銀魂ログ寄せ集め
次に目が覚めるのは、香ばしい匂いが部屋に漂い始めた、その時。
「…銀ちゃん?」
カラリとガラス戸を開けて居間兼応接間に入ると、件の男は例の如くソファに寝転がって、健やかな寝息を立てていた。
もう一人、眼鏡を掛けた少年が居た筈だが、買出しにでも出掛けたのだろう。部屋はおろか家の中から彼の気配は一切感じられない。
その地味で不器用な少年は、見た目通り料理の方もそこそこな腕前だが、彼が作る料理を、神楽は嫌いでは無かった。
そこで漸く今日の食事当番が彼だったのを思い出し、そしてそれに同行しなかった銀時を、珍妙な眼で見やる。
そうして徐にソファの側へ近寄って、そのだらしなく緩んだ銀髪の男の寝顔を覗き込む。
それからゆっくりとした動作で、腕を上げた。
「好い加減働けヨ。このダメ天パ」
私まだ先月分の酢昆布、貰って無いネ。
そう思って振り上げた拳は、しかし下ろされる事無く、だらりと元の位置に戻る。
そうして彼女は、まじまじと男の寝顔を見詰めた。
時折吹く風が男の髪を揺らすのを厭きもせず只管眺め、羊雲みたいだ、とぼんやり思う。
気持ち良さそうに寝る男をもう一度見て、神楽はくしゃりと相好を崩した。
くすぐったさを覚えるこの気持ちは何なのか。
「銀ちゃん、銀ちゃん、ぎんちゃ、」
秘密をこっそり打ち明かす幼子の様に、密やかに、風に流されそうな位小さな音で言葉を紡ぐ。
神楽にとって、それはとても大事な大事な、大切な言葉だ。
「銀ちゃん。私、今はちゃんと、ヒトの起こし方、解るヨ」
そう言って、神楽はふふ、と微笑った。
ゆるりと視線を窓に移せば、見事なまでの晴天。
ぽかぽかと温められた室内に、時折吹く風が程好く体温を攫い、実に気持ちが良い。
男が寝入ってしまうのも、分かる気がした。
―――此処へ来た当初、男から受けた最初のお願いは、神楽に取って実に難解で大変ものだった。
起こせと言われて素直に起こしにかかったものの、物凄い剣幕でこの男に怒られた。
普通に起こせと怒鳴られて、その普通が解らないと言えば、男は形容し難い何とも妙な顔をした。
仕方が無い。
自分は未だ嘗て唯一度も、誰かを起こすという行為をした事が無いのだから。
だから、その普通が解らない。
された事もした事も無いものは、どう足掻いたって理解出来ない。
そこまで話した訳でも無いのに、男はそれから普通はこうやって起こすんだよ、と身振り手振り、全身を使って説明し出した。
何処か滑稽なソレを、けれど何故か真剣になって聞いていた。
力加減がどうにも上手くいかず、何度やっては怒られて、けれどその後依頼があるのか知らないが、仮眠や昼寝をする時、起きる時間が決まっている時は、懲りもせず決まって男は神楽にそれを頼んだ。
そうして回を重ねていく内、何時の間にかその「普通」が出来る様になっていた。
神楽は、それがひどく嬉しかった。
「銀ちゃん、銀ちゃん。今日は気持ちが良いアル」
寝ている人物に話し掛ける自分は、他人が見たらさぞ可笑しく映るだろう。
ゆるりと弧を描いて笑みを刷く。
「銀ちゃんがこうやって寝るの、分かる気がするヨ。そして新八が珍しく起こそうとしなかったのも」
そう言って、神楽は徐に、けれど最大限の注意を払って、男の腹にダイブした。
陽に当てられて程好く温まった身体が気持ち良い。
狭いソファの上、何時転げ落ちるか分かったものじゃない、けれど。
満面の笑みを浮かべて、神楽はぎゅうと男にしがみ付いた。
(落ちる時は、一緒ネ)
無意識かそれとも起きていたのか、自分の頭にぽんと置かれた大きな掌を払う事などせず、神楽はそうっと心持ちそれに摺り寄せた。
きっと自分達が次にその瞼に光を灯すのは、今は居ない少年が、いそいそと夕飯の準備に明け暮れている頃だろう。
香ばしい匂いで目が覚めて、あたたかな光と空気に囲まれて、三人で食卓を共にするのだ。
想像しただけで笑みが零れて、その幸せな気分のまま神楽は静かに目を閉じた。
「オヤスミ、銀ちゃん」
良い夢を。