理はねえと思うんだけど」
それまで黙っていた、柱に寄りかかっていた背の高い男が欠伸交じりに言った。
「どうせなら、力づくでいわしてみろや。なあ、坊主」
「なるほど、シンプルだ」
「まったくだ。実にわかりやすい」
それに答えたのは、アルフォンスではなかった。青い目と黒い目が爛々と輝いて、殺気を漲らせて剣を構えていたロイとオリヴィエだった。
「今すぐ後悔させてやる」
「女王様は鞭じゃないのか…武器は」
「貴様も頭が悪いのか。私は女王ではなく女帝だ」
がっかりした様子で言った丸眼鏡の男に、淡々とオリヴィエは訂正した。その後ろに、マイルズもひっそりと構えている。
「アルフォンス!」
オリヴィエは背後に声を張った。
「おまえ、よくわからんが詳しいようだな。私がこいつらを畳む間にそれをなんとかしろ。わかったか」
「え、あ…はい?」
「わかったか、わからないのか、どっちなんだ。はっきりしろ」
「わ、わかりました」
「よろしい」
女帝は、ふん、とサーベルを払った。
「来るがいい」
目の前の、はっきりと、倒していいとわかっている相手に不敵な笑みを閃かせて。
「私もいるんだが」
なお、その脇でぽつりとロイが言ったのは、誰にも聞かれることがなかった。
相変わらず空間は父の書斎のままで、エドワードは、昔定位置だった本棚の隙間にどうにか腰を下ろして、父の話を聞いていた。
「…不老不死?賢者の石?」
「ああ。むかし、この国ではない国で生まれたものだよ」
「ふうん…」