空と太陽を君に
肩に触れられたアスランの手にぎゅっと力が篭る。
「そうじゃない。そうじゃなくて…シン」
もどかしそうなアスランに、シンの方が苛々と眉を寄せた。いつもシンには伝えたい何かが伝わらない。
「何が言いたいんですか、アンタは」
不機嫌なシンの顔を見下ろして、アスランは迷う。こんな事言うべきなのかどうか。シンの気持ちはいつもいつも、今はここにいない少年の元へと流れ続けるのだ。それが悪いことだとは思わない。
けれど、今のシンは…。
アスランはき眉根に力を込めると押し出すようにして言った。
「レイのことは…もう忘れろ」
「なに…」
予想していた答えとは違ったのだろう。シンは驚いたように目を瞠ったまま薄く唇を開いた。
「お前がレイのことを大切に思っていることは知ってる。友達で誰よりも大好きなことは、俺にだって分かる」
アスランにもキラ・ヤマトという存在がいる。
シンは震えた。
きっとアスランは今、とんでもなく自分が聞きたくない言葉を言おうとしている。それだけは分かる。
全身に鳥肌が立った。
(言うな…)
揺さぶられる肩が酷く重い気がする。
(言うな…っ)
「けど、レイはもう死んだ。死んだんだっ」
「………ぃ」
「それを必死で探しても、傷つくのはお前なんだぞ、シン!」
「うるさいっ」
「…っ」
パシンと乾いた音がして、シンの肩に乗せていた手が払われた。
「シン…」
「アンタには分からない。何もかも持ってて自分の思う通りにして…帰る場所があって…待ってる人がいる…そんなアンタにはわかんないよ!」
思わず張り上げた声に、ビルを行き交う人々が振り返る。しかしシンはそんなこと構ってられなかった。
「全部、自分たちの思う通りにして認められない奴は殺して、何もかもぶっ壊してアンタたちは満足なのかよ!」
遺された人たちはどうする。
示された道に希望を見出した人はどうする。
「シン…」
アスランには反論することさえできない。
奪ったのは自分たちに他ならないのだから。
一瞬の激情に乱れてしまった呼吸を落ち着けるように、シンは何度も荒く息をついた。そうすると落ち着いたのか少しだけ視線を和らげて言い切った。
「レイは…生きてます…ちゃんと」
「………」
「オレ…約束…したから」
アスランは払われた腕をもう一度、シンの肩に触れさせて俯いて笑うシンを物も言わずに引き寄せた。
「アス…ら…」
ぎゅっと抱きしめられて、何が起きたのか一瞬分からずにシンは息を止めた。
「俺ももう決めた。シンやルナマリアと一緒にプラントに戻ると決めた日に全てから…シンからも逃げないって決めた」
自分とよく似たシンの存在は、まるで在りし日の自分を見ているようでとてもじゃないが向き合うことには多大な勇気が必要だった。
それでも、固まってしまったシンを抱きしめて根気強く耳元で囁く。
「さっきの質問も…今はお前が納得するだけのこと答えてやれないけど…ちゃんとお前が頷いてくれるように…するから」
「アスラン…さん」
こんなプラントの中心で、議会のビルの真ん前で何をやっているんだろう。分からない。でも久しく感じなかった誰かの力強い腕に触れて目を閉じて細く息を吐くのだった。
どうして、あの日あの時…アスランはこの言葉を自分にくれなかったのだろう。
逃げないと。
今更そんなこと言ったってもう遅いことは多分シンもアスランも分かっているのだ。
「………」
何か言葉を紡ごうと口を開いたその時だった。
「シン…シン!」
ビル内部から走ってくる人影が大声で自分の名前を連呼しながら走り寄ってきたのを見て思わず引いた。しかしよくよく確認すると見知った顔だ。
すっきりと切りそろえられたショートカット。赤い軍服にピンクのミニスカートを翻して駆けて来る。
「ルナ…?」
「ルナマリア?」
二人の傍まで駆け寄るとルナマリアはゼイゼイと肩で息をしながら膝に手をついた。
「ああ、良かった…受付で聞いたらアンタもう帰ったって言うから…っ」
「大丈夫かよ、ルナ」
シンがアスランからそっと離れてルナマリアの肩に手をかけ覗き込むと我に返ったように彼女は勢いよく顔をあげた。
「そうだ、大変なのよ!」
今度は逆にルナマリアの手がシンの胸倉を掴んでゆさゆさと揺さぶる。シンは油断していたせいか、まんまと首を絞められて、余りの苦しさに眉を寄せ、ルナマリアの手を引き剥がそうとした。
「だっ、だからなにがっ」
「レイよ、レイ!」
レイの名前が耳に飛び込んできて、思わず動きが止まった。それと同時に思考すらフリーズしてしまったような錯覚さえ覚えてシンはぎこちなく必死に言い募っているルナマリアの顔を見下ろした。
「れ…い?」
「そう!今、プラント全市民規模で市民IDのチェックと生活水準調査をやってるのよ。そこに一人、知り合いがいるから頼んでたの。レイはMIAになってるから市民IDがない筈なのよ。だからどこにも登録されてなくて金髪碧眼無口の奴がいたら知らせてって」
余りの情報に固まって動けないシンの傍らにいたアスランがルナマリアの腕を掴んだ。
「本当なのか、ルナマリア」
「分かりませんけど、少し体が弱ってるみたいなことも言ってましたし…でも、確かめないと」
「ルナ…それどこ?」
「えっと…それが…アーモリー1の港をぐるっと回った商業地区を超えた所らしくて。これ一応その人のデータ…ってシン!」
「シン、待て!」
ディスクをひったくる様にして受け取り、会話が終わる前にシンは迷わずルナマリアから手を離して駆け出していた。迎えの車の横を通り過ぎて、駐車場の一番端の駐輪場まで駆け寄ると数台のバイクが置いてある。その内のキーがささったままの一台に跨るとスロットルを回してエンジンを吹かせた。止めようとしたアスランの言葉も聞こえないのか、直ぐにビルの門を潜って走り去ってしまった。
「シン、こら!ちょっと待て!確認してから動かないとレイは…!」
「アスラン!」
アスランが慌てて追いかけようとする腕をルナマリアは瞬間的に掴んで、彼の行動を阻んだ。それと同時にシンが乗るはずだった車の運転手がエンジンをかけて発進させる。車は直ぐに見えなくなってしまった。
「ルナマリア、シンを止めないと…保安部が動く」
「待って下さい。あの子の好きにさせてあげて」
「何を…」
「アスランだって気づいてるでしょう?プラントに帰ってきてからシン、一度も本気で笑ったり泣いたりしないんですよっ?」
縋るようにアスランの腕に抱きついて、ルナマリアは叫ぶ。ずっと言えなかった。一人きりで溜め込んで、誰にも相談することも出来ず、ただ寄り添うしかなかった。それでもシンは…。
「メサイアが落ちたときに…あの子の心も死んでしまったんです。人間らしい笑ったりとか泣いたり怒ったりとか…あの子何時の間にか嘘ばっかり巧くなって…誤魔化すことばかり上手になって…心はあの時に置いてきてしまったままなんです」
月面の上で只寄り添って泣いていたあの時のあの場所に置き去りにしてしまった。
「私達が必死で積み上げてきたことを今、全部否定されて…否定するために動いて、それでも頑張れるのはあの子の心に、まだレイがいるからなんです」
「ルナマリア…」