空と太陽を君に
きびきびと指示を出すルイーズが最後は微笑んでいたので、アスランは漸くどこか肩の荷が下りたようなそんな安堵感を覚えていた。
***
アプリリウスに帰還してからは早々に議長に呼び出しを喰らい、こってりと絞られたシンが自宅に帰ってきたのは深夜も零時を回った頃だ。
基本的にシンのマンションには保安部が張り付いているのでレイを一人にしていても安全だと踏んだシンは、一応、議長の許可を得て自分の自宅にレイを住まわせる気だった。せめて、記憶が戻るまでは。
ちなみに、通信越しにやらかした口喧嘩以降、一言たりとも言葉を交わしていない。アスランもルナマリアもうんざりしたように車の端と端に座る二人を交互に見つめて溜息をついた数が十や二十ではないらしい。
そんなこと、今のシンには気にする余裕すらなかったわけだが。
議会ビルから大急ぎで車で送って貰い、シンはエレベーターを待つのももどかしく、7階の自分の部屋まで非常階段を使った。レイがちゃんと部屋にいるかどうか、気になって仕方なかったのだ。もしかしたら、いないかもしれない。そう思うと背筋が震えて仕方なかった。4階の辺りまで登ったところで、ぜいぜいと息切れを起こして途中でエレベーターに乗ろうかと思いがぐらついたが、脳裏に「情けない」と呆れ顔のレイが浮かんで、懲りずに階段を使った。おかげで自分の部屋の扉の前に立つ頃には肩で息をするはめになった。
スライド式のドアに手をついて呼吸を整え、少しでも楽にと軍服の襟を緩めようとしたが、ふと思いとどまって慌てて締め直すことにした。
ポケットからごそごそとカードキーを取り出して、カードリーダーに通すと背筋を伸ばして軽く息を吐いた。
ランプが赤から緑に変わる。
「ただいま…」
とてもとても小さな声でシンは言った。背後で扉が閉まる音の方が余程大きいのではないかと思うほど。
それでも、いつもは暗い自分の部屋に灯りが点っているを見て、無性に胸が締め付けられる。プラントでは土足なのでブーツのまま室内に上がる。オーブ育ちのシンには抵抗のある習慣だったが漸く慣れてきたのだ。
「お帰り」
自分の家なのに恐る恐る入るシンは、その言葉にびくんと背筋を伸ばして振り返った。
「レイ…」
帰ってきたままの服装で、レイは片眉を吊り上げて壁に腕を組んで凭れている。シンは気が付いた。それはレイが何かに腹を立てていたり苛々していたりする時によくする表情だったのだ。
「…あの、何か、怒ってる…?」
「何か、怒ってる?じゃない。なんだ、この部屋は」
呆れたように言われて、シンはキョロキョロと部屋を見回したが、掃除だってちゃんとしているつもりだし、何か取り立てて言われるようなことはない筈だか…。
「ええっ?何だって…普通の部屋じゃん…」
「お前が居ない時に勝手に悪いと思ったが、キッチンも使った形跡はゼロ。冷蔵庫もミネラルウォーターしか入っていない。洗濯は洗濯機の中に溜まっている。どういうことだ」
一気にまくし立てて、レイはじっとりとシンを見つめている。 シンは思った。恐らく勝手に悪い等とは微塵もレイは思っていないと。
「仕方ないだろ。ついこの間まで任務で宇宙に出ていて…冷蔵庫に何か入れてたら腐っちゃうだろ」
「洗濯機は回したぞ」
憮然と言い放って、一つに結んでいた髪を解くと軽く頭を振ってレイはシンの傍らを通り過ぎた。
「あ、ありがと…」
何で怒ってるんだよ、レイは…。
折角、会えたのにあれから一度も目を合わせない。知らず知らず溜息を漏らして俯いてしまった。くしゃりと自分の掌で長めの前髪を握る。
(なにやってんだろ、俺)
「何か食べるか」
「えっ」
背中を向けたまま、レイは問う。シンは俯けていた顔を慌てて引き上げて首を振った。
「いや、平気」
「ちゃんと食事を摂ったのか?」
追求してくるレイは容赦がない。自分が納得いく答えが得られるまではひたすらいたちごっこのような質問攻めにあうのだ。
「え…あ、うん…まあ…レイは?」
「ルナマリアと一緒に隣のレストランで」
「そう。なら良かった」
ルナマリアはちゃんとレイを送り届けてくれたらしい。
「で、食べたのか?」
「………食べた」
実際は食べてない。
けれど食欲はなかったし、食べてないと言えばレイのことだからこれから何か作ると言い出し、挙句の果てに買い物に付き合わされることが容易に想像できてシンは嘘をつくことを選んだ。恐らくレイには、ばれてしまっていることも分かってはいるが。
レイは暫らく黙ってシンの顔を見つめていたが、諦めたように息を一つついて頷いた。
「分かった」
「レイ、今日は色々あって疲れただろ?もう休めよ。寝室はあっち。ベッドはレイが使っていいから」
シンは思いついたように笑って、寝室の扉を開いた。生憎と余分なベッドはないので、ここはレイに譲るのが男というものだ。
薄暗い闇に浮かんだベッドが一つあるのを見て、レイは眉を寄せる。
「お前はどうする」
「俺は…えっと。報告書を纏めなきゃいけないし。だからレイが使ったらいいよ。どうせ出来るまで寝られないし。あ、俺のベッドじゃ嫌?ちゃんとシーツは洗ってるし臭くないよ?」
心配そうに眉を寄せたシンに、レイは首を捻った。金色の髪がさらりと揺れる。
「そういうことを言っているんじゃないだろう」
「分かってるって。だから気にするなよ。ほら、明日はどうせ病院に行って検査して貰わなきゃいけないんだし、もう寝ろよ」
カラカラと笑うシンをレイは複雑な思いで見つめた。その顔が本当の意味で微笑んでなどいないことを、幾ら過去のシン・アスカを知らなくても自分には判る。
無理をしていると、レイは思った。
「………」
パチンと壁にある灯りのスイッチを押して、シンは部屋へと入るとクローゼットを開いた。
「えーと、レイとは身長一緒だったし…着替えは俺ので全然、いい筈…」
ごそごそとクリアケースを漁っているシンの背中をレイは黙ったまま見つめていた。しかし、ふと…クリーニングの袋に入れられて何着か、かかっている赤い軍服たちとは別に、綺麗に袋に包まれて少し離れてかけてあるものを見つけて誘われるように、レイはクローゼットまで歩み寄った。
「シン…」
「なに?」
しゃがんでいるシンの背後に立って、レイは腕を伸ばすと皺一つないシンと同じ色をしたそれを手に触れさせた。襟にはフェイスの徽章がついたままの。なぜだか懐かしさと共に苦い思いが胸を締め付ける。
「レイ?」
一体、何だろうと顔を振り上げて、シンは動けなくなった。
「なぜ一枚だけ、違う場所に…?」
「それは…」
しゃがみ込んだままの、シンの顔を覗き込むようにして見つめてレイはナイロンの上から何度も袖の部分を指で撫でた。
「あ…」
ふと、シンは赤を纏ったレイの姿と今のレイの姿が重なって見えて、呆然と目を見開いた。赤を着たレイはいつも凛々しく背筋を伸ばし、密かなシンの憧れだった。その頃のレイと自分を思い出して、訳のわからない感情がぐるりとシンを包み込んだ。
「シン?」
黙ってしまったシンをレイが訝しげに見下ろしてくる。
「それ、それは…俺のじゃないから」