アカシアの樹で待ってて
昨日、風邪をひいてろくに声も出せなかった獄寺と電話をした後、結局オレは我慢できなくて獄寺のマンションへと押しかけた。
と言っても、部屋の中に入った訳じゃないし、ベルを鳴らした訳でもなかった。行ってみると案の定部屋は真っ暗で、獄寺は薬を飲んでぐっすり眠っているんだと分かったし。
オレは獄寺の部屋の鍵をまだ持ってたりする訳なんだけど、流石に使う気にはなれなくて、ドアノブに持って行ったコンビニの袋を下げるとマンションを後にした。
コンビニの袋にはリンゴやバナナ、ヨールグト、プリン、みかんのゼリーといった食べやすそうなものと獄寺の好きなものを詰めておいた。きっとこれぐらいだったらまだ許されると思って。
オレが届け物をした夜中、日付が変わる頃に獄寺から短いメールが一通届いた。
件名も何もナシでただ一言、サンキュ、とだけ書かれていたけど、オレにとってはそれで十分だった。
たった五文字のメールだったけど、それはオレの心を温かくしてくれて、何だかこんな気持ちも久しぶりだった。
*
それはオレが色んな意味で今後のことを考えてブルーになっていた時で、何ともタイムリーとしかいいようがないタイミングだった。色んな意味で。
昼休みの屋上でのことだった。その日獄寺は具合が良くないのかやっぱり朝から学校に来てなくて、オレは珍しくツナと二人で昼飯を食っていた。
「山本……好きな子とか、いるの? ていうか、彼女いたりしない?」
「えっ、ええ? いきなりどしたの、ツナ」
「やっぱりいるんだ…………」
はああと大きく溜め息を付くツナに、オレは何だか浮気を咎められた旦那の気分になって必死にフォローを入れる。ツナの肩を掴んでがくがくと揺さぶってみるけど、ツナは遠い目をして揺らされるままだった。
「何でそうなるんだよ、ツナァ〜」
「うん、そうだよね。山本が隠し事なんて出来るタイプじゃないってことは良く分かってるよ。でもさ、やっぱり淋しいよね」
「え、え、何が? てか、ツナには笹川がいるじゃん」
「そうじゃなくてー。ちゃんと山本から聞きたかったって話だよ」
噂で聞いて知るなんて、なんかそういうのすげー淋しいじゃんって拗ねたように言うツナが可愛くて、ツキンと走る痛みに目をそむけてオレは思わず抱き付いた。
「オレ、ツナのことちゃんと愛してるからっ」
「わっ。もー、そんなんで誤魔化されてあげないんだからね」
口ではそんなことを言ってるけど、オレに抱き付かれたまま呆れたように溜め息を付いたツナの表情はオレのことを許してくれていた。
「えー、でもツナ噂って誰に聞いたの? オレの耳にも入ってないんだけど」
「出所は分からないけど、山本のファンの子達じゃないのかな? 女の子達が噂してるの聞いちゃっただけだから」
多分、噂になってるとしたら十中八九野球部のマネージャーのことだろう。一応同じクラブなので練習を見ていたら(しかもオレが目当てなら尚更)何となく分かるのかもしれないなと思った。女って凄ぇなってこういう時はいつも思う。それよりも、マネージャー本人の友達の線のが強いかな〜と思わなくもないんだけど。もしそうだとしたら、けっこうリアルな出来事がもうじき噂として上ってくることになるんだろう。
まぁ、それにしても始まってもいないのに終わりそうな勢いなんだけどさ、オレの中でとこっそり付け加える。そして、いつもの噂と違って信憑性があるだけに面倒だなって思ったりもしているのだ。まさに自分で蒔いた種な訳だけど。まぁ、自分から進んでツナに話したい内容ではない。
だけど、不思議に思うことは他にもあったので、オレは素直にツナに聞いてみた。
「でもそんな噂しょっちゅうじゃん? だいたい嘘だったりするしさ。何で今回に限ってホントだと思ったんだ?」
「ああ、それは獄寺君が」
「獄寺?」
それって逆じゃねぇか。オレは獄寺に好きな奴が出来たって言われた方で、オレは自分に好きな子がいるなんて言っていない。一体どういうつもりなんだ、獄寺が無意味な嘘をツナにつくなんて思えないけど。
まさか自分に好きな奴が出来たから、オレにも出来たらいいって思ってるのか? でも獄寺に限ってそんなことはない、と思う。昨日の電話を思い出して、オレは尚更そう思う。
珍しくオレが不機嫌そうだからか、ツナは言いにくいのか申し訳なさそうだった。
「その噂聞いた時、獄寺君も一緒にいたんだよ。で、山本また言われてるねぇってオレが笑ったら、獄寺君がでもアイツ好きな女いるみたいですよって」
「え……」
「山本、何か言ってた? って聞いたら、そういうんじゃないけど多分そうだろうって。噂だけじゃなくて獄寺君がそう言うんだもん、オレだって気にしちゃうよ」
「ツナ…………それって、いつ頃の話?」
「え? えー、いつだっけな。連休明けたぐらい……かなぁ」
オレはツナの言葉に頭が真っ白になりそうだった。
連休明けということは今から二ヶ月近く前のことで、その時はまだオレと獄寺はこんな状態になっていなかった。
それならあの時の獄寺はオレが他に好きな奴がいるって分かってて、そのことを言わなかったということになる。そのことを引き合いに出せば、お互い様だから丁度いいよなって言えるのに。獄寺はあえて言わなかったんだ。
そこまで思考が追いついて、オレはさっき自分勝手に獄寺をなじりそうになってたことを恥じた。そうだよ、獄寺はそういう奴だ。
オレは自分のことでいっぱいいっぱいだったけど、思えばあの日は最初からオレだっておかしかったのかもしれない。
前から獄寺はよくお前とは縁を切るなんてわめいたりしてて、それをオレが笑ってまーまーって受け流すのがいつものことだった。なのにオレはあの日、それすらしなかった。そうなることを望んでたから? 獄寺と何もなかった状態に戻りたいなんて考えてなかったことは間違いないけど、獄寺さえいなければって勝手なことを思ってたのも否定出来ない。
「山本……?」
「あ、悪ィ。何でもねぇよ」
「そう? あ、そういや彼女出来たの獄寺君には言った?」
「いや、そもそも付き合ってるって訳じゃねぇし……」
「そうなの? 最近あんまり獄寺君と一緒に居ないっぽいのは彼女出来たのもあるのかなって思ってたのに」
そっかー、まだなんだ。でもきっと時間の問題だよね、とツナは自分のことみたく嬉しそうに笑ったけど、オレは引きつった笑みしか返せなかった。
「でもまぁ、アレだよね。きっと獄寺君のことだから山本が言わなくても気付いてるんじゃない? だから気をきかせてくれてるのかもね」
「そ、そうなのかな……やっぱ」
「言ったら全力で否定しそうだけど、獄寺君って山本のことけっこうちゃんと見てるもんねぇ」
何気ないツナの言葉に再度動揺させられる。
オレのこともそんな風に見て欲しいけど……まぁ、今更獄寺君が普通になっちゃっても物足りないかもだしねぇ、と言うツナにオレは何とか言葉を捻り出す。
「それ、獄寺に言ったらヤバくね?」
「うん、とても怖くて本人には言えないよ……」
そう言って溜め息を付いたツナと顔を合わせて笑い合ったけど、オレは少しも笑えなかった。本当に笑えない。
作品名:アカシアの樹で待ってて 作家名:高梨チナ