銀誕企画ログ
名も無き優しさ
秋は移り気な気候というけれども、その日は燦々と陽光の降り注ぐ、実に天気の良い日だった。
少しばかり冷気を含んだ爽やかな風が、穏やかに吹いているともなれば、誰だって外へ出掛けたくなるものだろう。
それは普段ぐうたらと過ごしている銀時だとて、決して例外では無かった。
然しながら、彼はおいそれと家を空ける訳にはいかない理由があった。今は居ない、眼鏡を掛けた助手に、留守番を頼まれていたのだ。
常ならばそれがどうしたと平気で出掛けてしまうのだが、今日はどうしてもそれが出来ない。
こういう時に限って、と銀時は盛大な舌打ちをした。
そもそもこんな事になってしまったのは、随分と前に遡る。
その時彼らは、何時もの様に惰性に身を任せてテレビを観ていた。何の番組だったかは、もう覚えてはいない。けれどもそこでキャスターが、十月十日は糖の日だと漏らしたのだ。
目敏く聞き付けた助手達は、正に自分の為にある様な日だと嫌味を零し、それにカチンときた雇い主も、大人気なくその自分の為にある様な日こそ、正しく自分の生誕日なのだとうっかり暴露してしまった。
寝耳に水な出来事は、子供達を大いに笑わせ、そして大いに興奮させた。余り己の事を語らぬ上司が、ぽろりと零した事実なのだ。無理もない事だろう。
そうして子供達による計画は着々と進み、祝いの為の資金を貯める為だと主役自ら馬車馬の様に働かされ、そうして今日。準備の買出しとやらで留守を頼まれた。
絶対に家から出るなとのお達しに、夜迄に戻ってくれば良いだろうと思っていた銀時は大いに反発した。そもそも何故こんな糞餓鬼共に命令されなければならないのだ。冗談ではない。
然し振り向いた助手達は、今まで見た事も無い黒いオーラを放っていた。顔だけは満面の笑みを貼り付けていて、だからこそ余計に恐ろしい。
常に無い迫力と圧力に、銀時は呆気なく屈した。これを破ろうものなら、明日は無いとすら思った。
けれど、これは無い。
外界はこの陰鬱な気分とは裏腹に、眩い程に輝いているというのに。少しは譲歩してくれても良いではないか。どうして己の生誕日に、こんな思いをしなくてはならないのか。
「ヤバイ。何か涙出てきた」
彼らが自分の事を思っての行動だと、重々承知している。仮令遣り方が多少強引でも捻くれていても、だからこそ銀時は一回りも歳の離れた子供の言い分――云い付けという名の「お願い」をこうしてきちんと聞いているのだ。
普段駄目人間だと罵られていても、一応大人なのだ。これ位の分別は弁えている。
そう思って、銀時ははっと顔を上げた。
我ながら良い考えだと、自分で自分を褒めちぎる勢いで席を立つ。
要は家を空けなければ良いのだ。ならば玄関先、手摺に凭れ掛かりのんびりと陽に当たる位ならば、別に大丈夫だろう。彼は、そう考えた。
そうしてそれを実行すべく、大股で廊下を歩く。どたどたと煩く鳴る足音が、心なしか楽しげに聴こえる。
腕を伸ばし戸に手を掛けガラリと開けた瞬間、目に飛び込んできたのは穏やかな陽光―――では無く、看板の裏側だった。
彼は派手に何かに躓いて、大層な音を立てて転んでしまったのだ。
「ってーな、オイ!」
がばりと身を起こし足元を覗いてみると、そこには綺麗に包装された、小さな箱が鎮座していた。
メッセージカードも何も無いそれを、訝しげに手に取り、容赦なく包みを剥がす。
箱を開けると、其処には何時しか銀時が一度は食べてみたいとぼやいた菓子が、躓いた所為だろう、少し崩れて並んでいた。
それに銀時は瞠目し、次いで俯いて口をへの字に曲げた。がし、と髪を掻き、上がる口角を必死に押さえる。
これが食べてみたいのだと、そんな事を漏らしたのは、この世にたった一人しか居ない。
今日が一体何の日なのか、何処で情報を得たのだろうか。抜け目の無い男に感嘆の息を漏らす。
「ありがとな、沖田君」
不恰好に歪められた顔を、誰にも見られなくて良かったと、銀時は天を仰いでそう思った。