散りにけり あはれうらみの誰なれば
「そんなに強いものじゃなかったらしいし、なにより仙蔵も頑張ってるしね。何日か寝れば歩けるようになると思うよ。」
「そうか…」
今は寝ているから会えないと伊作が告げると、ではまた明日にでも来ようということで、それぞれ部屋へ戻ることとなった。文次郎が先を歩く友の後ろについて行こうとすると、伊作が袖を引いて小さい声で引き留めた。
「あのさ、仙蔵、ずっと震えているんだ。毒のせいかもしれないけど…それだけじゃないかも知れない。」
「………」
「三日後には多分部屋に戻るから、注意してあげてね。」
それだけ言うと、伊作は前方を行く仲間に駆け寄って行った。文次郎は、暫く考え込むようにその場に立ち尽くしていた。
それから三日後。言われていた通りに回復した仙蔵が、学園へ事の次第を報告した。
「それは、なんと…」
その場に居る者が、一様に顔色を曇らせる。それほど惨い犯行だった。
「ただ、男たちは特に訓練を受けた様子もなく、素人のようでした。備えて行けば、捕えることも可能かと思います。」
仙蔵は背筋を正して、そう締めくくった。
「そうじゃなぁ」
「あの、そこで、出来れば私たちにやらせては頂けないでしょうか。」
「何と!?」
教師達が一斉にざわめき、学園長すら甲高い声で異を唱えた。
「お主はその男たちに怪我をさせられたのではないのか」
「はい、でも顔を覚えているのは私だけですし、それに、大事な仲間をひどい目に合わせたあいつらを、放っては置けません。」
「お願いします!」
重ねて、伊作が声を上げる。それから次々と名乗りを上げ、結果全員で頭を下げて嘆願する。一連の様子を見た学園長が、顎に手を添え思案するように、深く息を吐き出した。
「…わかった、それでは、先生の指導をよく聞きく事。危険と判断したら無理はしない事。これを必ず守る様に。」
「はい!」
学園長の采配に、一斉に顔を上げた生徒たちが声を揃えて声高に答えた。それから、教師の意見を中心に簡単な作戦をまとめ、決行は三日後となった。
「お前は参加しないのか?」
部屋に戻った仙蔵が、文次郎に問い掛けた。先程皆が名乗りを上げた時、ひとり声を上げなかったのを、仙蔵は気付いていた。
「いや、やるさ。」
「…なんだ、乗り気ではなさそうだな。」
仙蔵が低く落とした声で言う。仲間の為にと立ち上がっている今、素直な同意を得られないのが不快だった。声色に気付いた文次郎は、意味あり気に仙蔵を見て、再び逸らした。
「何だと言うんだ!はっきりと言え!」
「…お前は、本当に行くのか?無理しなくてもいいだろう。」
「馬鹿にするなっ、怪我ならとうに治っている。」
そうじゃなくて、と言い淀みつつ、文次郎は続けた。
「お前、今だって無理してるじゃねぇか。伊作に聞いたんだ。お前の様子がおかしいって。」
「な、何もおかしくなど無い」
「だから…そうやって、虚勢を張ってるところがじゃねぇかっ。」
かっと血が上り、仙蔵が文次郎の襟を掴み上げる。勢い睨み付けると、文次郎が視線を外して仙蔵の手を押さえた。
「―っ!」
ぐっと捕えられた仙蔵の手は、小さく震えていた。
「こんな様子で行けるのか?」
「私はっ…、私は男など怖くない、男と寝るくらい、できるんだ…っ」
仙蔵の言葉に、とっさに漏れそうになった声を文次郎は寸でのところで堪えた。帰りが遅いと仲間に声を掛けて探しに出ている間、仙蔵に何があったのかは知らない。報告では、記憶が曖昧だと言っていた。実際にそういう目に遭ったのかは知れないが、類似するような行為があったのだろう。文次郎は何と声を掛ければよいか迷った。
