空と太陽を君に
プラント最高評議会ビルの最上階に、議長政務室は存在する。前議長であったギルバート・デュランダルの執務室は撤去され今は部屋を改装され新議長の部屋になっている。シンはデュランダルが議長を務めていた時は一度も行った事はなかったが、今はもう何度も部屋へと入ったことがある。任務で外へと出る時以外は常に一ヶ月に一度、顔を見せに行く。それが新しく取り決めたシンの義務でもあったからだ。
今日もまた、シン個人が議長からの特命を受けていた任務の報告へと赴いたのだ。
直通のエレベーターに乗ると、後はもうやることはない。
シンは内部に設置されている座り心地の良さそうな長椅子には腰掛けず、透明な特殊ガラスが貼られた壁へと凭れかかった。
そこはオールシースルーで、少し視線を走らせれば直ぐにアプリリウスの街並みが一望できた。結構なスピードのエレベーターだが遠くを見つめればその速さを中々、感じ取ることができない。
その高さに恐怖を感じたことはないが、シンはどこか現実感のない空間に迷い込んでしまったような錯覚に陥ってしまう。
「はあ…」
声に出して溜息をついたシンは、こつんと額を壁に預ける。すると光を反射するようにガラスに自分の顔が映ったのを見つめて、視線を逸らした。
(なに、やってるんだろう…オレ)
一年前の進水式すらしていないミネルバが辿った、激動の航路を思い出すたびにそう思う。
ここで、一人で…一体、何のために。
また鬱々と思考に沈みかけた刹那、軽やかな音ともにエレベーターが止まり扉は音もなく開いた。
視界が拡がり、何となく眩しくて目を細める。シンは凭れていた体を起こして姿勢を正した。
政務室に続く廊下にの床をなるべく靴音を立てないように歩く。ここへ顔を見せるようになってから覚えた仕草の内の一つだった。警備のザフト兵が扉を守るように左右両側に一人ずつ立っている。シンの顔を見るなり、壁に取り付けてある内線用の呼び出しボタンを押した。
「議長、シン・アスカが出頭致しました」
ここからでは相手の返事は聞こえないが、口を噤んでいると間もなく扉が開いた。そこは灯りをつけずに、窓という窓のブラインドを開けて外部からの人工太陽の光のみだ。おかげで、少しばかり薄暗い。
シンは軽く息をついて声を出した。
「失礼いたします、シン・アスカ、出頭致しました」
これも言い慣れた文句の一つ。
「5分の遅刻ね、シン・アスカ」
政務室の議長のデスクに凭れて、デュランダルの後任議長でもあるルイーズ・ライトナーはクリーム色をした壁に掛かっている年代物のアンティークの壁掛け時計を指差して小さく微笑んだ。
とてもじゃないが、科学と技術を結集したこのプラントにはそぐわない代物だが、ルイーズが地球へ降り立った時にどこぞの骨董屋で見つけたらしい。
シンはその時計の振り子が動くのをちらりと見てから彼女へと視線を返す。
「申し訳ありません…寝坊しました」
ここは正直に答えておくに限る。頭を下げるとルイーズは、そうでしょうね。と頷いてみせる。
「そんなところに突っ立ってないで、入ってきなさい」
「はい」
一歩、前に進み出ると自然に開けっ放しだった扉は静かに閉まった。完全にロックが下りるまで待って、シンはつかつかと歩み寄るとポケットから数枚のディスクを差し出した。
「調査結果です」
「そう?」
ルイーズは短く切った髪をかきあげて、シンへと近づく。少しばかり楽しそうに。
「どうでしたか?停戦反対派の連合の残党の方は」
シンの掌に乗ったディスクを受け取ると、首を傾げるようにして問うた。それから専用のデスクの椅子に腰をかけると革張りのそれがぎゅっと鳴る。
「相変わらずです。ダイダロスに武器とMSと部品等々を大規模に物流していたようで…隠蔽が巧く内定を急いでいたんですが、すこし…時間がかかってしまいました」
座れば?とデスクの前に置いてある来客用のソファを勧めたがシンは首を振って遠慮した。彼女はそんな事は気にせずシンの報告に微かに唸り声を上げる。
「そう、やはり連合も一筋縄じゃいかないわね」
細い指を、すっきりした顎に沿わせてルイーズはやれやれと肩を竦めた。シンはルイーズ・ライトナーと顔を合わせ、言葉を交わすたびにミネルバに乗っていた頼りになる艦長を思い出すのだ。彼女もまた一年前のあの日、副艦長であるアーサーに全てを託しギルバート・デュランダルの元へと行った。そのまま彼女は帰ってくることはなかった。それを聞いた時、自分は随分とあっさり納得してしまったのだ。やっぱり…議長と艦長はそうだったんだと。随分と立場が上でまるで雲の上のような人たちだったが、タリアは常に自分を気にかけてくれていた。
いい人だったのに…とても、強くて優しい人だった。
脳裏に面影が浮かんで、シンは慌てて意識を目の前の人間へと向ける。
ルイーズ・ライトナー。
彼女は、以前は穏健派と言われていたが血のバレンタイン以後、なぜか人が変わってしまったように急進派へと転身した。噂ではアスラン・ザラの母親であるレノアと親友であったため、彼女を亡くした心の痛手からザラ派へと傾いて言ったのだという。今のシンには関係のないことだったが。
その彼女もデュランダル時代になると、戦争の痛みから穏健派へと流れ、今現在デスティニープランの収束と停戦へ向けて議長として存在しているのだ。
「シン・アスカ」
「何でしょうか」
「MS戦があった…そう報告を受けたわよ。連合の残党相手ともう一つ別に」
言葉を切ってルイーズはこちらの様子を窺っている。シンは軽く眉を寄せた。
自分とは別に報告を受けているなら、なぜこんな無意味なことをやらせるのだろう。今日の午前に帰ってきて、僅かな睡眠を取ってこうして評議会ビルまで赴けば、報告する相手はすでに情報が上がっている。
結局、試しているに過ぎない。
シンが、ザフトのシン・アスカなのかどうか。
軽く拳を握ると、シンは無表情に頷いてみせた。感情を滲ませない淡々とした声音で事務報告に徹した。
「任務終了後、L5コロニーに帰還中にMSで襲撃を受けました。ゴンドワナは直ぐにコンディションレッドに入り、自分が出撃しました。MSは全部でおよそ10機程度。ジンを始めザクが主流のようでしたが全て撃破。通信越しにデュランダル元議長が正しいと叫んでいたので…そういうことかと思われます」
そういうこと…つまり、ルイーズを始め最高評議会が今の情勢でデスティニープランを導入したら世界が混乱すると発表し、現時点でのプランの収束を打ち立てた事に反対したデュランダル派がテロを仕掛けているのだ。
なぜ、同じコーディネーター同士で争わなければならないのだろう。
そして、ほんの一年前まで自分はこのプランの為に闘った。いや、プランの為ではない。願っていたのは只一つ、戦争のない平和な世界だった。戦争なんてそんなものがあるから運命に導かれるようにして出逢った強化人間であるステラや…レイのようなクローンが生まれる。