フリージア・中編
では寝るぞ、そう言ったレイから逃れるようにシャワールームに飛び込んだシンは、いつものゆうに3倍は時間をかけてシャワーを浴び、浴びたはいいが部屋に戻るのを躊躇い、脱衣所で悶々としているところをレイに捕獲され今に至っているのだ。…しかも濡れた髪では枕が濡れると言って、ドライヤーで丁寧に髪まで乾かしてくれるというオプション付きで。
どっかりとベッドに腰を据えて動きそうもないレイに、シンは先ほどから考えても考えてもわからない疑問を口にした。
「…レイはなんでこんなことしてくれるんだよ」
レイは一瞬ぴくりと眉を動かしたのち、何を今更…というように顔をしかめた。
「お前が眠れないと言うからだろう」
まあ確かにそういうことではあるのだが、若干言葉に誤りもあるような気もする。
「でも別にわざわざレイがこんなこと…」
「お前はなにか?あいつらは良くて俺では駄目だというのか?」
そういうことを言っているわけでは無いのに、レイは先ほどから何かにつけてこんな言い方をする。シンは自分のこの気持ちをなんと説明したら良いものかと半ば途方にくれた。
「大体お前はあいつらの部屋にこそこそと行くようになるまでの間、どうしていたんだ」
こそこそと、という所を強調してレイは言った。
これはレイが先ほどからどうも腑に落ちないところでもあった。シンが編入してきて暫くの間、死んだように眠っているシンを何度か見たことがある。シンが言うようにそれほどまでに頻繁に魘されるというのであれば、俺が見たシンは物凄い確率でたまたま魘されなかったと時だったということになる。
シンはふうと短く息を吐くと、これまた言いにくそうに「薬」と漏らした。
「薬?」
聞き返したレイに、シンはこくりと頷くと、眠剤飲んでた、と不貞腐れたように呟いた。
眠剤、という響きに、レイは少なからずショックを受けた。
目の前で家族を失い、どのような理由にせよひとりプラントで軍人になる為アカデミーで生活をし、夜は家族の夢に魘されて睡眠薬を飲んで眠る…。そういえばシンは食事さえまともに摂ってはいなかったのではないか?
レイは目の前で落ち着きなく視線を動かしているシンの腕をぐいと掴んだ。突然のレイの行為に驚いて身体を硬くしたシンの赤い目を見て言った。
「俺が何故こんなことをするのかとお前は言ったな」
レイの言葉の真意を図りかねつつも、シンは頷く。
「それは俺がそうしたいと思ったからだ」
「へ?」
呆気にとられたままのシンを、掴んだ右手で力任せに引き寄せてベッドの上に転がし、レイはさっさと立ち上がり部屋の明かりを消すとベッドに潜り込んだ。あたふたと慌てているシンに有無を言わさず布団を掛け、その上から抱え込むように手を回すと漸く諦めたのかやっとおとなしくなった。
「…寝ろ」
寝ろって言われてはいそうですねって寝れたら苦労しねーよ!シンは心で叫んだが勿論声にはしなかった。
レイの息がおでこのあたりにすうすうとかかる。一応目を閉じてはみたものの、こんな状況で眠れるとは到底思えなかった。うっすらと開けた瞼の隙間に映るレイの金色の髪からいい匂いがして、これは俺の妄想なんじゃないかとそんな気にさえなる。
そっと見上げると、レイと目が合った。ずっと見られていたのかと思うと顔から火でも出るんじゃないかと思うくらい本気で恥ずかしかった。
固まったまま息を殺していると、程なくしてレイの呼吸音が規則的なものに変わり、恐る恐る確かめるとレイは空色の瞳を瞼の奥に閉じ、形の良い唇をほんの少し緩めて眠りについたようだった。シンはその美しい寝顔に暫し見惚れたあと、ゆっくりと瞼を閉じた。
それでもやっぱりレイの隣で眠るこの状況が信じられなくて、瞼を閉じてからも何度も何度も目を開けては傍にあるはずのレイの寝顔を確かめた。
結局シンが漸く眠りについた頃には既に日は昇り始めていて、無意識にレイのシャツを握り締めて眠るシンを見つめてレイは小さく欠伸を噛殺した。
(1時間くらいなら眠れそうだな…)
身体を動かそうと思いシャツを握っているシンの手をゆっくり解くと、行き場を失ったように空を掴んだシンの手が、きゅ、とレイの指を握った。そのまま何度か確かめるようにぎゅ、ぎゅ、と指を握ると、掴んだ指を頬の辺りに引き寄せ、シンは満足そうに微笑んだ。
レイはそのシンの無意識であろう行動に瞬きをすることさえ忘れて呆然と見入っていた。
以前にもこうして眠るシンに手を掴まれたことはあった。過呼吸を起こしたシンを抱きかかえたことも。レイが一緒に寝てやると言ったのは、その延長線のつもりだった。しかしそのどちらの時とも違う。どくどくと心臓の音が聞こえる。これは俺の音なのか?
心の奥のほうにある何かがかちりと音を立てた気がした。
レイはシンが掴んで離さない自分の指から目を離すことが出来ないまま、シンの体温と、その柔らかい頬の感触に不思議と安らぐ自分に、レイはただただ困惑していた。
昼休みの食堂で、シンは隣でランチのハンバーグを頬張るヴィーノに小さくゴメン、と囁かれた。何がゴメンなのかわからずに目をぱちくりとさせると、ヴィーノも驚いたように目をぱちぱちとさせた。そんな二人を向かいで目で追っていたヨウランが、ゆったり口を挟む。
「仲直りしたのかよ?お二人さんは」
その言葉にシンはげほげほと咽返り、レイがさらりと答える。
「お陰様で」
シンは涙目になりながらレイをちらりと見上げ、ヴィーノが渡してくれたコップの水をごくごくと飲んだ。
(良かった、レイはほんとに部屋代えする気はないんだ…)
シンは今朝のレイの様子を思い出し、小さく安堵の息を吐いた。
目が覚めた時、隣にいるはずのレイの姿が無いことに驚いたシンは、文字通り飛び起きた。慌ててきょろきょろと部屋を見回すシンに「遅刻するぞ」と言って洗面所から出て来たレイの顔を見たシンはぎょっとした。明らかに寝れませんでしたという顔のレイに、血の気が引く思いがした。
(俺のせいでレイは眠れなかったんだ)
いくらレイが良いといったところで、やっぱり一緒に寝るなんてそんなことしちゃ駄目だったんだ…。俺、レイに迷惑かけてばっかりだ…。
「シン、ひとついいか」
項垂れたままのそのそと支度を始めたシンは、ふいに掛けられたレイの声にびくりと身体を揺らして振り返った。
「おまえはいつもあんな感じなのか」
「…え?」
あんな感じ、というのが何を指しているのかさっぱりわからず、シンは眉を寄せた。
「いや、だからあいつらと寝ている時もあんな感じなのか」
レイにしては珍しい遠回しな物言いに、シンはさあっと顔色を変えた。
「ごごめんレイ、あの俺やっぱり何か変なこと言…」
くしゃりと顔を歪めたシンに、レイは僅かに目を開き、心なしか視線を逸らして言った。
「いや、そういうことではなく…、夕べは特別おかしなことはなかったのかと」
「それは…ないけど…」
不安気に答えるシンに、レイは更に問いかけた。
「では悪い夢を見てはいないんだな?」
こくり。シンが頷く。
「では特別良い夢を見ていたというわけでもないんだな?」
「夢は…見てないけど」