そして愛に至る
「嘘じゃねぇぞ。で、飲んでるときにゾロやけにテンション低くてよ。どうしたんだって聞いたらコックの様子がおかしいとか言うんだ。最近俺に触らせねぇどころか、目もあわせねぇって。ったく、何で俺がホモの悩み相談受けなきゃなんねぇんだとか思いながらも聞いてやったさ。優しいだろ?ルフィはあほみたいに食ってるだけだしよ、目の前には傷心のマリモが一匹。店中が引いてたな、あれは。でもな、コックの考えてることがわからねぇとか言うあいつにルフィが言ったんだ。サンジは人に何かしてほしいって言えない奴だって。人に何かをしてあげることはできても、してもらうことが苦手なんだって」
ゆっくりと顔を起こしてサンジはウソップの方を見た。ウソップは立ち上がって、サンジの隣の椅子に座った。
「お前とゾロがどうなればいいかなんて俺にはわかんねぇよ。でもな、ゾロが必要なんだったら素直にそう言え。奴の目を見て言え。大切なことはたいがい言わなきゃわからねぇんだよ。あいつがお前の真剣な気持ちに答えねぇ奴だと思うか?そんないいかげんな奴だと思うか?」
いつになく真摯なウソップの表情をサンジはぼんやりと見つめている。
「飢えるのはここだけじゃねぇだろ」
ウソップは自分の腹を叩いて言う。
「・・・意味がわからねぇよ」
「いいかげんに認めたらどうだ。お前はどうしようもない甘ったれなんだよ。誰かに優しくしてもらわなきゃ、生きていけねぇんだ。何もお前だけじゃねぇよ。人はみんなそうさ。お前は多少人よりねじまがっちゃあいるが、でも惚れた奴に冷たくされてぇ奴がどこにいるよ」
ウソップは持っていたスパナでサンジを指差し、きっぱりとした口調になる。
「だいたい、これから先のことなんか考える頭があるんなら最初っからゾロと寝たりするな」
サンジはスパナの先から、すっとウソップの瞳に視線を向ける。どこか縋るような表情に、ウソップは軽い罪悪感を覚えてしまう。
「・・・ゾロは真っ直ぐな奴さ。気まぐれで男を抱いたりするかよ。そして結果はどうであれ、てめぇ等が出会ったのは運命だったんだよ。ルフィっていうでっかい太陽に出会って、俺たちがこうやって同じ船に乗り合わせたことも。いい加減諦めろ。出会っちまったもんはしょうがねぇだろ。出会う前には戻れねぇよ。っつたく、そう思わなきゃ、俺が浮かばれねぇぜ」
ウソップが大げさに溜息をついてみせると、サンジは目を細めて薄く微笑った。こういう歳相応の子供っぽい顔は嫌いじゃない、とウソップは思う。この顔を見るためなら何でもしてやりたいなんて気分にさえなる。彼の瞳に遷ろう影を消すことは、自分には決してできないけれど。
「・・・怖いんだよ」
「何がだよ」
「わかんねぇ。ただ・・・」
「ただ?」
「これ以上、いろんなことがわかっちまうのが怖えぇ」
サンジはまっすぐにウソップの目にそう言った。そのまま、ことんと彼の肩に額を落とす。ウソップはおろおろと両手を空に浮かせると、少し迷ってからそっとサンジの頭にそれを置いた。
「あいつにもそうやって甘えてみろよ」
そう呟いたウソップの声が、昼間のキッチンに響いた。
蜜柑の木の陰で、ゾロは寝転がって空を眺めていた。
午後の空は突き抜けるように青い。大気圏を吹き抜ける風がゆっくりと薄い雲を南へ運んでいく。青々と茂る蜜柑の木の葉は日差しを照り返して鮮やかな緑色に輝き、下に寝転がるゾロと、その横に腰かけているヌイグルミのようなトナカイに涼やかな居場所を与えてくれていた。
ゾロは目を閉じて、昨夜の船長と狙撃手の言葉を思い出していた。
この船のコックは、他人にご馳走をふるまうことは得意でも、自分が食べたいものを要求するという感覚が抜け落ちているらしい。ともすると食欲でさえも、彼はどこかに置き忘れてしまったのかもしれない。
生まれつきそうなのか、それともそれなりに複雑であったらしい生い立ちによるものなのかはわからない。人の過去などゾロにとってはどうでもいいことだ。
ただ気になるのは、コックが時折見せる濁った瞳や受け入れない後姿、薄くなる存在感。
そういう時はいつも困惑して腹が立って、思ってもいないことを言ったり彼が嫌がるようなことをしてしまう自分がいる。そういう風にしか彼と関われない自分が嫌で、彼を傷つけたことを後になって死ぬほど後悔する。
初めて抱いたときから今まで、いやきっと、出会ったときからずっと。サンジという男に魅せられる自分がいた。アンバランスで不安定で、脆弱で壊れ易い存在。どんなに掻き抱いても暗い欲望で汚しても、手元には堕ちてこない無垢な魂。無茶苦茶に傷つけて目の前から消し去ってしまいたい気持ちと、両腕で大切に包み込んで死ぬほど優しくしたい気持ちとが同時に湧き起こって、いつだって自分を混乱させる。
ゾロはいつまでたっても平行線を辿る思考を中断するために、目を開けて勢いよく上半身を起こした。昨日からもう3年分ぐらい悩んだ気分だった。
「何だ、起きてたのか?」
足を伸ばしてちょこんと座っていたチョッパーがゾロを見る。チョッパーは膝の上に小さなロールケーキの乗った皿を置いて、フォークでそれを食べているところだった。首からは丁寧に白い涎掛けのようなエプロンを掛けて、もぐもぐと満足そうにケーキのかけらをほおばっている。
「何だそれ、おやつか?」
「うん。昨日お前たちがいない間、一晩中見張りをしてたご褒美だって、サンジがつくってくれたんだ。やらねぇぞ」
チョッパーは膝の上の皿を小さな両手で持ち上げて、ゾロから遠ざける仕草をした。
「いらねぇよ。甘いものは苦手なんだ」
「ふうん。変わってるな。サンジのつくるおやつはめちゃくちゃおいしいのに」
ゾロの言葉に安心したのか、チョッパーはまた膝の上にお皿を載せると、もぐもぐと口を動かしはじめた。口の周りにクリームをつけたトナカイは幸せそうに至福の時間を味わっている。愛用の帽子をかぶっていない頭の柔らかそうな毛が風にふわふわと揺れている。
この船のクルー達は本当にコックの作る料理を愛している、とゾロは改めて知る。
「このケーキ、サンジが俺のために考えてくれたんだぞ」
「へえ」
「さくら色してるだろ、これ。ピンク色の雪みたいだろって、サンジは言ってた。イチゴを潰してケーキの材料と混ぜて焼いたんだって。俺、すごく嬉しかったんだ」
チョッパーはフォークに刺したケーキのかけらをゾロの前に得意そうに掲げた。見ると確かに、その小さなかたまりは薄いさくらの色をしている。チョッパーはそのかけらをぱくりと口に入れた。
「・・・サンジは優しいんだ。俺が最近、ドラムのこと思い出してちょっと寂しいの知ってて、だからこのケーキつくってくれたんだ」
「そうか」
「・・・でもサンジが寂しいときは、ケーキをつくってやるやつ、いないもんな」
「そうだな」
「俺もサンジが寂しいとき、何か俺にできることをしてあげたい」
少し強い視線で空を見上げ、小さなトナカイは言う。
「お前、チビのくせにいろんなことわかってんだな」