空と太陽を君に
ブラストシルエットはどちらかと言えば対艦、対基地掃討戦等を想定して作られた機体だ。アーモリー1に行くときは止められたら艦でも何でも攻撃して押し通るつもりで選んだので、こうしてMS戦になると断然不利なのだ。任務中は艦に置いていたインパルスも暫らく出撃がないからとアプリリウスの軍事工廠に預けたのが間違いだった。こうしてアスランがシンの乗っている艦で迎えに来てくれたはいいが、肝心の予備パーツがアプリリウスにごっそりと移動している。
『シンっ』
生け捕りに…のつもりがどうやら、そんな余裕がこちらになくなってきた。相変わらずザフトの兵士もMSも強い。
誘導機能がついたランチャーに撃墜されジンが爆散するのを目の端に捉えて、眉を寄せる。
「ルナ、右から回り込むから!」
『分かったッ』
ビームシャベリンを抜いて、シンが一気に加速する。
(殺さないように…)
「って、そんな簡単に出来るかよ!」
インパルスの急な加速に反応が遅れたジンの手前でフットペダルを離して、シャベリンで両肩の付け根からごっそりと切り飛ばした。それと同時にコクピット部分を思いっきり蹴っ飛ばして衝撃を与える。気でも何でも失ってくれればいい。それで自爆などできない筈なのだ。
左手から回り込んだルナマリアもシンの背後の敵のメインカメラを打ち抜いた。宇宙空間をふわふわと漂うMSの残骸に目を細めてシンは辺りを見回した。粗方、片付いただろうか…ふと息を吐いた瞬間、今度はヴェサリウスから回線が繋がった。
『シン、艦に!』
慌てて振り返ると隊長機らしき機体がヴェサリウスに取り付こうとしている。ヴェサリウスも砲門を開いて応戦しているようだが、随分とスピードの速い機体は回避しつつも、艦に接近していた。
「ちっ、この…っ」
レイが…、そこにはレイが乗っているのに。急いでバーニアを吹かした刹那、またも回線が開かれた。
「今度は何だよっ」
『シン・アスカ、なぜ裏切る!』
今度は、やはり隊長機からの通信だった。
『なぜ、お前が…デュランダル議長の望んでおられた世界を一番強く願っていたお前がなぜ裏切るっ』
ビーム砲を撃たれざま、シールドで弾き返したシンだが完全に足が止まっていた。どくどくと心臓を打つスピードが早くなっている。
乾いた唇でぽつりと問い返した。
「うら、ぎ…る?」
『議長の思いを…なぜ裏切る…!!』
議長を、レイを…裏切っているのか?
誰が?
シン…お前が、だ。
それは確かに赤い軍服を着た、レイの声だった。
「レ…イ」
脳裏に彼の姿が浮かんでは消える。シンはぶるぶると幻影を振り払うように頭を振った。
『………』
なぜ、裏切る。
お前が願った世界を作るためなら、どんな敵とでも戦うと言っただろう。
例え、俺でも…。
「………っ」
びくんと体が揺れた。スロットルとレバーを握る指に力が篭る。その指が細かく震えるのが止められない。感じたのは恐怖だった。
「あ…あっ…」
― アンタが、裏切るから!
それは遠くて近い過去、アスランに向けて放った言葉だ。今、自分はまさか彼と同じことをしようとしているのだろうか。レイの思いをデュランダル議長の思いを踏みにじって?
「ちが、う…」
『シン、どうしたの?シン…っ』
心配そうなルナマリアの声も、今のシンには届かない。ずっと心の奥に押し込んできた罪悪感が蓋を持ち上げて存在を主張してきたのだ。
「ちが…。裏切ったわけじゃない…っ」
俺は…俺はただ…。
約束を、守りたかっただけだ…。
誰と?
どんな…?
分からない、思い出せない…。
確かにした約束なのに。
「あ…」
息が詰まった。その刹那、がしゃんと鈍い衝撃がシンを襲い我に返る。
「な…」
一瞬、状況が分からない。レバーを握ってスラスターを吹かすが何かの抵抗に遭い徒労に終わる。何が起きたのか確認しようとシンは首を巡らせた。
『シン!』
「…っ」
『シン!』
『艦にレイ・ザ・バレルがいるならば引き渡せ。さもなくば、インパルスのパイロット諸共、ここで自爆する』
『シンッ』
アスランやルナマリアが自分の名前を呼ぶ声は悲鳴に近かった。シンはぎりぎりと歯噛みするとインパルスの首元を掴んでコクピット部分に斬機刀を突きつけているジンをモニター越しに睨みつけた。
「ふざけんな!何でレイを…っ」
『レイ・ザ・バレルはデュランダル議長の保護を受けていた者だ。そしてデスティニープランを最も強く推し進めていた人間でもあることは議長の側近であれば百も承知している。彼が亡きデュランダル議長の変わりに我らの指導者になれば世界も変わる…ッ』
「…馬鹿なことを…」
何て、馬鹿なことを…。
「そんなことしたって、何も変わらない…今は、変わらないんだぞ!」
『黙れ!』
直感した。この男はとうに死ぬ覚悟なんて出来ているのだ。けれど、今のあの状態のレイを渡すわけにはいかないし、そんなことになるくらいなら自分など死んだ方がましだ。
『要求は今ここでの受け渡しだ。否があれば直ぐにこいつを殺す』
シンは唇を噛んだ。
答えなど訊くまでもない。
自分がどうすればいいかなど、自分が一番よく知っている。
「アスランさん、絶対にレイを渡さないで下さい」
『シン、お前…ッ』
レイのためならこんな命、惜しくない。
アカデミーの頃からずっとレイの傍じゃないと眠れなかった。怖い夢ばかりみて、子どものように泣きじゃくるシンをただ飽きもせずレイは傍らに寄り添い手を握り、髪を撫でてくれた。誰からも押さえつけられたシンの気持ちを彼は大切に考えて間違っていることは間違っていると、正しいことは正しいと唯一認めてくれた。だから今までやってこられたのだ。
そしてレイを喪ったと思った時、何かが壊れていくことに気が付いた。一つずつ、ひとつずつ。自分の中の何かが音を立てて崩れていくのだ。レイに生かして貰ったのだから、レイのためにレイに還すのなら本望だ。
オーブだって、プラントだって、シンにとって今は故郷と呼ぶにはどこか遠い響きを持っていた。確かに大切だ。プラントもオーブも。
けれど、今はもっともっと大切なものがある。
シンは自爆用のパネルを開いて、迷うことなくパスワードを打とうとした。彼の声を聞くまでは。
『シン…何をやっている!』
耳に届いたのは、レイの低い叱責だった。どこか懐かしい、いつも暴走しがちな自分を制するその声に寂寥を感じて指が止まる。
「レイ…」
『お前がしようとすることなど、何も覚えていなくったってお見通しだ!』
きっと、今。
彼は綺麗な形の良い眉を吊り上げて怒鳴っている。アスラン辺りは驚いているかもしれない。いつも冷静沈着なレイの怒声など滅多に聞けるものではないのだ。シンを除いては。
王子さまのようだと女の子からは憧れの眼差しを一身に受けても虫が止まった程にも感じず、周囲からは冷静で優秀なバレル君という視線を当たり前のように受け止めてきた彼が本当は随分と短気で怒りっぽいことを、誰が知ることができただろう。
シンのすることには細かく目を配らせ、口うるさく指摘する。大概、誰かの前ではなく二人きりになった時だ。それでもシンは嬉しかった。
だからこそ。