空と太陽を君に
だからレイの言葉が聞きたかった。他の誰かではなく、レイ自身の言葉を。
ラダーを下りる前に一つだけやる事があった。ディスクの中味を確認することだ。シンは貰った小さなそれをインパルスに内蔵されているコンピューターに入れて起動させる。中味はファイルが一つ入っている。自然と胸が昂ぶった。自分がどういう風に今、思っているのか判別がつかない。嬉しさもあるだろう。しかし、漠然とした不安がその喜びを大きく包み込んでいた。
もしも…もしも違ったら。
そう思うとファイルを開こうとする指が震える。シンはモニターをじっと睨みつけるようにして見つめ伸ばしかけた指を自分で自分を奮起させるように一度強く、握りこんでスイッチを押した。
ファイルは音もなく開かれて、小さなモニターの中に文書が映し出される。シンは意識を集中するように嘆息して文字を目で追った。
それはどこかの地図と座標のようだ。
レイに似ているとされた少年の容姿と現状、また現住所が記されてある短い文だった。
『強くなれ、シン…』
まるで血を吐くようにレイは言った。その言葉を噛み締めるように何度も心の中でなぞってシンはコクピットのハッチを開く。オフラインにする前に自分にしか動かせないようにロックをかけた。
ラダーに足をかけて、ゆっくりと降りると幾人かの整備班の人間が興味深そうにこちらを見つめている。しかし保安要員と思しき人間はいない。
どうしてだろうと首を捻った。
けれど今はそんなことを確認している余裕もない。ただ、この記された場所に飛んでいきたかった。しかしインパルスは居場所が市街地のようなので留守番だ。いっそ許可を取れば良かった。そうすればこんな、まどろっこしい方法を取る必要もなかったのにと唇を噛んだ。
ラダーが床まで届く前にシンは途中で飛び降りた。ブーツの踵がカツンと鳴ったがそんなことは気にしない。ここの責任者と思しきグレイの軍服を着た男が近づいてくるが、シンは自分から小走りに近寄った。
フェイスの徽章を見て、男が先に敬礼したので、シンも慌てて腕を上げる。
「国防委員会直属特務隊フェイス所属シン・アスカです」
「どうも、アーモリー1第三工廠の現場指揮官であります」
きびきびとした言葉遣い、落ち着いた物腰で彼は告げるとなぜかシンが口を開く前に頷いて見せた。
「国防委員のアスラン・ザラ氏から貴方に車を用意するようにと言付かっています」
その言葉に目を剥いたのはシンだ。
「アスランさんが?」
まさかここでアスランの名前が出てくるとは思わなかった。いつも彼は自分の言うことする事、全て反対してきたというのに。
「ええ、まあ。後から御出でになるようなことも仰っていましたが…取り敢えずどうぞ、こちらです」
「あ…はい」
促されて歩き出した先に一台のジープが止まっている。一人は運転席に乗り、もう一人の兵士はジープの傍らに機銃を背負って立っていた。シンと指揮官を見ると姿勢を正して敬礼する。それに返しながら、シンは隣の男を見上げた。
「あの、これは…」
「どうぞ、お使いください。何かあっては困りますし貴方の護衛にと」
「でも、自分は…」
勝手にやってきただけだと言うのに、こんな…。
「こちらも、上からの命令でして」
言葉を濁して苦笑した男にシンは、これ以上迷惑はかけられないと頷いた。
「ありがとうございます」
シンは礼を言うと、ジープの助手席に乗り込んで直ぐに運転手に向かって手短に行く先の説明をした。もう一人の兵士が後部座席に乗り込んだのを確認して車が滑るように動き出した。
そこは市街地の僅かに外れにある、森の麓の小さな集落のような所だった。
その入り口を少し入った所でジープは止まった。軍用車のせいかこの穏やかな場所には酷く不釣合いの気がした。
「こんな場所があったなんて…」
シンは目を丸くしながら周囲を見回した。
湖が一面に広がり、その裾野に木々が深々と埋まっている。アーモリー1は、どちらかと言えば軍事目的を主としたコロニーだったと思っていたが、どうやら車を一時間ほど走らせ市街地を抜けると人工的とは言え自然に溢れた場所が在ったとは少々驚きだ。シンはインパルスのテストパイロットもしていたせいか比較的長くここに居たが余りこういう場所に来たことはなく以外だった。
しかも工廠が連なる地区を出ると賑わった商業地ばかりと思っていた。実際、買い物にもよく出かけていたのだ。
そんなささやかな記憶が脳裏に浮かんで、シンは慌てて首を振ると意識の外へと追い出した。今はそんな感傷に浸っている場合ではないのだ。
(レイ…レイを探さなきゃ…)
ドアを開けて車を降りると、後部座席に座っていた兵士も後に続く。シンは振り返ってそれを制した。
「自分一人で行きます」
「いえ、しかし」
「こんな平和そうな場所に…武装した兵士が踏み込んできたら、どうしたのかと思われる」
「もし何かあったら…」
シンは首を捻った。
何かあったら?
何もない。だって、レイに会いに行くだけなのだから。彼を迎えに行くだけなのだ。何かある筈なんてない。
「どうしても困ったら、呼びますから。だから…ここにいて下さい。これはフェイスとしての命令として受け取って貰います」
シンはそれだけ言い切ると、顔を強張らせている兵を置いて歩き出した。
平屋建ての小さな一軒家が続く道を、頭に記憶したそのレイに似た人物がいるという人の住所と照らし合わせながら足早に進む。プラント市民が幾らザフト軍と密接な関係にあっても、途中ですれ違う住民たちは何があったのかと一様に驚いた様子でこちらを振り返ったが、気にせずにひたすら進んだ。
どくどくと近づく度に胸が高鳴った。それと同時に薄暗い色をした不安に押しつぶされそうになる。
もしも違ったら…。
もしも、レイじゃなかったら…。
肩を知らず知らず怒らせて歩く。
もしも、もしも、もしも…。そればかりが脳裏に浮かんでは消えて足を踏ん張っていないと崩れ落ちそうだった。
森に入る手前に大きな公園がある。そこには遊具が置いてあって子どもの遊び場にもなっていた。更にその向こうには大きな湖があり、その周囲には幾つかコテージが建てられ、テントが張ってあり、キャンプも出来るのだろう。随分とのどかな、どこにでも幸せな生活が転がり落ちていそうな、そんな場所だった。
ずっと以前、オーブにいたときも…妹と一緒に落ち葉を拾って、ふざけあって…失くしてから気づくとても優しい時間だった。それがここにはある。
シンは思わず足を止めて人工の太陽が水面をきらきらと反射させているのを見つめた。眩しくて目を眇めた。
足を踏み入れていいのだろうか、自分が。この優しい空間に。
「………」
『あ、それならルナやヨウランとかも誘って行こうよ。山にしよう山に。テント張ってバーベキューする。外で食うと美味しいんだよな。只の肉なのにさ』
『それじゃあ、二人にはなれないな』
あの時に聞いたレイの声も言葉も、こんなに覚えている。一言一句、違わないようにレイの言葉だから…何時の間にかちゃんと覚えて。
(約束…したよ、レイ)
約束を彼が守らなかったことなど、ない。