空と太陽を君に
ギルバートを否定したのは…。
床についた指を固く握り締めて掌に爪を立てる。
なぜ、忘れてしまえたのだろう…。
ガンという鈍い音を立てて扉が開く。薄っすらと光が差し込みレイの金色の髪に反射した。
「レイ・ザ・バレル!無事ですか!」
蹲ったレイの姿を発見した保安部隊の一人に、脇を抱えられるようにして立たされる。長めの髪が頬を撫でるようにしてさらりと落ちた。
「レイ・ザ・バレルを無事に発見、保護しましたっ」
どうやって歩いたのかさえ、分からない。ただ非常扉を出て、血に濡れたシンをアスランが抱きかかえているのを見てどうしようもなく、どす黒い感情が吹き出すのを感じた。
「レイ、無事だったのか…よかった!」
シンの止血をしながらアスラン自身の手も真っ赤に染まっていたのに、彼はレイを見ると綻ぶように笑った。一度は互いに撃ちあったというのに。彼のそんな人の良さにレイは一種の危惧と共に好感を覚える。しかし、レイは保安部の手を払い自分の足で立つとよろりと座り込んでいる二人に近づいた。
「アスラン…」
形の良い薄い唇から漏れた声は、随分と低く、しわがれている。驚いて顔をあげた。
「レイ…?」
しかし、名前を呼ばれた当の本人は顔を伏せ、アスランの腕の中にいるシンの姿だけを目に焼き付けるように、ただ見つめていた。雪のように青白く血の気を失った頬。唇の端を流れる一筋の血が、レイの中の記憶を揺り動かす。長い睫毛は微動だにすることもなくレイが好きな赤い石榴のような瞳は隠されたままだ。
「シンを、ありがとうございました」
汚れるのも厭わず、片膝をすっとついて、レイはシンの背中に腕を差し込んだ。
「ちょ…レイ、お前…」
「シンは、私が」
口調がアスランの知っている彼のものへと変わっていることに、語尾の小さなニュアンスから気づく。白磁にも似た整った横顔は完全に表情を消し、青い二対の瞳だけが真っ直ぐにシンに向けられていた。
「まさか、お前…記憶が…」
レイの顔を覗き込んで、探るように話かけるアスランにレイは小さく頷き返した。
「レイ…」
呆然と、アスランはレイを見つめて、彼の瞳に戸惑いが一切ないことに気づいて納得した。シンを抱えていた腕をそっと引き抜く。
「ちゃんとシンは生きているぞ。救護班も直ぐに来るから」
安心させるように、彼の細い肩に手を置いた。
頷いたレイの右腕にシンの重みがかかって、そっと瞳を伏せる。意識がないために力にイ頭がかくんと落ちてレイの胸に凭れかかるのを不思議な気持ちで見つめていた。白いシャツにシンの真っ赤な血が吸い込まれて黒く変色していく。知らず知らず震える指で、冷たく体温が奪われ始めた頬に触れて、レイは唇を噛みしめた。
最後までお前を、傷つけてばかりだ。
『うわ…レイ、久しぶり…』
『まさか、お前が新型のパイロットだとはな…』
『俺もちょっとびっくりしたけど…』
『お前が努力した結果だろう』
レイ…。
『シン…議長の前に出るときくらい、ちゃんと襟を止めろ』
『分かってるよ』
『シン…出したものはきちんと元にあった場所にしまえと何度も…』
『分かってるってば!』
レイ…?
『ちゃんと返せたのか?』
『うん、ありがと、レイ』
『なら、良かったな』
レイ?
