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不二菊log

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逃げ水




「逃げ水?」

それは暑い暑い夏の出来事。
白昼夢の真っ只中に置き去りにされた俺はただ只管追い駆けて。
それでも目の前のこの男は逃げているつもりはないと、憎たらしくも穏やかに微笑ってそう告げた。




晴天極まりない真夏日。
太陽から送られてくる熱を孕んだ光は容赦なくアスファルトを照らし、その乱反射で目が眩む。
コンクリートで固められたこの街は、その熱を逃がすどころか大切な宝物を取られまいと殊更大事に包み込んで、奥へ奥へと押し隠した。

頭上からはジリジリと焼け付く様な熱を受け、足元からはねっとりとした熱い空気が絡みつく。
じわり、じわり、と地面から這い上がる熱気に感覚は既に麻痺し、そこに見えるは熱のオーロラ。
ゆらゆら、ゆらゆらと漣の如きソレは、近くにあって遠くに属するもの。

―――蜃気楼。

これも一種の夏の風物詩か、と霞み罹った思考でそう、思った。
ああ、地面が濡れている。



「――逃げ水?」
「そう。蜃気楼の一種だよ。地面が熱せられて表面が濡れた様に見える、気象光学現象」
「き…?何?」
「気象光学現象。近付こうとするとどんどん遠くへ逃げて行ってしまうから、そう呼ばれてるんだって」

決して追いつく事が出来ない、夢現な幻だよ。

そう言って、亜麻色の髪を持つ眼前の男は薄く微笑んだ。
それを奇麗だと暫し見惚れて、そして物悲しさを覚える。奇麗だと思うその顔は、しかしそう思うのはほんの一瞬で、克明には思い出せない。
輪郭は既に朧気。
その笑顔に、真意は汲めない。

「じゃあさ、もしもの話。その『逃げ水』に追い付ける事は出来る?」

ならば代わりにと言葉を紡ぐ。
目の前のこの男も、この空間も他愛もないこの会話も。
すべては、現実のもの。
蜃気楼の様に不確かな存在ではなく、熱に浮かされて見た幻でもなく。
触れれば心地好い熱を持ち、己が意思を持つ確かな存在。
けれども時に現実とは、手酷い仕打ちを仕掛けてくるものだ。

「さあ?僕には分からないよ」

あっさりと返された答えに愕然とし、しかしそれをあからさまに表に出す事は憚られた。
悔し紛れに夢が無いと反論しても、追い付けないから逃げ水って言うんだよ、と逆に諭されてしまう始末だ。
少しでもこの男の本意を読めないかと視線を上げると、笑みを湛えた顔とぶつかった。

「大体追い付いてどうするのさ?」

目の前が、暗い。
霞罹った笑顔さえ、今はもう見る事が不可能で。
こんなにも目を見開いているのに、暗闇の中に自分は居る。光が見えない。
微かな身動きさえしようものなら瞬時に絡め取られ、その場に縫い止められてしまう。
――立ち止まったまま、そこから動けない。
奇麗だと思ったその顔は、夢の様な幻の様な微笑。
朧気に、レンズ越しに見たかの様な、刹那の白昼夢。
確かにそこに居て、存在さえこの手で確かめられるのに。
夢のような、幻のような。
不確かな、存在。

目の前には幾重にも重なる熱の壁。
触れれば溶け、姿を失くす物の怪。
現実にあって、夢幻を見せるもの。
逃げ水のようだ、と思う。

追い駆けて追い駆けて。それでも掴まる事は無い。
当たり障りの無い言葉。見慣れた笑顔。
その奥に隠された真実は、垣間見る事さえ叶わずこの手を摺り抜ける。
現実に在りて、幻の様なひと。

頭上からは、ジリジリと焼け付く様な熱。地面から這い上がる熱は漣の如き蜃気楼。
身を焦がす様な熱気に苛まれて尚、思い煩うは彼の人の事。
焼け付く様な感覚に眉を顰める。肌は熱を帯びてピリピリとした痛みを訴えるのに、それよりも胸の奥底が焦げた様な臭いが嗅覚を刺激した。
そんな事は有り得ないと分かってはいても、ぼやけた思考回路は間違った判断を下し続ける。


ふいに、手を伸ばした。
真っ直ぐに。精一杯。

伸ばして伸ばして掴んだものは、

虚空、だった。


追い駆けて追い駆けて。
追い付こうと追い駆けて。
追い縋っては逃げられて。
決して掴まらないもの。

決して掴まらない彼の人は、
逃げ水の様だと思った。


―――ああ、地面が濡れている。


end.

作品名:不二菊log 作家名:真赭