その声も、唇も
見物客たちの視線を一身に浴びながら行われた試合は、約二十分の激闘の末にジローがものにした。
「イエーイ! 俺の勝ちー!」
「…………クソォ……」
あと一歩届かないで負けた日吉は、地獄の底から這い上がってくるような呪詛の言葉を吐いている。地面が割れて、地下のマグマが噴出してきそうな光景が見えるようだった。
「汗でびっしょり。ウェアも借りておいてよかったなー、ひよー」
あえて結果には触れない話をすると、コートの上に座り込んでいた日吉がゆっくりと立ち上がってくる。
「……そうですね。レンタル料タダで驚きましたけど」
「太っ腹だからなー、跡部は」
もちろん本当はタダではないのだけど、ジローが名前を書き込んだらすぐに応えがあって、跡部から利用料金は受け取らないよう言い渡されていると言われたのだ。
至れり尽くせり。そして、細かいところまでよく手が行き届いている。本当に同い年なのだろうかと、たまにジローは頭を悩ませることがあった。
「つうか、さぁ。結局、テニスやっちまったな」
オフだから身体を休めておけと通達されていたにもかかわらず。
ジローはケラケラと明るく笑い飛ばした。まったくどうしようもないテニス馬鹿ぶりに、もう笑うしかなかった。
例えばゲームセンターにあるゲームで賭けをするよりは、お互いが全力で勝負できる方法でないとどちらも納得できないというか、特に日吉はそうだろうと思うのだ。テニスでの勝敗なら、彼も文句は言えないはずである。
「カラオケ、付き合ってくれる?」
「……言ったことは守ります」
いい子だなぁと、ジローはしみじみ思う。武道が骨の髄まで身についている彼は、言い逃れも卑怯な行いも基本的にしない。
真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに進もうとする日吉の背中を、ずっと後押ししてあげたいという気持ちは、日を追うごとに増していっている。
「シャワーを浴びたら、カラオケだ!」
「俺は歌いませんからね」
「ええーっ! そんなの、つまんねぇよー」
──それって一人カラオケと同じじゃん!
知らん振りを決め込む日吉を見て、これはなんとしてでも歌わせてやろうと、ジローは別の野望に燃え始めた。
*
カラオケの利用料も跡部の計らいでタダになっている。
ボーリング場の奥に設置されてある室内に日吉の背中を押すように押し込め、すぐにジローも入ってドアを閉めた。
戸惑ったように佇む肩に手をやってソファに座らせ、ジローはそそくさと準備に入る。
「俺もカラオケは久しぶりだなぁ」
マイクを手元に置き、分厚い本を広げて、ページをパラパラ捲りながら言う。
「……向日さんあたりと行くんですか?」
「おー。がっくんとは幼稚舎の頃から行ってたね。中学に入ってからは跡部ん家でやることが増えたかなぁ」
「家にあるんですか……」
「なんでもあるぞ、あそこ。今度ひよも一緒に遊びに行こうぜ」
「遊びに行くだけなら」
カラオケはやりません、と暗に仄めかす日吉の慎重さに、ジローは密かに笑ってしまう。来年の氷帝はきっと安泰だ。彼が部長となって、要所要所を締めてくれるに違いない。
「なぁ? じゃあさ、一緒に歌おうよ。それならいいだろ?」
もし、歌うのが恥ずかしいのならそれで解決できる。ジローの提案に対し、けれど日吉はまだ渋い表情を作っていた。
「……とにかく歌は苦手なんですよ」
「なんで? 音痴とか?」
「そういうわけではないと、思いますが……、どうなんだろう?」
よく分からないとばかりに首をかしげている、その困ったような顔が可愛い。
「じゃあ、歌うこと自体に慣れてないってことか?」
「そんな感じです」
ようやくピッタリくる言葉に当たったのか、日吉も今度は頷いていた。
なるほど。経験値が足りないだけなのか。そういうことなら話は簡単だ。要するに、歌って、歌って、歌いまくればいいのだ。
「大丈夫。慣れちゃえば、人前でも歌えるようになるよ。今日は俺だけしかいないんだし、練習のつもりでやってみよう!」
さぁ、と食い下がってみれば、鉄壁の意志を持つ日吉の表情がやや揺らいでいた。もう一押しとばかりに、ジローは説得を続ける。
「苦手って言ってても、授業では歌わないとダメだし? 監督の授業知ってる? 絶対に人前で歌わせるからね!」
これが止めだった。避けては通れない道と、テニス部監督の榊をよく知る日吉ならば、それがどれだけ険しい道のりであるか、実感として分かるだろう。
案の定、日吉は顔を顰めて考え込んでいる。
「何回か歌っちゃえば平気になるからさ。俺が勝手に歌っているから、適当なときに入ってきてね」
強引に歌わせるのではなく、自主性に任せることがポイントだ。マイクだけは持たせておき、日吉でも知っているだろう流行のJPOPを選択して、ジローも久しぶりのカラオケを楽しむことにした。