その声も、唇も
「……えっ? いいの?」
掌の上に載せられた二枚のチケットを、穴が開くほどじっと見つめた。
「ああ。気負いすぎているからな、アイツ。上手くガス抜きしてやんな」
跡部の言葉に、ジローはチラッと、テニスコートへ視線をずらした。そこには晴れて両思いになった後輩が、がむしゃらにラケットを振って練習に打ち込んでいる姿がある。
日吉が必死になる理由について、ジローは痛いほど分かっているつもりだった。だから、止めろとも控えろとも言えなくて、一緒に帰る帰り道に好物のポッキーをあげたり、ジュースを奢ってあげたりしていたのだ。
それで何が晴れるわけでも、解決するわけでもないのに。
自分の無力さを痛感し、非常にモヤモヤしたものを抱えながら今日まで過ごしてきたのだけど、跡部は意外とそういうことに鋭くて、こうして手助けしてもらっている始末である。
「ありがとう、跡部―! ……でも、使う暇があるかな?」
「安心しろ。明日はコート整備をするからオフになった」
「えっ、マジで!?」
急な話に驚いてから、そうか、だからこのチケットをくれたんだと察する。
「ありがとうー! 大好きー!」
「やめろ。それは日吉に言え」
嬉しさのあまり抱きつきそうになったジローを、跡部は片手を伸ばして押し留めてくる。ずいぶんな扱いだったけど、彼の言うことはもっともだ。
「おう! そうする! マジ、ありがとなー、跡部!」
チケットを抱きしめ、ジローはウキウキとした気分で練習終了後に日吉を誘ってみたのだった。
真夏の熱気が、アスファルトから陽炎を浮かび上がらせている。
午前中は炎天下で遊び続けたこともあり、午後のもっとも日差しのきつくなる時刻は屋内で過ごそうかとジローは考えた。
「外は暑いし、こっちのさ、建物のほうに行ってみねぇ?」
案内パンフレットを広げて指を差すと、日吉も頷いてくれた。
「ここには映画館があるんですね」
「見る? 俺は何を見ても寝ちまうんだけど……」
コンサートへ行けば次第に眠たくなり、授業でオペラを見たときも同じだった。一緒に見た宍戸には呆れられたけど、彼もどちらかといえば眠たそうだったことを覚えている。
「……仕方ないですね。ジローさんが楽しめないなら、俺もいいですよ」
クスクス笑いながら日吉はそう言った。呆れつつも親愛のこもった台詞に、うわぁ、と。ジローは頬が赤くなりそうな衝動を必死で抑えていた。
──ああ、もう、可愛いんだから、まったく!
今こうして二人きりで遊びに来ている事実が、改めてジローの中に浸透してくる。潤いにあふれすぎて、溺れてしまわないようにしなければ。
「よし、じゃあ、行こっか!」
「はい」
残っていた飲料を一気に飲み干してから、ジローは先に立って日吉を促した。リードするのは年上である自分の役目。同級生たちからは何かと世話になっているが、妹を持つ兄という立場でもあるジローは、相手が年下のときに関してのみ面倒見がいいほうだった。
*
「一階がゲーセン、二階がカラオケとボーリング場、三階がエステサロン、四階がレストラン街かぁ」
「さらに上が映画館……。本当になんでも揃っていますね」
遊園地から少し歩いた先にある屋内施設には、娯楽と呼ばれるものがギュッと詰まっていた。さすがだなぁ、と感心していたジローは、さてどうしようかと再び考える。
ゲームセンターもいいけど、ボーリングも楽しそうだ。残るカラオケは……。
「ひよって、カラオケとかやる?」
そういえば、日吉が歌を歌っている姿なんて見たことがなかった。鼻歌すら聴いたことがない。ヘッドホンを耳に当てている仕草すら知らないから、あまり音楽には興味がないのかなと思い、聞いてみると。
「……カラオケは嫌です」
静かに顔を逸らし、日吉はきっぱりと断りを入れてきた。
彼がこれだけハッキリと述べるのは珍しい。ジローの中にムクムクと好奇心が沸いてくる。
「なんで?」
「……なんでって、苦手だからです」
さも嫌そうに眉をしかめる姿に危険信号が灯る。いけない、ダメだと分かっているのに、好奇心と興味が抑えられない。
「歌うのが? それとも雰囲気とかが?」
しつこく食らいついてくるジローに、日吉はたじろぎだした。
──困っている顔は、特別に可愛いなぁ。
滅多なことでは取り乱したりしない日吉だ。後輩でありながら精神力が強く、さらに冷静でいつも落ち着き払っている。そういう彼が見せる戸惑った表情は、実にレアなのだ。
「……なんだっていいでしょう? 苦手なものは苦手なんです」
「ふぅーん。じゃ、カラオケに行こうか?」
「なんでそうなるんですか!」
「だって、教えてくれねぇーんだもん」
ビキビキと、日吉のこめかみに青筋が浮かんできそうだった。プッと、ジローは吹き出す。
「そんなおっかねぇ顔してると、いい男が台無しだよ?」
「そんなの、どうでもいいです」
冷静に怒るという高等技術を披露する日吉を、ジローは感心したように眺めていた。
「そうだ。じゃ、なんか勝負しようよ。俺が勝ったらカラオケ。ひよが勝ったら、ひよの希望に従うよ」
これなら公平。何より日吉は勝負事が大好きだから、必ず乗ってくるはずだ。
「……『何』で、勝負するんですか?」
思惑どおりなことを言う日吉に笑いがこみあげそうになるが、ジローはそれを必死で抑えながら言った。
「うーん。俺らといったらやっぱり……」
そして二人は数分後に、施設内のテニスコートの上に立っていた。