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水の器 鋼の翼番外1

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 2.

 路地を駆け抜け、ディマク達は警官を巻くのにどうにか成功した。
 ビルの物陰に身を潜め、ディマクは荒い息を幾度も吐いた。ゼーマンも全速力で走り抜くのは難儀だったようで、アスファルトに四肢をつけてへとへとになっている。
「ゼーマン。何も私に律義に付き合わなくてもいいのだぞ? お前は常人には見えないのだから」
〈何をおっしゃるか、ディマク様。私はあなたの忠実なるしもべなのだ。どこまでも主に付き従う、それがしもべというものだ〉
 地べたに胡坐をかき、ゼーマンはディマクを見上げて反論する。ディマクはふっと笑みを漏らした。ゼーマンとは、物心が付いたころからの長い付き合いだ。彼には、自分の肉親かそれ以上に信頼を置いている。
「相変わらずだな、お前は。お前のそんなところが、私は好きだぞ」
〈それは光栄だ〉
 ゼーマンは、がっはっは、と豪快に笑い声を上げる。冥府の扉を探すという大事な使命を帯びる重圧の中、磊落な性格のゼーマンは、ディマクにとっては気楽に付き合える存在だ。そんな彼に、ディマクは一つ聞いてみたいことがあった。
「なあ、ゼーマン。我らの神は、一体どのようなお姿をしているのだ」
〈我らの神のお姿、とは?〉
「私は命短い人の身だ。神の御業は、伝承でしか知らぬ。お前は精霊の身だ。神に一度はお目にかかったことがあるだろう?」
 ああ、とゼーマンは得心したようにうなずき、地べたから立ち上がった。手を上に力いっぱい伸ばしてこう答える。
〈我らの神は、この建物なぞよりも大きくて、強大な神だ〉
 ゼーマンが指したのは、十階建てのビルだ。これより遥かに大きな姿をしているなんて、ディマクには想像もつかない。
〈お姿は、私と似ているな。だが、私とは比べ物にならない神々しいお姿なのだ〉
「そうなのか。早くお会いしたいものだな、我らの神に。……その時は、みんなで盛大に祝杯でもあげるか」
〈祝杯か。それは楽しみだな。私のしもべ共も大層喜ぶことだろう〉
 ぱたぱたと、大急ぎで駆けてくる足音が聞こえた。それは人間のものではない、精霊の足音だ。ディマク達の前に現れたのは、冥府の扉の捜索に当たらせていたゼーマンのしもべたちだった。
〈ゼーマン様、ディマク様!〉
 猿の兵士が、二人の眼前で膝を突く。
〈申し上げます! これより西の方角に、冥府の扉を発見いたしました! 今からお二方をご案内いたします!〉

 猿の兵士に案内され、ディマクとゼーマンは冥府の扉の方へ向かう。また警官に見つかって追いかけ回されるのはこりごりだったので、彼らは人通りの少ない道を選んで進む。
 冥府の扉は未だ開かず、通常は遠くから気配を感じ取るのは困難だ。だが、ゼーマンのしもべたちが発見した冥府の扉は、ディマクにはこれ以上にないくらいに分かりやすかった。何故なら、冥府の扉のある地点に、巨大な塔が一つ立っていたからだ。空高くそびえ立つその塔は、例え何度道を変えても見失うことはなかった。
 シティ中から猿の軍勢が、ディマク達の元へ続々と合流する。遠くからでは人の気配でかき消されて分からなかった扉は、近づくに連れて存在感を増していった。 
「ここの人間は、何も気づいていないのか。のんきなものだな」
 開きかけた扉から漏れ出している、冥府の空気。それが、塔周辺で湧き起こった人間の負の感情と混ざり合って渦を巻いている。まるで地獄の入口にいるかのようだ、いっそのこと、何も知らない方が幸せかもしれない。
 感じ取れる負の感情のほとんどは、一般的に欲望と呼ばれる類の物だった。あの塔の中では何が行われているのか、見当もつかない。
 ディマク達は、塔まで残り数百メートルのところまでやって来た。その時だ。
「……何だ?」
 今の今まで忌々しいほどに晴れていた青空が、あっという間に漆黒の雲に覆い隠されていく。ゴロゴロと雷鳴が轟き、空気がビリビリと震えるのが分かる。
「ゼーマン、これは一体何事だ? おい、……ゼーマン?」
 ゼーマンは、ディマクの問いに答えてくれなかった。代わりに何ごとかを言いながら騒ぎ立てている。騒ぎは、周辺にいた猿の軍勢に連鎖するように伝わり、次第に大きくなっていく。
 猿たちは、喜びに満ちた声で口々に叫んでいる。冥府の扉が開く、神々が復活する、と。
 どす黒い空の一片から一筋の光が差したのを、ディマクは目の端で捉えた。ディマクはその方向……塔のある方向へ視線をやる。
――塔の上から降り注いた光が、何もかも吹き飛ばしながらこちらに向かってくるのが見えた。

作品名:水の器 鋼の翼番外1 作家名:うるら