『惑わされるな、シン!議長を裏切り、我らを裏切りその思いを踏みにじろうと…』
『俺は、クローンだからな』
『強くなれ…シン』
………。
真っ白い世界に放り出されたような不安に陥る。そこは嫌いだ。一点の曇りも汚れもなく純白で、自分は酷く違和感を覚えて背筋が寒くなる。
光の中に堕ちていく気がする。
助けて欲しくて、誰かに腕を掴んでいて欲しくて、足掻くのに指の先一つが重たくて持ち上がらない。
(だれ、か…)
(レイ…)
「………」
誰かに呼ばれたような気がして、シンは睫毛を震わせ何度か瞬きを繰り返して薄っすらと瞳を開いた。そこはやはり白い世界で、光の眩しさに目が慣れずに直ぐに瞼を閉じた。
「シン…」
暫らく目を閉じていると自分の大好きな人の声で名前を呼ばれて、思わず反射的に瞳を開いてしまった。ぼんやりと目を瞬かせると、漸く焦点が引き結ぶ。白く緩やかな天井の格子。 しかしそこには声の主はいないと気づいて、シンはゆっくりと首を巡らせたつもりだった。しかし実際に動いたのは眼球だけだ。体がまるで泥に漬かった様に重たくて動けない。
けれど、それで十分だった。
見上げたそこには、赤い軍服を身に纏った自分がよく知る人物が座っていたのだから。金色の髪、青い瞳。意志の強さをそのまま表したような凛々しい眉。誰よりも綺麗で整った容貌。
ああ…そうだ。
「れ、い…」
今まで生きて来て恐らく一番、唇に多く乗せた名前を声にならない声で呟いた。名前を呼んだことで、どこか安心したように頬を緩めて笑うと、なぜかレイは痛そうに眉を潜める。
どうしたというのだろう。
どこか、痛むのだろうか。それとも、体の調子が悪いのだろうか。もしかしたら、また自分は何かレイの気に触ることをしたのかもしれない。それなら、さっさと謝っておくに限る。
「レイ…ごめ…」
乾いてかさかさになってしまった口を無理やり開いたのでびりびりと痛みを感じた。
「なぜ、お前が謝る」
固い声に戸惑うように、シンは瞳を揺らした。
「なんか、レイ、怒ってるから、さ…っ、けほ…けほっ」
僅かに単語を重ねただけで、鈍く思い痛みが気管にのしかかり声帯を潰すように咳き込んでしまう。咳き込めばまた、そこから鎖骨のあたりに痛みが走り、シンは言葉を失くしたまま真っ白い顔をゆがめて痛みに耐えた。
「シン…っ」
ガタンとレイは座っていた丸椅子を蹴って立ち上がり、シンの手を握った指に力を込めると小さく握り返してくる。
ヒュウヒュウと喉が鳴るのをやり過ごしてシンは浅く何度も息をつくと、レイに微笑んだ。
「ごめ…へ、いき」
「だから、なぜお前が謝る」
「だって、レイが…苦しそう、な…顔、してる、から」
途切れ途切れに言葉を紡ぐシンの方が余程…そう言い掛けて、レイは口を噤んだ。彼はそういう人間なのだ。誰かの意見や意志や反応などお構いなしのような横暴な人間に見えて、その実は誰よりも相手の考えていることに敏感だ。だから、レイはこれ以上何かを言うのはやめた。言葉を噛んだレイを見つめて、シンはゆっくりと言った。
「俺…ど、した…っけ?…これも、夢のつづき、かな」
「夢?」
「ん…レイ、赤、着てる…」
言われて、レイは自分の体を改めて見下ろした。胸にフェイスの徽章は外してしまったが、身に纏っているのは紛れもないレイ・ザ・バレルの軍服だ。
「シン…夢じゃ、ない」
「ここ、ミネル…バ…?」
「いいや。アプリリウスの軍病院だ」
病院と聞いて、シンの顔が曇るのをレイは黙って見下ろした。
「病院、て…レイ、どっか…」
「俺ではなくお前だろう」
「え…」
「俺を庇って、鎖骨の上部に銃弾を喰らった。手術は成功したが…3日3晩…お前の意識は戻らなかった」
改めて意識すると、確かに体中が痛い。無理やり顎をひいて自分り体を見ると真っ白い包帯が胸から肩、そして鎖骨にかけて幾重にも巻いてある。腕には点滴の針がささり、自分の体ではないような違和感を覚えて人事のように驚いた。