空と太陽を君に
「あれ、進水式…」
「…何を言っているんだ、お前は。夢を見るにしても昔過ぎるだろう」
相変わらずとんちんかんな事を言っているシンを呆れたように見つめて、レイは漸く頬を緩めた。
「俺も馬鹿だ…お前か撃たれている姿を見て、思い出すなんて…」
「レイ…」
「悪かった…シン」
「なに、言って…」
驚いて目を見開く。
枕元に座り、ベッドに肘をついてずっと握っていたシンの手をゆっくりとレイは自分の頬に触れさせた。
「俺も生きて、シン…お前も生きているということだ」
シンは何度も目を瞬かせて、ぼやける視界のレイをはっきりと捉えようと試みた。漸く何かに気づいたように、ぱくぱくと音もなく言葉を紡ぐ。
「レイ…は、レイ…なの、か?」
震える唇は、いっそ哀れを誘ってレイにはとても見ていられない。どれだけ彼は必死で生きてきたのだろう。誰かを守って自分のことなど顧みず、傷ついて傷ついて。彼の優しさに胡坐をかいて。それを弱さと断じた。
自分を呼ぶ、彼の声が好きだった。彼に『レイ』と呼ばれるたびに、自分は自分であるのかもしれないと…誰かの代わりではなくシンの求める『レイ』になればいいのだと思っていた。けれど、今は違う。
ギルバートを撃った自分は、はっきりと選んだ。
「俺は、俺だ」
言い切ったレイを、シンは時計の針が止まってしまったのではないかと思うほどに凝視し、見開いた目尻から一粒、涙が頬を伝って滑り落ちた。
「れ…い」
「俺なんて、守らなくていい。もうお前は誰も守らなくていい。自分だけを守れ。俺など…お前に守られるだけの価値もない」
「れ…」
シンは、ぱっきりと傷が割れ中の赤い肉が見えてしまうのではないかと思うほどに、皹が入るのをどこか他人事のように感じていた。
足元から、ガラガラと崩れ落ちていくような錯覚さえあった。ふわふわと体を持っている意識がない。体中の水分が抜けていくような奇妙な焦りもある。
「ど…して、俺、レイ、守る…よ?」
「ギルを…議長を裏切り、キラ・ヤマトの明日を守るために誰より愛していた人を撃った俺など、お前に守って貰う価値はない」
「だって、レイ、レイ…」
声が震えるのを止められない。レイが何を言っているのか分からない。
なんで、そんなことを言うのだろう。
「だ、て…レイが、キラ・ヤマトの明日を、守ったなら、レイの明日は俺が守ったって、いい、だろ!泣いてる、レイ…守ったって、俺が、俺が…っ」
見開かれた瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れて次々にシーツに染みを作る。
「シン」
見ているこちらが悲しくなるような、そんな泣き顔を見てもレイの心は動かない。
「ど、して…そんなこと、言う、んだよ…」
自分はもう、いらないのだと、必要ないとはっきり言われた方がましだ。
一気に喋りすぎて、肺が痛い。呼吸をするたびに胸に響いた。
「シン、もう泣くな。お前がどれほどの覚悟をもって生きてきたのか分かっているから」
「れ…」
あとどれほど、この老いた身が持つのかは分からない。遠くない未来に必ず死が二人を別つだろう。その時、果たして自分は何の後悔も悔やむこともなく逝けるのだろうか。そんなことばかり考えてしまう。
「いつ果てるとも知らない命ならいっそ、お前にやる」
それが、今までシンの優しさを利用してきた償いだとでも言うように。けれどシンは反対側の指をぎゅっと握ると無理やり持ち上げて力なくレイの頬を叩いた。まるで、ただ触れたようなものだったが、レイは大きく瞳を見開いた。
「シン…」
「馬鹿っ…レイ、全然、わかって、ない」
誰が誰を利用していたと言うのだろう。どうして最後まで嘘をついてくれない。それを嘘だと認めた瞬間に偽りへと摩り替わる。けれど、レイがその思いも本当で、嘘じゃないのだと言い切ってくれたなら。シンにとってそれはこの世界で唯一の真実になったのに。シンにとっては、それほど事実がどうであるのかなど重要ではないのだ。
シンは痛む体を恐る恐る起こし、ベッドに肘をついた。途端に傷口がびりびりと痛んでシーツに突っ伏すのをレイが慌てて腕で支えた。その腕を支えにシンはレイの胸にどんと手をついた。
「何を、シン…まだ動くな」
「レイが、あんまり馬鹿だからっ」
冷静で、頭も良くて、MSの操縦技術も同期の中では一番で…それなのにどうしてこんな簡単なことが分からないのだろう。
「俺が、レイ、守りたいのは…レイが、好きだから、だろっ」
荒い呼吸のまま、軍服の襟をぎゅっと掴んでシンは目を閉じた。
痛い。
「義務で、そうしたんじゃ、ない」
「………」
「レイが、レイが大切、だから」
「………」
どうして、シンは…。
腕の中で痛みを堪えて震える体を見下ろして、とてつもなく残酷な悦びに目覚めてしまう。シンに大切だと言って貰うたびに、確かに喜びと嬉しさがこみ上げた。
他の誰でもない、シンが『レイ』と呼ぶたびに、自分に還って行く気がする。
ああ、そうだ。
そうだった…。
自分も。彼がとても好きだった。妥協しない心も強くあろうとする姿勢も、無力な自分に絶望して足掻く姿も、レイからみたシンはとても真っ直ぐで綺麗だと思った。
素直で純粋で、無垢なのに黒い影を併せ持つ彼が、とても愛しかったのだ。
「痛い、よ…レイ…」
ぜぇぜぇと胸を喘がせているシンを困ったように見下ろして、レイは呟いた。
「…馬鹿は、お前だ」
傷口が開いたのか白い包帯に僅かに血が滲んでいる。医者を呼ばなければ。それでも、少しだけ、少しだけ。
彼の体に負担をかけないようにそっと真綿で包み込むように抱きしめて、レイはシンの髪を撫でた。
誰が、手放せると言うのだろう…。
***
一ヵ月後…
「次のニュースをお伝えします。ギルバート・デュランダル元議長が発表したデスティニープランに賛同する一部の過激テログループがL5コロニー付近で逮捕拘束されたと一報が入ってきました。首謀者は元最高評議会議員でもあったクリスタ・オーベルク、ノイ・カザエフスキーの二人に、ザフト軍幹部将校数名で構成されているグループで、今のプラント政権に対する不満とデスティニープランの導入実行をせよと声高に掲げて…」
「心中、複雑でしょう?」
アスランはルイーズの目が流れるモニターになどないことに気づいて、ぽつんと言った。
「そうね…複雑だわ。けど…一歩ずつ進んでいくしかない。ザラ議長もまたレノアを喪った悲しみで歯車が狂ってしまったように、デュランダル議長も本当に戦争のない世界を作ろうとしていたように…今度は残された私たちが間違えないようにしなければいけないわ。ね、アスラン」
優しい眼差しは遠い昔から知っている、ルイーズのものでアスランは目を細めて頷いた。
「そうだわ、シンが退院したんですって?」
「あ、ええ。今日の午前中に。レイとルナマリアが付き添ったみたいですよ」
「そう、良かったわ」
政務室の自分のデスクに腰掛けて、ルイーズはホッとしたように息をついた。
「若いっていいわね。何度だってやり直せる」
「レイが、軍に戻ったのは…私は正直以外でした」