Luxurious bone ―前編―
ビビは微笑んで頷き、テーブルの前に立って積んである皿を一枚手に取った。サンジがそれこそ命懸けで選んだに違いない皿は、銀色の縁取りがあるだけの白いシンプルなものだ。しかし光を吸い込むほどに白い表面や手触りの滑らかさなどから、かなりの高級品だとわかる。
手に冷たい重みを感じながら、ビビは表面の水分を、清潔なふきんで丁寧に拭き取っていった。こうしてキッチンでサンジの仕事を手伝うというのは、何故か少し甘酸っぱい感じがする。
みんなで食事をしながらテーブルを囲むことは、ビビにとっていつもとても幸福な時間だった。この船の小さなキッチンで、新しい仲間がいて素晴らしい料理があって優しいコックがいつも気の効いたサービスを与えてくれる。きちんと配列された台所器具や、ゴミひとつ落ちていない床。キッチンの窓から入り込む潮風と広がる紺碧の海。それを見ながら饗されるささやかな宴の素晴らしさ。口いっぱい食べ物を頬張って、他人の皿にも手を伸ばす船長や自分の皿を必死で守りながら食事中もお喋りをやめない狙撃手。笑顔で料理の感想を的確に述べる航海士と料理を褒めることはないけれど、黙って何杯もお替りをする剣士。また今日もこうやって美味しく食べられることの喜びを、毎日誰もが素直に感謝できる。その場所にいつも当たり前のようにサンジがいる。
「サンジさん、体調のほうはもういいの?」
ビビは聞きたかったことを、サンジの背中にそっと呟くように言った。
「・・・ビビちゃんもナミさんと同じことを聞くんだね」
サンジは桶に溜めた水を流しながらそう静かに答える。そして黙って振り返り、シンクの横に置いた食器を抱えテーブルに運んだ。
「レディにそんな心配そうな顔をさせるなんて、少し嬉しいような申し訳ないような気持ちだよ・・・この通り、もう全然平気さ。昨日は心配かけてごめんね」
聞くな、ということだろうか。ビビがサンジの表情を読み取ろうと手を止めていると、サンジはビビの横に立った。そして額に零れた前髪をかきあげた後、ふきんを掴んで食器を拭き始めた。捲り上げられ丁寧に折られた袖口から覗く腕が心もちいつもより白く、細く見える。
「何か、悩んでることとか辛いこととかあるんじゃないのかしら。サンジさん、そういうこと他の人に絶対言わないもの。・・あの、もし私で良かったら何でも話してね。何の力にもなれないかもしれないけど。私、みなさんに迷惑をかけるばっかりで、何もお返しできないから。自分の国のこととかも、ほんとに王女である私がもっとしっかりしなきゃいけないのに、みなさんに頼るばっかりで・・・」
「ビビちゃん、いろんなこといっぺんに考えすぎだよ」
俯くビビの言葉を制するようにサンジは彼女の瞳を覗き込む。
「俺たちは仲間なんだ。迷惑とかなんだとか、また言うなら怒るからね」
「・・・サンジさん」
「俺のことなら平気さ。俺はこの場所でこうして毎日料理ができるっていうことだけで、お釣りがくるぐらい幸せなんだ。ビビちゃんは今は自分の国のことだけ考えてればいいんだよ。何でもかんでも抱え込もうとするのは悪い癖だ」
サンジはそう言うと、空いた方の手をそっとビビの肩に乗せる。
「ほら、肩の力を抜いて、笑顔を見せてよ。君は君が思っている以上に、強い人なんだから」
サンジの言葉に、ビビはくしゃりと照れたように笑った。励ますつもりが励まされてしまう。この人にとって愛は与えるもので、貰い受けるものではないのかもしれない。
近くで見るサンジの瞳は海の名前を持つ宝石のように青くて、ビビは引き込まれそうになる。ああ、この人は本当に綺麗な人なんだ、と深く納得してしまう。
ビビの笑顔に満足したように、サンジはまた神妙な表情で皿を磨きはじめた。サンジの手によって再び輝きを取り戻す食器類と、自分は同じような気がする。
私だって決して強くない、とビビは思う。故郷の国を離れて、孤独な海に出て、自分のやろうとしていることが全て間違っているのかもしれない、と思い悩むことも少なくなかった。何もかもが嫌になって運命や世界や自分自身を嫌悪する。そんな時はこのまま故郷に帰りたくないとさえ思う。
この船に乗ったばかりのとき、一度サンジにそう話したら、黙って温かいココアを入れてくれた。そして「君は間違ってないよ」と一言、煙草の煙を吐き出しながら言ってくれた。涙が止らなくて、海に出て初めて子どもみたいに感情を吐き出して泣けた。サンジはそういう人だ。
「毎日同じ場所で同じものを食べていたら、家族になるのかしら」と、ある日ナミがふと言ったことがある。夕食を終えて、全員が何となくキッチンから去り難くテーブルで他愛もないお喋りをしていたときのことだ。心に何かしらの傷を抱えた子どもたちが、生まれた場所も育った環境も全く違うのに何の因果かこうやって同じ船に乗り合わせ、同じテーブルで食事をすることの温かさのようなもの。ナミの言葉の意味が、ビビには少しわかる気がした。
「サンジさん、ありがとう」
ビビはそう言って、サンジの傍らで宝物のように綺麗な食器を拭き始めた。この船に乗れたこと、この人たちに出会えたことを心の底から感謝しながら。
* * *
「サンジくんはまだ体調が完治していないようだから・・・ゾロ、付き添いで荷物持ちに行ってね」
近づく島影を視線の先に捕らえながら、航海士は半ば命令口調でそう言った。ゾロの完治していない足の傷のことなど、彼女の頭にはすでにないらしい。先日「関係ない」を連発したことへのささやかな仕返しもあるのだろう。
「ルフィだっているじゃねぇかよ。島なら飛び上がって喜んで上陸したがるだろうし」
「おあいにくさま。あいつの首には3000万の賞金が掛かってるのよ。この島は物資を調達したら夜にでも離れるわ。こんなとこでぐずぐずしてるわけにはいかないんだから、ルフィにトラブルでも起こされたらたまったもんじゃないの。・・・それにあの港にとまった船を見て」
「・・・海軍か」
「一隻だけどね。船は港から死角の岬に着けましょう。あんたの役目はサンジくんと一緒に島に降りて、これからしばらく毎日宴会やっても大丈夫なくらいの食糧を仕入れて、海軍に見つからないようにそれを運んで帰ってくること。くれぐれも喧嘩などしないように。わかった?」
「はいはい」
「はいは一回でよろしい」
魔女め。ゾロは心のなかで吐き捨てながら、朝靄に浮かび上がる島を見つめた。
土が白いのだろうか。
海岸線を抜けた場所から街へ白い道が続いている。真上にある太陽の光を反射してそこだけが浮き上がるように真っ直ぐ、行く手を示しているように見える。
道の両側には背の低い植物が茂り、ところどころに赤い花弁が線のように細い花が咲いている。遠くの村には小麦色に輝く畑の合間に、白い土壁と薄い茶褐色の屋根を持つ家がぽつりぽつりと建っている。
その道をゾロとサンジは肩を並べて歩いていた。
「俺は別に一人でも良かったんだぜ」
サンジはちらりと横を歩く男を見やりながら言う。
「不本意だよ。ナミがお前の体調が完治してねぇとかなんとかうるせぇんだ」
作品名:Luxurious bone ―前編― 作家名:nanako