すきのりゆう
「おしげちゃんとデートらしいよ」
「羨ましい事で」
ぷつん、ぷつん、ときり丸は糸を切っていく。
「きり丸だって、団蔵とデートしてくれば良いじゃない」
急に黙りこくったきり丸を見て、乱太郎はやっぱりと心の中で呟いた。きり丸は分かり易い。傍から見ると、これ以上分かり難い性格は無いというのがきり丸に対する見解の一つだが、乱太郎はむしろ逆だと思う。それは、きり丸が辛い時ほど明るく振舞う等、自分の内面と正反対の行動を取るから分かり難いのであって、その法則さえ知ってしまえば、きり丸を理解するのは簡単だった。
つまり今きり丸は、精神的にとても不安定な状態にある。そして、鎌を掛けてみて分かったけれど、その原因はどうやら団蔵にあるようだ。
「団蔵と喧嘩でもしたの?」
単刀直入に聞くと、きり丸は手を止め、何やら考え込んだ後に、こくりと頷いた。
「どっちが悪いとか、分かってるの?」
「多分あいつ・・・いや、俺・・・かな」
歯切れが悪い調子で、きり丸はぽつりぽつりと語り始めた。今朝、土井先生に言われた一言。それについて考えていたところ、団蔵に勘違いをされてしまった事。団蔵は、未だにきり丸が土井先生を好きだと思っている事。そしてやっぱり、未だに団蔵を好きな理由が見つからない事―。乱太郎は眉を寄せながら、腕組みをしてうんうんときり丸の話を聞いていた。そして聞き終わると、腕を解いてきり丸の顔を真正面から見つめた。
「それってさ、凄く簡単な事なんじゃない?」
「え」
きり丸は思わず動揺してしまう。
「だってさ、きりちゃんが団蔵に土井先生の事なんてもう何とも思ってない、って言えば良い話じゃない。きりちゃん、団蔵にはっきりとそう言ってあげた事あった?」
きり丸は思い返した。そう言えば・・・無い。
「無いでしょう?そりゃ、団蔵だって不安にもなるよ」
「でもさ、言わなくても俺の態度見てれば分かるだろ?」
きりちゃんあのね、と乱太郎はやれやれというふうに首を振った。
「言わなきゃ分かんないよ。態度で分かると思ったら大間違い。殊に相手はあの団蔵だよ?いつも直球ドストレートの団蔵が、行動から気持ちを慮るなんて事出来ると思ってるの?」
それは断じて否―、だ。きり丸は絶句した。今まで、きっと団蔵は言わなくとも自分の事を分かってくれていると思っていたし、恋人なら分かるはずだと思っていた。でも確かに、乱太郎の言っている事は正しい。きり丸自身は、人がそれを言葉にしなくとも、行動で相手の言っている事を理解する事を習慣にしていた。それは、大人になれば誰もが自然と身に付けるもので、戦争孤児が一人で世の中を生き抜く為の智恵だった。早熟なきり丸はそれをすでに身に付けていたが、だからと言って相手がそれを身に付けているとは限らない。
「それからね」
乱太郎は続けた。
「団蔵が好きな理由が分からないって言うけれど、それって分からないのが普通なんじゃないのかなぁ」
乱太郎は微笑んだ。
「私も一時期、善法寺伊作先輩を好きになった事があったけれど―勿論、そういう好きじゃなくて、憧れの方の好きなんだけどね―それに理由なんて無かった気がするよ。ただ何となく好きで、ただ何となく一緒にいたいって思うんだ。喜三太が蛞蝓を好きな理由だって、兵太夫がからくりを好きな理由だって、特にこれといった明確な理由がある訳じゃないと思うんだよね」
無言で下を向くきり丸に、乱太郎はそう、諭すように言う。
「だからさ、そんな事で悩む必要は私は無いと思うよ。それより―」
乱太郎はちらりと障子の外を見て、きり丸の肩を叩いた。
「きりちゃんは、今やるべき事があるでしょう?」
そう言って立ち上がり、障子に手をかける。
「じゃあ私、保健委員の仕事が残ってるから」
出て行った乱太郎と入れ違いに、申し訳無さそうな顔をした団蔵が、おずおずと部屋に入って来た。いつから居たのか、もしかしたら最初から居たのかも知れないが、きり丸はちっともその気配に気付く事が出来なかった。これは忍者として失格かも知れないと、自分の不甲斐なさに心中で舌打ちをする。
「・・・なんだよ」
「あのさ・・・、―ごめん」
顔を背けたまま、団蔵は小さな声で、はっきりとそう言った。きり丸は、はっとして団蔵を見つめる。
「俺・・・別に、お前を信じてないとかそういう訳じゃないんだ。お前がちゃんと俺の事好いてくれてるのは、半年も一緒に居るんだから分かってる。でも、さ、それと同時にお前の心の中から土井先生がいなくなる事も無いんだろうなぁって思うんだ。別に俺はそれでも良いんだよ―というより、仕方ない事なんだろうなって思ってる。俺が、もっと大人で器の広い人間になれれば、土井先生の影を追うお前ごと愛してやる事も出来ると思うんだけれど・・・でも俺は子供で・・・・だから努力はしているし、仕方ない事だって認めようと努めてるんだけれど」
あーあ、と団蔵は髪の毛を掻き毟った。自分でも頭の整理が付かなくなってきているらしい。
「仕方ない、仕方ないって分かってるんだ。でもやっぱり俺は―、お前には俺だけを見ていて欲しいんだよ!」
叫ぶように言った後、団蔵はこんな事言うはずじゃなかったというような表情を浮かべ、項垂れた。相変らず、言葉にするのが下手なやつだ。
「あ、そう・・・」
きり丸はそう言って、思わず顔を赤くした。これから言うべき台詞を前に、胸がどくどくと高鳴っている。何て事だろう、初めて団蔵と接吻した時よりも緊張するなんて。このまま言わずに済ますという手もあるけれど、この機会を逃してしまえば、もう自分は一生こんな事を口にしない気がする。きり丸は大きく息を吸って、一息に言った。
「俺はお前だけが好きだよ。土井先生の事なんて忘れた。もうお前だけが好きなんだから」
言ってしまった瞬間、かーっと頭に熱が上がるのが分かった。穴があったら入りたいというのはこういう心境を言うらしい。卒業してしまった綾部先輩がまだ在学中であれば、是非とも一つ、自分用の落とし穴を掘って欲しいとお願いしに行ったものを。先輩も喜んで、きり丸の為に素晴らしい塹壕を作ってくれた事だろう。団蔵の顔をまともに見れず、俯くきり丸の頭に何か柔らかいものが乗った。顔を上げると、団蔵の大きな手がきり丸の髪をわしゃわしゃと掻き回している。
「なん、だよ!」
「自重してんの、これでも。俺今嬉しすぎて、お前の事押し倒しそうだから」
そう言って顔を背ける団蔵の横顔は、真っ赤に染まっていた。きり丸は堪らなくなって団蔵に思いっきり抱き着く。
「う、お―!」
団蔵は思わず後ろに倒れた。団蔵の上に馬乗りになったきり丸は、いつもの生意気そうな顔で言う。
「こんな事、二度と言わないんだからな!ちゃんと覚えとけよ!まったくお前は鈍いんだから」
「分かってる」
団蔵はそう言って微笑んだ。
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銭を好きな理由は、幾らでも思い付く。