「…無理するな」
「うるさいっ出来ると言っているだろう!」
叫びに近い声を上げて、仙蔵は掴んだ襟を力任せに引き寄せ、噛み付くように口付けた。
「ほらな。お前とだってできる。…なんてことは無いんだ。」
放心したように呟く仙蔵の瞳からは、透明な滴が溢れ、幾筋も白い頬を伝って落ちていった。文次郎は、仙蔵の泣く姿に戸惑い、結局はただ黙って仙蔵の頭を抱えて抱くことしかできなかった。
いよいよ作戦決行の日となり、仙蔵は必要な道具を揃え、身に付けた。決定から何日も無かったので、毎日作戦について相談をし、何度も確認を行った。文次郎は、あの後は特に異論を唱える事も無く、割り当てられた役割や内容も、前日の夜にはきちんと覚えていた。開始は日暮れを待ってから。いつもの面子で、い、ろ、はの組毎に二人組みとなった。そろそろ時刻となる。門のところへ集まった仲間の顔を見渡して、仙蔵は一つ頷く。やがて響く鐘の音を聞いてから、それぞれ三方へ散った。仙蔵は、文次郎と共に夜陰に乗じて学園を出て、頭に記憶した道筋を辿っていく。程なく目的の場所へとたどり着くと、辺りの茂みに身を潜めた。こうしてくると、意外に近い距離だったと気付く。
「とりあえず、一旦ここで待機だな。」
二人で身を隠すのに充分な場所が無く、少し手狭な所に身を寄せるように並び屈んだ。あの日以来、忙しさと気まずさで、二人きりでまともな会話をしておらず、思いの外近い距離の決まり悪さを誤魔化すように、仙蔵が口を開いた。
「お前、ちゃんと気持ちの整理はつけて来たんだろうな。」
「何の事だ。」
「この前みたいに、私がどうとか、そんな事を言い訳にされては迷惑だと言っている。」
文次郎は、それか、と呟いて、前方を見ていた視線を、ちらと仙蔵に向けた。
「今度は、俺がお前をちゃんと守ってやる。」
「……何言ってるんだ、私は、お前に守ってもらう程、落ちぶれていないぞ。」
文次郎は、先日の迷いのある物言いとは異なり、しっかりとした口調で答えた。口当てで表情を窺い知る事は出来ないが、唯一見える双眸は仙蔵が躊躇う程真剣だった。
「ー動いたか。」
「あっあぁ、そうだな。」
前を見据えた文次郎が、息を潜めて身構えた。懐の内の苦無を確かめる。仙蔵が慌てて藁葺きの民家に目を凝らしたその先で、古びた戸ががらりと開いた。左右を窺い、中から男が一人出てくる。まだ、もう一人いる。先に姿を表した男の後ろで、戸に手が掛けられるのが見え、得物を握る手に力が篭った。そして残りの一人が半身を外に表した瞬間、短く息を吐き出した。
「行くぞ。」
仙蔵の合図で二人同時に地面を蹴り、男達に飛び掛った。音に気づいた二人が、刀に手を掛ける。
「なんだってめぇら!」
答えてやる義理などない。仙蔵は、無言で得物を構えた。文次郎はもう一方の敵と対峙している。仙蔵の相手は、自分を手篭めにしようと襲い掛かった方の男だった。相手に合わせて呼吸を計る。低い姿勢で間合いを詰め、懐に飛び込んだ所で腕を振り上げた。
「うあぁ!」
手応えは半分。切先は眉間を掠める程度で、寸での所で躱されてしまった。さらに男の闇雲に返す刀で口当てを裂かれ、布がはらりと垂れ落ちた。
「おめぇは…」
見開かれる目はやがて野卑に細められ、あの、舐める様な視線を仙蔵に這わせた。自分を見下ろす、好色な目付きが蘇る。
「またやられに来たのか?好きもんだなぁ。」
舌舐めずりでもしそうな賤しい声が耳に届き、仙蔵の身体が一瞬強張る。顕著な反応を見た男は一層賤しく笑みを深くし、言葉を重ねた。
作品名:散りにけり あはれうらみの誰なれば 作家名:hnk