君に言祝ぐ日
「可愛いこと訊くね。そうだね、好きだよ。愛している。俺さ、人間を愛しているって公言してるから割と普段抱く愛情は博愛的なものなんだけど――なんでかなぁ、君に対しては違うみたいだ。あのときも、出来ることならこれからもね」
あの時と言うのは間違いなく帝人が臨也と共に刺されて入院した時のことだ。思えばその頃から臨也の態度が徐々に変化していった。今更振り返っても何にもならないが、気づけばよかったと内心呟く。そこで気付いた。
気づいたところで、帝人の行動は変わったのだろうか?
いや、あまり変わらないだろうと断言できる。なぜならば帝人は臨也に好意を抱いていたので。それが恋情とは言い切れないもので、いうなれば憧れめいたものだった。帝人も質は違えど好意があるからこそ臨也の行動を受け入れてきたし、付き合ってきたのだ。
だが、だからといって臨也の感情を受け入れられるだろうか? 混乱した頭で帝人は想う。性癖とするなら自分はいたってノーマルで、同級生の女の子に淡い感情を抱いていたはずだ。それは今も変わらない。
なのに。それなのに。そのはずなのに。
(なんで、臨也さんを振り払えない……!)
拘束と言っても緩い。いくら帝人が細いとはいえ、本気で抗えば抜け出せるくらいの拘束しか臨也はかけてきていない。それなのに帝人は未だ囚われたまま、臨也の腕の中、彼から見下ろされている。
振り払いたくない、と自身のどこかで声がする。一緒に居たい、と囁く想いがある。折原臨也の実態を知ってもまだ言える自分がいることを、帝人は自覚していた。
帝人が倒れてから今日まで、臨也は何度も見舞いに訪れ、遊びにも誘った。その大半に帝人は応えた。それに義務や損得勘定だけではなく、単純な嬉しさをもって応えたことは数多い。臨也と接するのが楽しいと思っていた。
今更のように自身の感情を思い知り、愕然とする帝人に臨也は笑って告げる。
「いくら君が非力でも、今の拘束ぐらいは抜け出せるはずなんだけどねぇ……それを返答と受け取ってもいいのかな?」
耳朶に手が伸び、人の体温よりも冷たい感触。次いで僅かな痛み。ピアッサーが触れたのだと思うが、帝人は動けない。楽しそうに愉しそうに笑う臨也から、視線が離せない。
凍りついたように動かない手足の代わりに、かろうじて絞り出した声で問いかけた。
「いざや、さん」
「ん?」
「後悔、しませんか」
ピアスホールは傷跡だ。それこそつけ続けていくならば一生ものにもなるだろう穴。そしてそこに臨也の指定した石を入れるのであれば、きっと、帝人こそが。
(離してあげられない)
帝人は強欲なことを自分で自覚している。そして誰かが離れていくということに恐怖を抱いていることも。
ダラーズもそうだ。ブルースクウェアの頂点に立ったのも。取り戻したくて必死に足掻いて、そうして今がある。そして今、帝人が求めるものの中に臨也が入ったのならば、きっと例え、どんなことがあっても。
(例え臨也さんが捨てても僕は捨てられない確信がある。なら、それよりだったら――)
傷つくのは嫌いだ。万一のダメージを受けたくないと判断する脳が切り捨てようとするよりも早く、僅かに距離を取っていた臨也が帝人へと落ちる。思わず目を瞑れば唇に当たる感触。キスされた、と赤くなる暇もなく合わせられた唇は次第に深さを増していく。
唇を開かせ、口内へと舌を侵入させて吸い上げ、絡めあう。経験もない帝人は翻弄されるままに蹂躪を耐えていたが、ようやく離された時には既に息が上がっていた。
「無粋だよね」
僅かに離したことで出来た隙間で、臨也は嘲う。
「そんなことを抱えたままじゃ到底この先ついていけないよ? したければするし、しなければしないさ。どっちにしろ進まなければわからないよ」
傲慢なまでの態度で言い切り、それで、と促す。
「まだ君の返事を聞いていなかったけど、了承、ということでいいのかな?」
にやりと笑う猫めいた笑顔に、何も返せない。だが帝人の反応などしったことじゃないとばかりに再び口づけられた。今度は最初から口内を舌が辿る。絡められ、吸い上げられる度に漏れる水音に顔が赤くなるのがわかる。口の端から飲みきれない唾液が伝い、頬を滑り落ちた。
感じたことのない感覚にぼうっとなれば、まどろむ意識になにかが触れた。冷たい、と思った瞬間バチン!!と音と共に衝撃が耳から全身に走る。
「――――ッ!! った……」
「案外、血って出ないものだね」
そんなことを呟きながら面白そうにこちらを見る臨也の手には、先程のピアス。場違いなほどに美しいそれを臨也は手際よく開けたばかりのホールへと入れる。こちらは痛みに耐えているというのにお構いなしだ。むしろそれさえも楽しんでいるのかもしれないが。
痛みに涙が零れ落ちる。じわじわと滲んでいた視界がとうとう決壊した。一度流れてしまえばあとはもうなし崩しだ。ぼろぼろと零れる涙に嗚咽が入り混じる。
なんだってこんな目に逢わなくちゃいけないんだろう。しかも耳に穴まで開けられて。
どうしようもない悔しさと悲しさに泣く帝人を、臨也は見つめた後、そっと手を伸ばす。払いのける気力もなかった帝人は涙を拭う指先を見ながら泣き続けた。
「…………そんなに泣かないでよ」
「泣きます、よっ!」
ぽつりと落とされた言葉は意外にも真摯で。思わず反論し、歪んだ視界だが臨也を見上げれば僅かに困った顔をしているようだった。
次いで、宥めるように頬を拭っていた手が背の下に入り、抱き起こされる。回る視界に悲鳴を上げる間もなく、臨也の腕の中に抱き込まれた。
「ごめんね」
「……それ、は、何に対してですか」
「全部、かな」
今更だけどねと苦く笑う。抱き込まれているせいで表情は見えないが、声が感情を映して悲しげに聞こえる。だったらやるなと言いたいが、封じるように背へと回る手がゆっくり撫で擦る。まるで子どもにやる仕草だが、不思議と安堵した。
「でも後悔はしないよ。君にはそれが似合ってる」
それだけは譲らないとばかりに紡がれた言葉に、呆れを通り越して笑ってしまった。こんな高価な装飾品、絶対に似合わないと断言できるのに。彼は絶対に譲らないと言う。その理由までは知りたくないが、いまだ帝人の背を労るように撫でる手に、ああもういいかと思ってしまう。
どうせこうまでされて拒めない時点で、自分もまた好いていたのだろう。あるいは、あの路地裏の一件で庇った時から。
「……臨也さん。僕は、臨也さんのものには、なれません」
「――そう」
「でも、貴方の隣には居たいと思います」
僅かに驚いた気配がする。それにくすりと笑いながら帝人は臨也の胸に頬を寄せた。薫る香水に、ああ臨也さんの匂いだと安堵する。例えこの人がどれほどの悪人でも、手ひどく手のひらを返されても、それでもと思うくらいには臨也が好きだ。
例え、その機を見計らったのだとしても。打算があったとしても、差しのべてくれた手はあたたかく、あの夜の涙は綺麗だったのだから。
「そういえば、まだ言ってませんでした」
ちらりと視線を向けた先、腕の隙間から僅かに見える位置の時計はもうすぐ重なろうとしていて、その前にと。
「誕生日、おめでとうございます」