空と太陽を君に
ベッドを無理やり斜めに動かして盾を作りながら影に隠れてレイの体を庇う。お返しとばかりに何発か撃ちこまれ、目の前で火花が散ったのを腕で覆って目を庇う。
「くっそ…」
「シン、狙いが俺ならお前まで巻き込むわけにはいかない」
レイはシンの腕を引っ張ると冷静に言葉を紡いだ。いつだってレイはそうだ。こういう状況になっても眉一つ動かさない。
「何、言ってんだよ。俺はレイを今度こそ守るんだって言っただろ。じゃないと、俺が今ここに生きている意味なんてない」
言いながら、シンの目は侵入者へと向いていた。細い指がトリガーにかかる。レイはその白い頬を見つめてまた頭痛がぶり返すのを感じた。硝煙の匂い、鈍い銃撃音。それらがレイの頭の奥を揺さぶるのだ。
「俺が出て行けば、お前だけでも助かるだろう、どけ、シン」
前髪をぎゅっと握って痛みを堪えたままレイは声高に言った。
「んなわけ、ないだろっ」
弾丸が、シンの頬を掠めて白い壁へとめり込んだ。温かい雫が傷口から零れるが拭っている暇はない。シンは焦り始めていた。なぜ突入してこないのだろう。こちらの弾切れを待っている?それとも何か他に理由があるのだろうか。
裏切り者の俺をなぶり殺しにしたいって、それだけなのか。
「くそっ」
レイだけでも逃がしたい。このままレイが捕まってまた誰かの思う通りに生きるだけの悲しい存在になんてさせられない。
「レイ、俺が今からありったけの弾を撃つからその隙に非常扉に走って。いい?」
レイはただ、信じられなかった。過去の自分を知っていると言っても、誰かの為に命まで賭ける必要がどこにある。何のメリットがシンにあるというのだろう。なぜ、そこまでして…。
「シン…よせ。なぜお前が俺なんかのために命を賭ける必要がある。出会ったばかりなんだぞっ?」
「何言ってんだよ、レイ…」
振り返ったシンはどこか悲しそうに笑った。
「お前がレイだから。それより他に何か理由なんているのか?」
欲張りだよ、レイ。
切れた弾を取り替えて、シンは何発か相手を見もせずに威嚇するように撃った。弾はこれが最後だ。
「行くよ、レイ、立って!」
思いっきり腕を引っ張って立たせ、先に自分が飛び出す。それと同時に迷うことなく相手の心臓を狙った。立て続けにトリガーを引く指に力を込める。
「行って、レイ!」
彼の覚悟に、レイは唇を噛むと飛び出して走った。しかし相手の男たちは走るレイに気を取られて銃口を思わずレイに向けた。そして瞬間的に撃っていたのだ。
「…馬鹿者っ」
誰かの叱責する声と同時に、シンの体は勝手に動いていた。自分でも驚くほど迷いがなくまるで誰かに導かれているようでもあった。
「…シン!」
鈍い痛みが左の鎖骨の真下を貫いて、シンはレイに勢いよくぶつかった。血が吹き出るのを感じ、痛みに顔を歪めたがレイを撃ったと思い込み、慌てふためいている男たちを尻目に誰よりも早く体が動いた。呆然と目を見開いているレイの体を、非常扉を力いっぱい開いて強引に押し込んだ。
「し…ん…シン!」
乾いた声がした。
「ごめん、レイ…」
荒い息をつきながら、シンはそのまま扉を閉め切ってロックをかけた。ぜぃぜぃと胸が激しく上下に動いた。扉に背中を預け撃たれた箇所を手で覆うと生暖かいものが掌にべったりとつく。離した途端に、こぽりと新しく血が落ちた。
(熱い…熱くて、痛いのかな、これ…)
「はあ…は…ぁ、は…っ」
今更のように撃たれたショックで体に痙攣が起こり始める。歯の根が合わなかった。これで銃を向けられたら確実に死ぬなと思うと何だか笑ってしまいそうになる。
