テニスlog
目の前には真っ赤な毛を持つ子猫が、それはそれは楽しそうに隣に並んで歩いている。
かくいう俺はその小さな身体に合わせた歩調で、それはそれはうんざりと、ゆったりゆったり歩いている。
あの日この「オトシモノ」を拾って以降、とんと良い事がない。
否、寧ろ毎回気を張り詰めらせていて、気が休まる暇が無い。
歩くにしてもこの体格差。
どうにもこうにも亀行進。目的地に着くのにも倍以上の時間を費やす。
はあ、と重い溜息をついては、頭を項垂れる日々。
不思議そうに俺を見上げる子猫に、また大きな溜息を吐いた。
この子猫は余程好奇心が強いらしい。
それは一緒に居る様になってから気づいた事。
けれどもよくよく考えてみれば、そうでなければあの日、俺に話しかけはしなかっただろうなと今更ながら思う。
あの日にそれと気付かなかった己を激しく呪うも後の祭り。
この莫迦猫ときたら自分だけじゃ飽き足らず、そう、他の連中にも誰彼構わず話しかけた。
それは快晴が続く気持ちの良いある日のこと。
何時もの様にその辺を気の向くままに歩いていた。無論、子猫も一緒だ。
すると目の前に犬が飼い主に手綱を引かれ、散歩をしていた。
それに興味を示した赤毛の猫は、飼い犬とはいえ、それにトコトコと近寄って、
「こんにちは。俺ね、英二っていうの。そっちは?あ、何処住んでんの?」
暢気に自己紹介ときた。
くらり。
思わず目眩。待て待て待て。確かにそいつは飼い犬だ。
飼い犬だとも、ああそうだ。だがなちょっと待て。
「そいつはここらで一番躾の悪い、凶悪犬なんだよ!こンのバッカ猫がぁーーーーッ!!!」
食い千切られるところを寸での所で躱して、口に銜えたまま脱兎の勢いで逃げる。
随分離れた場所に来て漸く子猫を離すと、きょとり。
そんな目をして顔を覗かれた。
そんな出来事が何度も続き、好い加減ブチ切れそうになったのがその更に三日後。
猫と向かいあってすぅと息を吸ったその時、目の前に、何時ぞやの躾の悪い凶悪犬が。
神様とやらは何処までもこの猫の味方らしい。
急いで口に銜えて逃げようとする、その瞬間。
「あー!ボスだ!久し振り。元気してた?」
…………………ハイ?
ボスって何だ。ボスって。
待てそこ何和んでやがるっていうか何時の間に仲良くなったんだよお前何時こいつを懐柔させたんだオイ。
疑問は尽きることなく。そして一通り挨拶を済ませたらしい子猫は一言。
「話してみれば、結構良いヒトだよ。ボスって」
さよかい。
もう何とでもしてくれ。
振り回されっ放しな自分に泣けてくる。
よくもまああんなのに近寄れるものだと、妙な感心をするくらいに脱力している。
猫は矢張り人の気も知らず、首を傾げて見上げていた。
そんな出来事を思い出して、また重い息を吐き出す。
その拍子にふ、と猫を見れば、さも嬉しそうにふうわりと笑んだ。
本当に。
何時の間に懐柔させられていたのやら。
苦い笑いを押し殺し、鼻先で頬を擦ると擽ったそうに、それでも心底嬉しそうに。
まあ良いかと思うのは。
胸に広がる仄かな温かさが意外にも心地好かったから。
ああほんとうに。
一体何時の間に懐柔させられていたのやら。
end.