牧師とVampir
しばらく話を振っても『信じねえよ』といい続けるのでこれは長期戦になると踏んだウーリッヒは一度部屋を出て温かなミルクを二つ手にして戻り、もう一度ゆっくりと促した。
貴方の話を聞かせてください、と。
あ、もちろん傷に響くなら今日は引きますと押して引いてをしてやっと重い口は開かれた。
やっぱり『信じないと思うけどな』と一言を付けてだったが。
彼の話はこうだった。
憶測通りやはり彼はVampirであり、ここよりずっと遠くの土地から来た者だそうだ。
そしてとても長い時を経たとの事だ。
その遥か昔は人間とVampirは仲良くしていた時代もあったという。
Vampir、吸血鬼は寿命がそもそも桁外れで人間の一世代二世代は余裕で見届けてきたそうだ。
いつの頃から人間と吸血鬼が仲良くしていたかは彼にもわからないが、終わりは覚えているそうだ。
「まず、恐怖ってなんだと思う?」
「恐怖‥ですか?」
突然話が変わった事に一瞬ついていけなかったが彼は答えを急いでいないようだ。
う~んと少し考えてから口にする。
「高い所とある初老の男性みたいな方でしょうか‥」
「それがお前が経験かどこかで学んだ事、つまりは知識なんだよ」
経験が人を強くもするけど弱くもする。
それは知識が人間に莫大な影響を与えるからだ。
例えば食べ物で苦しんだり死に掛けた人間は食べ物に畏怖をもったり、逆に異常な執着心をもつようになるだろう。
人によってそれはお金だったり対人間だったり外敵だったり。
恐怖はイコール自分の過去になんらしかあった事。
つまり知識があるからこそ感じるモノだという。
だから五歳児の恐怖と二十歳の恐怖、三十路と更に歳を重ねれば知識は増え恐怖は変わっていくと彼は言った。
そして彼は言った。
人間と吸血鬼が仲良く出来ていたのはひとえに人間が無知であり無垢であったからだと。
たぶん生物として吸血鬼は完成された生き物であり人間は成長途中の生き物だったのだ。
そして人間は進化する事を望んでしまった。
村から街、国が出来、そして支配する者に支配される者。
まずは食欲が満たされる生活基盤が出来ると次に物欲が出始める。
欲は人の進化を著しく発達させたが欲だけに塗れると今度は争いが起きる。
そうすると今度は人としての道徳心から宗教観など色々な思想が確立しはじめた。
すると今まで仲良くしていた人間がよそよそしくなってきた。
たぶん、ここからニンゲンは人外の力を持つ者達への恐怖をもちだしたのだ。
教育する事で学ぶ善悪。そして今まで見ていた吸血鬼と人間の力量の差。
実際人間と見た目は同じでありながら吸血鬼の存在能力は人間の比ではなかった。
その事への妬み不満などがじわじわと浮き彫りになってきたのだ。
世界が広がる事で見える自分の器と不公平さが人間と吸血鬼との間に隔たりを作り出していった。
また一部の上層部にいる人間にとって吸血鬼という存在は疎ましかったのだろう。
人間間での争いから目をそらす為にもうってつけでもあったのかもしれない。
色々な思惑があったのかもしれないが彼はすべてを把握しきる事は出来なかったらしい。
すべては後々の憶測でしかないと言う。
そして日に日に溝が深まる中、とうとう決定的な事件が起こってしまった。
それまでずっと人間と対話による交渉をしていた吸血鬼サイドの長老が殺害されてしまったのだ。
これに若い衆は完全に切れてしまった。
今までどれ程人間に貢献してきたと思っているのだ。
それの結果がこれか?
ふざけるな、報復せよ!
恩知らずの人間どもに報復せよ!!
だが残った老人達はそれでも人間と寄り添う事を願った長老の意志を汲んでくれと訴えるのだ。
最後まで昔のように戻れる日を願った長老の行動を無駄にしないでくれと。
ここまで聞いていたウーリッヒは、彼は人間こそが純粋無垢だというが吸血鬼も同じく純粋無垢だったのではないかと思えた。
いやむしろ人間よりずっと純粋な生き物だったのではないだろうか。
だって無垢な人間など無防備すぎる。
外敵にすぐ滅ぼされてしまうかもしれない中、圧倒的な力を持っていながら人間を庇護対象とした吸血族。
そこにどんな絆があったのかはわからないが長い年月を継続していくその心は無垢なものだったのではないかと思えた。
だが人間が進化を遂げてしまったように吸血鬼にも進化を迫られてしまった。
頑なに人間を信じ続けようとした無垢な吸血族と敵意をもってしまった吸血鬼。
賽は投げられたのだ。
そしてその悪意を持った吸血鬼を見て更に火が付いたのが人間達だ。
‥自分たちが焚き付けたのに。
大切な長を惨殺されてもまだ人間に付き添おうとする吸血族がいたのに。
『とうとう本性を現した!』
『やっぱり人外の者は敵だ!』
『人間の敵だ!』
『神の名の下に』
『聖戦だ!!』
ウーリッヒは人間だ。
そして神の子として仕えている。
だがこれはなんと愚かな話なのだろうか。
自分たちの家族を、そして同属を守ろうとしてした事なのかもしれない。
だがこれは恐怖と欺瞞に満ちたなんと醜い話なのだろう。
「貴方は、その時どちらについたのですか?」
また無神経な質問を一つ投げる。
嫌な過去を話している割には意外や意外。
今までの表情が嘘のように無表情になった彼はぽつりと答える。
「どちらにもついてない」
「どちらにもですか?それはそれで大丈夫だったのですか?」
「‥‥その時は母さんについてただけだったしな」
つまり老人吸血族のように人間に付くように考えた世代でもなく、ましてや若く活気盛んな世代でもなく更に子供時代の話だったのかもと予測した。
「ただ、仲間は大切にしろってよく言われてた」
まるで人形のようになった彼の口がするりと言った。
真っ二つに分かれてしまった仲間を前に彼は何を思っただろうか。
これ以上今日話を進めてもいいのかと多少悩んだが彼はまだ話す気でいるみたいだった。
話をゆっくりと促した。
と、言っても彼はそこから先の事はよく知らないようだった。
ただ、報復に出た若い吸血鬼に老人吸血族が人間をかばうもその人間には良いも悪いも区別が付かない。
善悪まみれた酷い惨事があったとだけぼんやりと伝え聞いただけだそうだ。
その時すでに彼は母親と一部の仲間達とその場を離脱しており難を逃れていたとの事。
だからそこで人間を俺は襲ってねえと言われた。
どうやら先ほどの私の言葉を根に持っているようだった。
そこからはしばらく母親と少しの仲間とで旅をしていたそうだ。
でも人間に自分たちが吸血鬼だとばれると大変だったそうなので素性は隠し、一定の場所での移住は出来ないなんとも不安定な生活をしたそうだ。
やはり吸血鬼と人間との争いの件は人の伝達によって回ってしまっていたようだった。
それは聞くに堪えない誇張された眉唾ばかりなのに人の間ではまかり通っていたそうだ。
仲間たちは人間のそのような言葉一つ一つに傷ついていたのが切なかったと彼はぼそりと言った。
それはそうだ。
人間の為に動いてくれた者達まで暴虐無人な言われようはないだろう。