【APH/東西兄弟】唯一人のための。
「ヴェスト。俺は正直お前さえよければ他はどうなってもいい。だからな、あまり思い詰めるな。他国の連中は、適当に恩を売ってあしらっておけばいい。——ああ、けどお前と国民達に無理のない範囲に留めておけよ。お前はいつも、力入りすぎちまってるからな」
真っ直ぐに射抜く瞳に映るのは、偽りのない愛情だった。
この愛情を持って育てられた。それは十分に実感している。
兄の視線を前にしては、苛立ちも虚勢も反発心さえ、無意味なものへと成り果ててしまう。真摯に弟を思うが故の発言は、心身に深く染み渡るようだった。
——兄さんが、そう言うならば。兄さんの言う通りにするべきだろう。
そう心を決めてしまえば、不思議と重圧から解放されたような気がして来て、ルートヴィッヒは無意識に表情を緩めていた。相変わらずルートヴィッヒを見つめていたギルベルトは弟の様子に小さく頷き、勢い良く立ち上がる。椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がろうと、騒がしい会議場で気に留めるものは一人もいなかったが——そのままルートヴィッヒの額へ口づけたギルベルトに、場内の空気が凍った。
「……っ、ちょ、お前ら、何してんの……?」
素っ頓狂な声を張り上げるのは、お馴染みのフランシス。しょっちゅうつまらない事で口を挟んで来るフランシスに辟易しているルートヴィッヒは、自然と視線が険しくなる。
「あぁ? 挨拶で過剰反応してんじゃねーよ。てめえらが遊んでいる間に一人でしっかり仕事していた、俺様に似て立派な弟を励ましてやってただけじゃねえか。何が悪いんだよ?」
このようなやり取りはしょっちゅう繰り返されているとはいえ、いいかげん外野の好き勝手な騒ぎぶりは鬱陶しい。自分たち兄弟は世間の標準よりもずっと良好で、時に他国の連中からはうるさく言われるのだと、いいかげんルートヴィッヒも学習しているが、だからといって不快感が消えるわけではない。生まれてこの方兄から可愛がられた覚えしかないルートヴィッヒには想像もつかないが、しかし兄弟仲がさほど良くない連中は、ルートヴィッヒにとってごく当たり前でしかないやり取りにまでいちいち過剰反応をしてくれるから気分が悪い。それほど羨ましいのかと問い質したい気もあるが、つまらない諍いの種にしかなり得ないような発言を慎むだけの分別を持ち合わせるルートヴィッヒが、その言葉を口にした事はなかった。
けれど、フランシスの言動と一斉にこちらへ好奇の視線を向けられた事が無性に腹立たしい。人前では外野がうるさいため、親愛を示す行動は控えるよう心がけていたつもりだったが——ルートヴィッヒの頼みを無視するように幼子にするような気軽さでキスを寄越した兄へ抗議する事も忘れ、眼前の連中を睨みつけていた。
「お前ら、下らない事を気にしている暇があるなら、会議に集中しろ!」
怒りに任せて怒鳴りつけようとも、彼らには通じることはないのだと知る。そもそも、彼らとは育って来た環境も違えば、兄弟との接し方にも極端な違いがある。いくら自分たちが口で説明しようとも、ごく自然に身に付いていた全てを相手へ的確に伝える事は、不可能に近い。また、頭で理解出来ようと実の兄弟ともやり合って来た連中と自分たちとの溝は、決して埋まるものではないのだという事もまた、心得ていた。
わかっていようとも無性に腹立たしいのは、重圧に押しつぶされそうなルートヴィッヒを気遣ってくれた兄とのやり取りに、水を差される形になってしまったからに他ならない。しかもそれはルートヴィッヒのストレスの原因たる連中からならば、尚更だ。先程までは多少なりと穏やかさを取り戻した精神は途端にかき乱され、声を荒げるルートヴィッヒの眉間には再び深々と皺が刻み込まれた。
「まあ、お前は落ち着けよ、ヴェスト」
思わず腰を浮かせかけた途端、両肩を柔らかく押された。それは有無を言わせぬ強引さとは程遠いが、促されるまま椅子へと座り込んだルートヴィッヒが見上げたのは、不敵に笑む兄の姿だった。兄の声はいつでもルートヴィッヒを落ち着けてしまい、一瞬にして怒りが霧散していくのは、我ながら現金だと自嘲した。
「けど、ルートヴィッヒの言うとおりだ。てめえら、こんな議題にいつまでもぐだぐだと時間浪費してんじゃねえよ! めんどくせえ」
ギルベルトがだん、と強く机を叩いたため、未だ諍いと雑談に興じていた者達もその全員が彼を注視した。傍らのルートヴィッヒだけが落ち着き払ったまま、備品を壊さないように気をつけてくれ、と口を挟み、苦笑する兄は顔を弟の方に向け、悪ぃと一言返してから、再び室内を見渡した。
「てめえらでまとめる気がねえなら、俺らで勝手にやらせてもらうぜ。欧州の融和を目指してえなら、四の五の言わずに助け合え! ここにいる全員で支援してやれよ!」
「ちょ、お前、簡単に言いきってくれるな! うちも財政厳しいんだからね!」
血相変えるフランシスを、ギルベルトは一瞥した。フランシスの気もわからないではない、厳しいのはどこも同じで、ルートヴィッヒにとっても人事ではないが——受け立つギルベルトは先程ルートヴィッヒがそう発言した時とは違い、完全に他人事としているかのようだった。眉も唇もつり上げたままで、そこには一切の穏やかさも存在し得ない。
「金額なんて何でもいいだろ。何なら一オイロでもいいんじゃねえの? どうせ恥かくのはお前らだしな。ルートヴィッヒの事なら手伝ってやってもいいけど、てめえらの事なんて俺には関係ねえ。国に持ち帰って勝手に決めて来いよ」
「ちょっと、無責任な事言わないで! 何のための会議だと思ってんだよ!」
詰め寄るフランシスを見遣るギルベルトの視線は、変わらず冷え冷えとしたものだった。悪友達と家や酒場で馬鹿騒ぎする時とはまるで違う態度を取るギルベルトは、完全に仕事へと切り替わっているのだろう。侵略と戦争は繰り返され、親しい間柄でも腹を探り合い裏切りと打算で足を引き合っていた時代を駆け抜けた兄は、親しい間柄であろうと外交上は容赦がない。フェリシアーノに振り回されているルートヴィッヒに、だからお前は甘ちゃんなんだと幾度も兄が窘めたのは、かつて大戦中の事だった。
「会議って、てめえらやる気ねえくせに何言ってんだよ。無責任じゃねえ、てめえの責任はてめえで果たせって言ってるだけだ。何でもかんでもルートヴィッヒに押しつけてんじゃねーよ! これ以上こいつに負担を強いるつもりなら、次からは俺様が仕切ってやるから、覚えておけよ!」
真紅の瞳が冷徹に光を帯び、居並ぶ他国の連中を睨む兄の表情は、この上なく凶悪なものだったのだろう。引き攣る連中を眼前にして、けれどルートヴィッヒは兄と彼らの間に割り入って事態を収拾させる気はまるで起きなかった。
ただ、無関心を装いながらその実気にかけてくれていた兄の愛情が、この上なく心地良かった。多少強引とはいえ、胃痛の原因にしかなり得ない会議をまとめ、挙げ句に非協力的な連中にも釘を差してもらい、実際ルートヴィッヒの負担はそれだけで随分と軽くなっている。
「兄さん、すまない。助かった」
作品名:【APH/東西兄弟】唯一人のための。 作家名:Rabi