二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

水の器 鋼の翼2

INDEX|8ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

 5.

 見られている。ここのところ、ずっと。
 工場へ続く道を歩きながら、レクスは居心地悪そうに辺りをきょろきょろ見渡した。
 工場で働いている時。住み家へ帰る時。D-ホイールの材料を漁っている時。レクスの死角から、遠慮のない視線が向けられる。誰かが、レクスを指差し嘲笑っているような、とんでもなく不愉快な視線。レクスが気になって振り向いても、誰ひとりそこにはいない。
 異常な環境に置かれて、とうとう、精神に致命的なバグが発生したのか。もしそうなら、この先どのくらい生きられるのだろう。レクスは何となくそんなことを思った。
 いつもより結構早い時間に工場の建物に入ろうとしたところで、レクスの耳に何やら話し声が聞こえてきた。近くに建てられたプレハブ小屋の陰からだ。通常なら、就業時間に追われるように通り過ぎていた場所に、レクスはふと立ち止まる。人目を気にするような話し声は、返って聞く者の注意を引くものだ。
 足音も声を立てないように注意を払い、レクスはプレハブ小屋に近寄ってみた。大分近づいた時、急に一際大きな声がして、レクスは身体をびくりと震わせた。急な大声に驚いたのではない。会話の中にレクスの名が挙げられたからだ。
「ええっ、レクスさんのことをですか?」
「しっ、声が大きいぞ」
「うわ、どうもすいません」
 大声を挙げた人間が、他の人間に叱り飛ばされて、幾分か声の音量を下げた。レクスは、こっそりプレハブの陰から現場をのぞいてみる。最初に目についたのは、セキュリティの制服を着た男が二人。セキュリティに囲まれるようにして、作業服を着た男が中央にいた。レクスと同じ工場で働く、同僚の作業員だ。彼とレクスは、同じ部署で働いていることもあり、比較的仲はいい方だった。
 セキュリティに少しでも逆らえば酷い目に遭う。セキュリティは、力のないほとんどのサテライトの住人にとっては、恐怖そのものだった。そのため、作業服の男も、大層居心地悪そうに身をすくめている。
 だが、そこにいたセキュリティは、気持ち悪いほどの猫撫で声で、レクスの同僚に話を持ちかけた。
「ただとは言わんさ。お前は何も考えず、喋ってくれればそれでいい。謝礼は弾むぞ」
「とりあえず、こんなところでどう? お前、何かと物いりだろ? これで足りなきゃ、もうちょっと出すよ?」
 セキュリティは、ポケットから二つ折りの札束を取り出して、作業員に見せつけた。取引相手の目の前でぴらぴらと、これ見よがしに振られるそれは、遠目から見てもかなりの厚みを誇っていた。初めはあまり乗り気ではなかった作業員も、目の前の大金に目を輝かせる。
「何でもいいんですか、内容は」
「ああ。お前が知っていることなら、何でもいい」
 セキュリティの友好的な態度と高額の謝礼金は、いとも簡単に作業員の舌を軽やかにした。彼はセキュリティ相手に、あることないこと全てを喋ってくれた。どの辺りに住んでいるのか、普段からどういう態度を取っているのか、云々。中には、作業の合間にレクスが話した内容も含まれた。流石に、本当の前歴とゼロ・リバースの真相については、レクスは決して口外しなかったが。
 彼らの会話を聞いている内に、レクスの表情がどんどん強張っていく。サテライト暮らしで険しくなった彼の人相が、さらにきつくなる。
 作業員の話を、ふむふむとうなずきながらメモを取るセキュリティ。不明なところがあると、もう一人のセキュリティが詳しく聞き出そうとする。数十分の内に、レクスについてのあらゆる情報が場に出揃った。
「これで、お前の知ってることは全部か」
「は、はい」
 こくこくとうなずいてみせる作業員。謝礼を出してきたセキュリティが、メモを取る相方に話しかけた。
「これだけあれば十分じゃない?」
「そうだな。これで、十分だ」
 メモ係のセキュリティは、意味ありげに区切って答えると、謝礼係はくるりと作業員の方を向く。先ほど出した謝礼に更に一枚二枚と紙幣を付け加え、作業員に差し出した。
「そこのお前。時間取らせちゃって悪かったね。ほら、約束の金だ。取っときな」
 手のひらに乗る紙幣の厚みに、作業員は喜びと罪悪感の入り混じった顔をした。
「また、何かあったらよろしく頼むね」
 セキュリティたちは、最後に言い置くと、レクスのいる方向に歩いてきた。急いでレクスは別の建物の陰に潜んだ。必死に気配を隠そうとするレクスの前を、セキュリティは気づかずに通り過ぎて行く。
「次は誰にしようかなあ」
「遊ぶのはいいが、時間までには間に合わせろよ」
「分かってるって」
 セキュリティが去って行った後、レクスは作業員の方に足を向けた。その場に一人残された作業員は、震える指で紙幣をべらべらめくって数えていた。
「一枚、二枚……おおっ、すげえや。十二万円もある。これだけあれば、ふふふ……」
 ほくほく顔で紙幣を財布にしまった男は、しかし、レクスがいつの間にか眼前に姿を見せていたことに動揺して、慌てて財布を隠すとべらべらと弁解の言葉を言い連ねる。
「あ、あの、これはだなあ……」
「……」
 レクスは、凍るような眼差しで作業員を見ていたが、その内にふいっと踵を返して工場の中に入っていった。彼をその場に一人残して。
――その日から、レクスがその作業員と業務的な内容以外の会話をすることはなくなった。謝罪も弁解も、何もかもをレクスは拒んでやった。


「人間なんて、所詮はそんなものだ」
 真っ白く塗り潰したばかりのまっさらな壁に、レクスは延々と独り言を言いながら油性ペンで殴り書きをした。あっという間に、白い壁は黒い言葉の羅列に蹂躙されていく。それは、今のレクスの心そのものだった。
「人間は、他人をいとも簡単に裏切る。友情? 仲間? 絆? そんな綺麗事、この世で一番信用ならない言葉だ。いや、信用する方が馬鹿だ。大馬鹿者だ」
 呪詛そのもののとげとげしい言葉が、レクスの口から飛び出す。独り言の内容そのものが、乱暴に壁へと転写される。メモを取らなくても、この記憶は絶対に狂わないとレクスは確信している。だが、これだけは外に吐き出してしまわないと、気が済まない。
「あんな綺麗事を抜け抜けと吐いておいて、一度仲間が金になると分かったら、躊躇いもなく売り飛ばす。守るべき大切な仲間だって、必要とあらば踏み台にすることも厭わない。こっ酷く裏切っておいて、そのくせ反省の言葉もなしに仲間面をしてみせる」
 レクスの脳裏に、様々な人の顔が浮かび上がっては消える。サテライトで出会った人たち。仲の良かったあの作業員。果ては、海馬コーポレーションの上層部の人間の顔に至るまで。
「人間は、この世で一番信用できない存在だ。他人も、自分も、全てが」
 そこまでざくざく書き出して、レクスはぴたりと筆を止めた。
「……いや、違う」
 首を振って、今度は書き連ねた言葉を乱雑に塗り潰していく。薄汚れた壁が、更に黒く汚れて見苦しかった。
 荒んだ環境のサテライト。厳しい日々の暮らしは、弱い者から順に淘汰の道をたどらせる。そう言えば、とレクスは思い出した。あの作業員の娘が、重い病気にかかって大変なのだと、彼は先日レクスに話していたのだ。
作品名:水の器 鋼の翼2 作家名:うるら