桃菊log
La chance
バイトをした。
そのきっかけは実に単純明快で、早い話俗に云う誕生日プレゼントというものを買う為に、生まれて初めて桃城はバイトを始めた。
月の小遣いを貯めてもそれは買えるものだったが、折角の年に一度の記念日、それも相手が中学最後ともなれば自然、気合も入る。そういう事情も踏まえて、盛大に祝いたかったというのもある。
テレビだったか雑誌だったか、その何れでも無かったか。詳細はもう覚えていないがどこぞの女が「愛は金額じゃないのよ」と言っていた様な気もするが(そしてそれには少なからず賛同する部分もあるが)まだ年若い自分にはそこまでの境地に達する精神なぞ持ち合わせてはいないし、何かしら形の残るものをあげたかったというのが正直な本音だ。矢張りそこには最後の記念に、という意味合いが強い。
いくらエスカレーター式とは云え、高校と中学では校舎はおろか敷地も離れている。唯でさえ会う機会が減ってきている現実に、これはヤバい、と本能的な危機感が桃城を襲ったのもそれに拍車を掛けた。とはいえヤバい、とは思えど、実の所それが一体何なのかは桃城自身にも良くは解っていなかった。だからそれは本当に野生の感じみたものなのかもしれない。
兎も角彼は子供じみた独占欲と年相応の所有欲を押し隠す事無く行動に出た。
中学生という身分故に、数少ない選択肢の中からこれまたベタに新聞配達という選択を桃城は選び取る。
朝も早ければ賃金も安い。自らの小遣いと合わせればそれなりの物は買う事が出来る金額ではあるが、昨今の若者からみれば大した額じゃないと一刀両断される様な懐具合だ。
彼にしてもどうせやるならば気張って豪華なものを贈りたいと考えてはいるのだが、如何せん条件がクリア出来る物件が少ないのも事実であった。
然しながら彼に言わせればこれには理由がある。
先ず彼は朝が苦では無かった。そしてテニス部に所属している身でもある為、どうしても朝練は避けて通れない道だった。
ならば練習が終わった午後にでも、と雑誌や新聞の求人欄を探してみたのだが、よくよく考えてみるとハードな練習をこなした後のくたくたな身体で働くのは、とてもじゃないが無謀に思えた。下手をすると翌日まで疲れを引き摺りそうな予感もじわりじわりと押し寄せてきて、結局桃城は早朝働けるバイトを探す事にしたのだ。
そうして選び抜かれた新聞配達という職種は、報酬さえ目を瞑ればこれが思いの外桃城の提示した条件を満たす、とてもイイ物件だった。
彼の母親だけが一人渋い顔をしていたが、それは配達後そのまま帰宅する事無く学校へ向かい朝練に行く息子に合わせて、常よりも早く弁当を作らなければならなかった所為である。ひと月、という期限が無ければ今頃母親の痛い位の視線に苛まれる日々を過ごさなければならなかったろう。
そうして手に入れた報酬を目の前にして、桃城は柄にも無く浮かれ、そして困り果てた。金を稼ぐ事ばかりに気を取られ、肝心のプレゼントの中身を一切考えていなかったのだ。
幸い期日までにはまだ余裕がある。ならばそれまでに想い人が欲しそうなものをリストアップして買いに行こうと頭を切り替える。
何事も悲観的になってはいけない。常に前向きに検討するのが己の長所だと桃城は自負している。ただ残念な事に、彼を取り巻く人間は単純に単細胞の馬鹿だという評価をしているのはここだけの話だ。無論本人はそんな不名誉な評価を得ている事なぞ知る由もない。
それはさておき、桃城は脳内でざっと相手が欲しそうな物を羅列してみた。
だがここでもまた問題が起きた。
彼――菊丸が欲しそうな物が思い浮かばなかったのだ。
以前一緒に買い物に出掛けた時の事などを思い返してみても、彼はペットショップの動物を見ては可愛い、欲しいと言い、CDショップやテニス用品店に行けばこれが気になってる、欲しい、と言っていた。だがそれはプレゼントには何れも不向きであったし、何より自分で買える代物だ。
他に何か―――例えば服とかアクセサリーだとか、そういうものは無かったかと記憶を漁ってみたが、決定打になるようなものは何も出てこなかった。
桃城はほとほと弱り果てた。何かをあげたいと思うのに、何をあげたら良いのか分からない。こちらで彼に合いそうなものを適当に選んでも良いが、どうせなら欲しいと思っているものをあげたいし、自分でチョイスしたものが相手が気に入らなかったら流石にプライドが傷付く。桃城は意外とムードや手順を気にする、格好つけたがりだった。