水の器 鋼の翼1
3.
不動博士は、ある画期的な粒子を発見した。
他の粒子と粒子を結びつける能力を持つ新粒子。その粒子は、お互いに異質であるはずの他者を容易く結びつけ、各々が持つ特性をうまく噛み合わせ、それらにある一定の回転の力を与える。それはまるで、遊星歯車の働きのようだった。発見された当時は、量子物理学史上最大の快挙とも言われた。
不動博士は粒子に名をつけた。遊星歯車のような不可思議な力から、「遊星粒子」と。彼は更に遊星粒子についての研究を進め、ある一つの結論を出した。
「この粒子を利用すれば、永久機関を造ることができる」と。
永久機関。それは外部からエネルギーを与えなくても作動し、永久にエネルギーを生み出し続ける機械。古くから科学者が幾人もそれの研究に取りかかっては挫折してきた、いわゆる夢物語でしかなかったものだ。しかし、それは遊星粒子を利用することによって夢から現実の物となる。不動博士は、遊星粒子を利用した永久機関「モーメント」の理論を打ち立てた。
不動博士が所属する海馬コーポレーション(KC)は、早速社内に一つの部門を創設した。それがモーメント研究開発部、通称MIDSと呼ばれる部門だった。MIDSには、不動博士を始めとする多くの有能な科学者が集められた。レクス・ゴドウィンとルドガー・ゴドウィンもその一人だ。
また、海馬コーポレーションだけでなく、多種多様なスポンサーが、MIDSに財力を注いだ。モーメントが完成した暁には、彼らが投資した以上の利益が見込まれていた。
研究は容易い道のりではなかった。それでも、不動博士たち開発部は、自分たちの総力を挙げてモーメントの研究開発を進めた。
そして、ついに完成したのだ。夢の第一歩、第一号モーメント「Uru」が。
「おめでとうございます、博士」
「ついに、ついにこの日がやって来たのですね」
ゴドウィン兄弟は、喜びを抑えきれない表情で、不動博士にお祝いの言葉を口々に述べた。レクスから受け取った缶コーヒーを握りしめ、不動博士も喜びと感動をしみじみと噛みしめているようだ。
「ありがとう。大きな研究をやり遂げるって、本当に気持ちのいいものだね」
缶コーヒーを一口飲み、不動博士はにこやかにゴドウィン兄弟の賛辞に答えた。
第一号モーメントが完成した日のこと。不動博士とゴドウィン兄弟は、外の新鮮な空気を楽しむために、久々に地上に出てきていた。三人は、モーメントの主塔に背をもたれる。地下にいるとたまに時間経過を忘れるが、地上に出てみると辺りはすっかり夜だった。
不動博士はゴドウィン兄弟に労いの言葉をかけた。
「モーメントがここまで完成したのは、君たちの力あってこそだ。君たちにはとても感謝してるよ」
「いえいえとんでもない! この研究に携われるだけで、私は幸せです! なあ、レクスもそう思うだろう?」
「そうですね。まさか、自分が生きてる間に、永久機関が現実になるって思いもしませんでしたから」
兄の問いかけに、うんうんとうなずくレクス。
「燃料も何もいらない、夢の永久機関! モーメントは量子物理学だけの快挙だけでない、奇跡的なエネルギー革命をもたらすものなんですよ! 私は見てみたいのです、この研究が行きつく果てを!」
ルドガーは、未だに完成した時の興奮が覚めていない様子だ。身振り手振りを交え、持てる己の思いを博士やルドガーに伝えようとしている。
「奇跡的な、エネルギー革命、か。そんな大それたこと、考えたことなかったな」
ルドガーの高らかな演説に、不動博士は一瞬気圧されたような、少しばかり困ったような笑顔を見せた。予想外の反応に、ルドガーは出鼻をくじかれたような面持ちで不動博士に問いかける。
「ええ? それでは、あなたはどうしてモーメントを開発しようと思われたのですか?」
「私の、ほんのささやかな夢だよ」
不動博士は、顔をあげて二人に空を指し示す。ゴドウィン兄弟も博士の指に従って空を見上げる。黒々と染まった夜空には、小さな星が一つ二つぽつぽつと瞬いているのが見える。
「空?」
「ああ、そうだ。私は、空を私の子孫にプレゼントしたいんだ」
不動博士は、星を一つ指し示し、彼自身の動機を語った。
「君たちは、ライディング・デュエルって知っているか?」
「知ってますよ。数年前に登場した、「デュエルモンスターズ」の新しい決闘形式ですよね?」
不動博士の問いに、レクスはすらすらと答えてみせる。うん、と不動博士はうなずき、こう続けた。
「なら、ライディング・デュエルに必要な機器も知ってるな?」
「それは、D-ホイールですが……あっ」
レクスは不動博士のやり取りの中で、何かに気づいた。レクスが今思い当たった事実を、ルドガーが詳細に代弁してくれる。
「そうだ、最近のニュースで耳にしたことがあります。ライディング・デュエルの人気に火が付き、D-ホイーラーが爆発的に増加したせいで、大気汚染の急激な悪化が問題になっていると」
当時のD-ホイールは、既存の乗り物と同じくガソリンエンジンを動力にしていた。当然、ガソリンを消費するし排気ガスも多く出す。決闘が行われる度にそれは繰り返され、ライディング・デュエルが盛んな地域では、排気で外もまともに歩けない状況に陥っていた。
「このペースで大気汚染が進めば、きっと数年の内にこの大空は排気ガスで覆い尽くされる。そうなれば、今見えている星も地上からは、全く見えなくなってしまうだろう」
レクスは、その光景を想像した。白い雲の代わりに広がる、鈍色に汚れた排気ガス。何とも風情のない光景だ。考えただけでぞっとする。
不動博士は、ゴドウィン兄弟に向き直り、真摯な目で二人に訴えかけた。
「世界各地では、限りある資源を巡って、大規模な戦争も起きていると聞く。小さな子どもたちが銃を取り、流れ星の代わりにミサイルが降り注ぐ悪夢のような世界。そんな世界を、我々の子孫には決して残してはならない」
「博士……」
不動博士は、ふと真剣な面持ちを緩め、再び楽しげな笑みを浮かべる。彼の目は、少年の心に戻ったかのような、澄んだ青空のような輝きを宿していた。
「私はね、空を未来の人々にプレゼントしたいんだ。こんな排気ガスだらけの空ではない、どこまでも広い大空を。ミサイルが飛んでくることもないような、子どもたちが安心して見上げられる星空を。……この調子だと、私の子どもの代までには間に合うかな」