空と太陽を君に
「それも、あるかもしれない。…逃げたくなかったし。でも本当は凄く怖かったんだと思う。けど俺は俺が選んでザフトに入ってインパルスに乗ったから…デスティニーにも乗ったから…」
「…幾らきみが闘ったからと言ってもきみは一兵士だ。上の命令に従うのがきみの仕事でもあるだろう?」
「そう…思うよ。でも俺はもう誰も死なせたくなかったから…でも守れなかった」
変なの。
力が欲しくてザフトへと入ったのに、結局なにも…守れなかった。
「逃げ出したいって思うたびに、父さんや母さんやマユやステラのことを思い出してた。だから逃げたら駄目だって。そう思えた」
パンパンと叩いて皺を伸ばすと傾いて置いてある白いブーツをしゃがみこんで履いた。これを穿くと、不思議ときりりと引き締まった気分になる。
軍服とは不思議なものだった。それを着ただけでモチベーションが上がるのだから。
「真面目過ぎるんだよ、シンは」
「そんなことない。多分…びっくりするよ、先生」
「何がだい?」
「オレそんなに真面目じゃないし、戦争を無くしたい平和で誰も死なない世界を作りたいって気持ちも本当は凄く個人的なことが発端だし。それに…今のオレはもっともっと我侭なことが理由だから」
悪戯っぽく微笑むシンに医者は首を傾げた。
「理由は…訊いてもいいのかな?」
「内緒」
「…そうか。それなら訊かないよ」
寂しそうに頷いた医者は見ない振りだ。シンはコツコツとブーツを鳴らして彼に近づくと、ひょい掌を差し出した。その以外と小さな手を見下ろして医者は溜息をつきながらもパソコンからディスクを取り出してケースに仕舞い、その上からペンでサインを入れると不承不承といった風に掌へとのせた。
「ありがとう、先生」
「困ったことがあったらいつでもおいで。…ただし診療しなければならないような事態は駄目だよ」
「うん、そうする」
じゃあ。
シンは姿勢を伸ばすとぴっと敬礼をしてそのまま白い診察室を静かに後にした。その背中を見送りながら三ヶ月ほど前、軍の医療チームのスタッフに付き添われて久しぶりに姿を現した彼のことを思い出した。
目に生気はなく、泣きはらした瞼が酷く腫れて誰かに支えてもらわないとロクロク立てもしなかった。まるで二年前の彼を見ているような、そんな悲しさにどうしようもなく胸が痛んだものだ。
それが漸く落ち着いたと思ったらまた戦場に還るという。もう二度と彼を診る日が永遠に来ないように祈るしかない。
ぎしりと革張りの椅子を軋ませて、医者は背中を預けると目を閉じて深く息を吐いた。
『なぜ分からないんだ!デスティニープラン成功の後に必ず人類に明るい未来があると!』
彼らはわざと全回線を開いている。何のために仕掛けられた闘いかを自分に知らしめるためだ。しかしシンはただ黙ってザクファントムの操縦桿を握る。
『裏切り者が!貴様らは誰よりもデュランダル議長を支持していたではないか!』
目まぐるしく変化する状況。母艦が無事かどうかメインカメラのモニターで確認しながらシンはビームライフルをかまえた。
突然の奇襲。ゴンドワナも応戦していた。
艦に取り付こうとする機体に照準を合わせてトリガーをひく。気づくのが遅れたザクの胸部をビーム砲が貫いた。
『裏切り者があ!』
まるで血を吐くような声に、僅かに眉間に皺を寄せる。
コクピット内にアラームが鳴って、ロックされた事に気が付くとフットペダルを踏みながらスロットルを開きバーニアを一気に加速させた。
流石に改良しただけあってスラスターの馬力が違う。空を切るビーム砲の光を目の端に捉えてシンはただ無言でトリガーを引き続けた。
爆音は聞こえない。ただもくもく煙が上がり爆散した機体を確認する。
その繰り返しだった。
「誰の指示でこんなことを!」
『聞かれて答えると思っているのか』
ビームサーベルを振り下ろされる閃光を、機体を傾けることで回避して、シンは思いっきりジンのコクピット部分を蹴り上げた。
脚部すら鈍い振動が伝わってくる。
「やめろっ、なぜコーディネーター同士で争う必要があるんだよっ」
『裏切り者の貴様にはわかるまい。デュランダル議長が正しいということが!』
脳裏に、いつも穏やかなギルバート・デュランダルの姿が浮かんでは消える。自分を認めてくれた人。自分の力を必要としてくれた人。シンは今でも…彼を信じている。
「議長はこんな争い、望んでなんてない」
機体のバランスを崩したジンはシンのザクに取り付こうと猛スピードで突進してきた。瞬間的にシンは彼らの次の行動を理解した。武装を失った機体がやる事など、只一つだ。
「よせ…やめろっ」
『裏切り者には死を…!』
思わず機体を返して、その場から飛び立とうとした刹那、腰部を衝撃が襲う。
「うあっ」
取り付いたジンの頭部のランプがチカチカと点滅する。覚えのある光だった。
(自爆…っ?)
「やめろっ」
思わず叫んでいた。
なぜこんなに簡単に死を選ぶ。
どうして…!
死ぬのが怖くて必死に足掻き、生きたくても生きられない人たちだっているというのに。
「どうして、そんな簡単にっ」
自爆した衝撃をまともに喰らえばシンの乗るザクは軽く吹き飛ぶだろう。こんなとき、インパルスなら…シンはぎりりと歯噛みしてビームアックスを抜くと勢いをつけてジンの頭部を薙ぎ払い、拘束する腕が緩んだ隙に、思いっきり蹴り飛ばしてバー二アを吹かせた。
『デュランダル議長ぉぉお!』
「くっ…あああ!」
悲痛な叫びと同時に、ジンは爆発しその勢いが殺せぬままザクファントムは吹き飛ばされる。フットペダルから足が離れて瞬間的に宇宙空間を漂った。
その刹那、開かれた回線にゴンドワナから通信が忙しなく入ってきた。
『アスカ隊長…』
『アスカ隊長、無事ですか!』
『シン…無事なのっ』
最後の一つは大急ぎで駆けつけてきたザクからだ。
いつも耳に届くその声に、シンは軽くブラックアウトしていた頭を振って無理やりに覚醒させた。
「へいき、大丈夫だ」
『さっきのが隊長機だったみたいね…戦闘、どうやら終わったわ』
声には安堵の色が滲んでいる。
「ルナは怪我ないか?艦も…」
『艦も私も平気よ。シンは?本当に大丈夫なの?モニターで見てたら結構、吹っ飛ばされてたわよ』
そうだろうなと思う。
無重力状態だがシートに叩きつけられた体の痛みが引かないのだから。それでもシンは漸く機体を立て直すと戦場になった宙域を見回して愕然とした。
数機種、十数機に渡るザフトのMSが煙を上げながら漂っている。中にはヘルメットも浮かんでいた。
(どうして…こんなこと…っ)
世界はまるで何も変わってなどいない。何も変わってなどいないのだ。もしかすると、なお深く混沌へと向かっているのかもしれない。
シンの胸に『裏切り者』と痛みを伴う言葉だけが、遺った。
***
「ふ…あ…」