空と太陽を君に
そう言い切ることで、何かを吹っ切るようにシンは綿のシャツとパンツと、まだ買った袋に入ったままの下着を取り出して立ち上がった。
「それは、俺の大切な人の着ていたものだから」
ぐいっとレイの胸に着替えの一式を押し付けて、シンは軽く微笑んだ。
「………」
「隣の部屋にいる。何かあったらいつでも言えよ」
「シン」
「おやすみ、レイ」
ドアを閉める間際、肩越しに振り返ったシンは泣いているのかと思った。しかし、それは光の加減だったらしい。
「…っ」
また頭痛がこめかみを襲う。ずきずきと不快な痛みだった。レイは長い時間、閉められた扉を見て佇むことになる。
一方、シンも扉を閉めてからドアに背中を預けて歩き出すことも出来ず、そのままずるずるとしゃがみ込んだ。軍服が皺になるのも構わずに、わし掴むようにして胸を掻き毟る。
「……っ」
思ったよりも、想像したよりも余程苦しい。
心臓がきりきりと、まるで悲鳴を上げているようだった。
レイがレイであってレイでない。それでも、彼は紛れもないレイなのだと。頭で理解していても心が良しとしない。でもこれでいいよな?ちゃんとレイを守るって決めたのだから、甘えずに今度こそレイに寄りかからずに、レイの傍にいると決めたのだから、これでいいのだと何度も何度も自分に言い聞かせる。
その度に苦しさに呻きを漏らさねばならなくなる。
それでも、ふと瞬間にその思いは溢れて止まらなくなるのだ。
レイが好きで好きで堪らない。
(どうして…どうして全部、忘れちゃったんだよ…レイ…)
彼の言葉を聞くたびにレイなのに、自分のことを知らないなんて残酷すぎる。
シンは堪らず、膝を抱えてその中へ顔を埋めた。
「レイ…」
***
外の異変に気が付いたのは、蹲っていても仕方がないと諦めてシンが報告書を作成するためにモニターに向かい一時間余りたった頃だ。あれからレイは何も言わず寝室にいる。眠っているのか起きているのかは部屋を覗いていないので分からないが音も漏れてこないので眠っているのだろう。色々ありすぎてもシンでも気だるさを感じているのにレイが疲れていない筈はなかった。
しかし異変は起こる。
シンが気付いたのは、ほんの小さな物音だった。
夜は全く車が通らない高級住宅地にあるせいで、静寂は闇より深い。それなのに、今日はいやに、ざわざわと空気が乱れて落ち着かないのだ。
「………」
何なんだ。
モニターから視線を逸らして、シンはデスクの引き出しに置いてあったオートマチックの短銃をそっと取り出し、セイフティーロックを外した。今、作っている報告書は別段、見られてもいいものだったが迷うことなくデリートする。
音も立てずに椅子から立ち上がり、一瞬、寝室を振り返った。足音も立てずに歩いて壁に備え付けてある電気のスイッチを消して、薄暗い廊下へと出た。
議長に呼び出されて自宅へと帰る前、また近いうちに狙われるかもしれないと言われたが、まさかこんなに早く来るとは思わない。余程切羽つまっているのだろう。それにシンのマンションの周囲には交代で保安部が張り付いているのだ。その目を掻い潜ってここにまで上がってくるのは至難の技だ。
だがもしも、本当にそうだとしたら、それはそれで厄介な相手が来たことになる。シンは気配を殺して扉に近づいてそっと様子を窺った。
「………」
コツ、と小さな足音が聞こえて、確信する。
(やっぱり、いる)
何人かなど分からない。けれど保安部の人間を出し抜くほどだ。シンにはアスランほどの白兵戦技術は正直言うと持っていない。大体、保安部も何のための保安部なんだか分かりはしない。
シンはその場を離れると、部屋へと戻り壁の非常ボタンを押した。それは直通で軍司令部へと繋がるシステムになっているので軍が動く筈だ。後は時間の問題だった。そっと寝室の扉を開くとベッドでブランケットを被り横になっているレイの肩をそっと揺らす。
「レイ…レイ」
寝顔は、シンの知っている彼のものだ。しかし今は懐かしさに浸っている場合ではない。
「レイ、起きて」
少し語調を強めると、レイの睫毛が幾度か震えてゆっくりと瞼が開いた。青い目が目の前に飛び込んできたシンの存在に驚いて見開かれる。
「シン…どうし…」
「しっ…レイ、静かに」
慌ててレイの口を手の甲で塞いで、シンは周囲に気を配りながら一応の状況を短く説明した。
「多分、昼間に襲ってきたのと一緒の奴らだと思う。逃げないと」
議長やアスランの言うとおりになった。シンはクローゼットからゆったりとしたジャケットを一枚取り出して、そっとレイの肩にかけた。そのまま扉に戻り鍵をかけると暗証コードを打つ。
「ここの扉は特殊なシステムが組み込まれていて、暗号入れなきゃ開かないようになってる。まあ…ランチャーとかで爆破されたら意味ないけど、時間稼ぎにはなるだろ」
「シン、まさかまた俺を狙ってきたということか?」
「まあ…そういうことになるね…レイ、立って」
ベッドの下に揃えて置いてある靴をレイは履きながら形の良い眉を寄せた。
「こっから逃げるから。外はもしかしたら囲まれてるかもしれないけど…ここの非常口はE地区のシェルターに繋がっててそこは外部からの進入不可で多分、安全だと思うから」
高級マンションだけあって、軍や政府の要人が住まうことの多い建物は外への非常扉とは別に、直でシェルターまで行ける非難口と道が作られているのだ。
「急いで、レイ」
普通の壁と見間違えそうな非常扉の手動の入り口を捻って開けようとした刹那、発砲音が鳴り響いてドカドカと靴音がした。どうやら室内に侵入されたらしい。シンは慌てて扉を開こうとするが思ったよりも堅い。
「くっ…このっ」
普段、そんなものは必要ないと手入れを怠っていた自分の責任だが、この時ばかりは僅かに後悔の念が沸き起こる。腕に力を込めながら、シンはふと思い出したようにレイを振り返った。
「ちょっと替わって」
頷いたレイに、シンは自分の首にかかっているタグと発信機がついた紐を取ると今度はレイの首にかけた。
「ありがと、替わる」
「シン?」
じゃらりと自分の掌の上に乗せて確かめたレイはそれの持つ意味を十分に察していた。
「それの楕円形の奴。発信機になってて、半分に折ったら俺のは指令部に居場所が分かるようになってるから、直ぐに助けがくる。タグは別に変な意味じゃない。外すの面倒だから」
それだけ。
そう言った途端に小さな爆発音が響いて扉が吹っ飛んだと同時に一瞬、強い爆風が二人を煽った。瞬間的にレイを庇うようにして抱きしめる。
「こんのっ、人の家だと思って…レイ、ベッドの脇に伏せてっ」
細い体を突き飛ばして、シンは銃を構えると、黒い影が部屋へと侵入したと同時に心臓でもなく頭でもなく、足に向かってトリガーを引いた。いつ撃っても慣れることのない鈍い衝撃が手首に伝わる。
真面目に訓練規定をサボらなくて良かったと心底思う。アカデミー時代は銃を撃つのが本当に下手くそでレイがよく練習に付き合ってくれていた。
一人目が入る前に、シンが放った弾は黒い特殊なスーツらしきものを着た男の足を撃ち抜いた。しかし、その直ぐ後に二人目、三人目の影が見えて歯噛みする。
(何人いるんだよ、こいつらっ)