コーディネーターだって、所詮はこんなものなのだ。
でもいい。
レイが生きて、そこに居て、笑ってくれているならそれだけで満たされる自分を自覚したのだから。
シンは薄っすらと微笑んだ。
「手こずらせやがって…ガキが…」
自分の荒い呼吸ばかり耳について、五月蝿くて仕方ない。
視界に黒い影が近寄って来るのが映った。
真正面に立たれ、右腕を取られて引きずるように引っ張り上げられる。
「…っな、せ…っ」
「どけ」
「どかな…っ」
掴んでいる腕をシンは思いっきり噛み付いた。痛みに腕を引いた男を押しのけて、シンは扉の前に這いずって戻る。
「ここ、どかない…っ」
この向こうにはレイがいる。
「レ、イが…っ」
「この…っ」
男が銃口を振り上げた瞬間だった。部屋が一瞬にして光に包まれてパンパンと発砲音が部屋に響き渡ったと思えば立っていた男たちは皆、一様に鈍い音を立てて床へと崩れ落ちた。何が起こったのかわからない。目が暗闇に慣れすぎて光を拒絶するように瞳孔を開くのだ。
「シン、シン!」
そこには聞き慣れた声がして、朦朧とする意識をシンは無理やりに頭を振って覚醒させる。横向きに倒れこんでいた体を抱き上げられ相手の顔を、薄目を開いて見つめて苦笑した。
「も、…遅い、ですよ…アスランさ…」
「シン…っ」
泣きそうに歪められたアスランの顔に、シンはやっぱり笑っていた。
「アンタ、…そ…な、かお、ば…っか」
重たい右腕をあげて、シンは血痕がべったりとついた扉を震える指で差した。
「そこ、に…レイ…」
「分かった。今、扉を開けてるから…もう喋るな、シン」
大勢、人のいる気配がしてシンはゆっくりと視線を巡らせた。部屋からは溢れ返らんばかりのザフト兵と保安部の人間が床に倒れている男たちを引きずって外へと捕獲、逮捕しているところだ。こんなにたくさんいるなら、もっと早く来てくれればいいのに…と少々、恨みに思ってしまう。
レイに会いたい。
「…っは、はあ、は…っ」
「頑張れ、シン…!救護班来るから…もう少しだからっ」
アスランの声も今はどこか遠くに響いた。
扉の向こうで、レイは一人頭を抱えたまま蹲って震えていた。シェルターへと続くグレイの通路は冷え切っていたが、そんなことを気にする余裕もなかった。霞がかった脳裏に次々と断片的ではあるがビジョンが浮かんでは消える。
銃声がした。
硝煙の匂い。掌が、指が、覚えていた。銃を握って撃った瞬間、その向こうには誰がいた?
黒い髪の、穏やかな瞳をした最愛の人物ではなかったか?
そして誰よりもギルバートと自分の希望を叶える為に利用したシンとの約束も忘れ、耳を劈く様な爆発音の中で自分はどうした?
「あ…」
喉の奥からかすれて潰れた様な酷い声が漏れる。
シンがレイを庇って撃たれた瞬間、怒涛の波のようなうねりを持って、その記憶はレイの脳裏に押し寄せた。
黒い髪が揺らぐ。
自分が誰を撃って、誰に敗北し、そして誰を裏切った…?
感じたのは恐怖だった。
今まで感じたことのない、怖さだ。
キラ・ヤマト、タリア、ギルバート、そして悲しいまでに赤い…。
(シン…シン!)
「ぅ…あ…ああっ」
握り締めた髪を引き抜くような強さで掴んで、痛みに身を晒してレイは呻く。引き絞った眉。現実を受け入れることを拒むように固く閉じられた瞳から、涙が零れる。
(俺だ…)
最後の最後に自分のを確立するために、一番、誰もが望んでいない結末を選んだ。シンを置いて…自分がいなければ一人ぼっちになってしまう彼を置いて。
悲しさより、悔しさより、絶望がレイを襲う。
裏切ったのはシンじゃない。
シンじゃない…。