1ミリグラム、メンソール
喫煙室には件の栄口主任が先にいて、ぼんやりと煙草を吸っていた。お疲れ様です、と声をかけると、相手も同じように、お疲れ様です、と返してきた。
歓迎会のときには気づかなかったが、どうやら栄口主任も煙草を吸うタイプらしい。とても意外に水谷は思った。こんな面倒くさい、かつ割に合わない趣味なんて絶対しなさそうな性格をしていた気がした。
水谷もまた、さっき自動販売機で買った煙草を開け、一本取り出すと、火をつけた。す、と息を吸った瞬間、入ってきた風味がいつもと違っていた。ものすごく不味い。とにかくもう、二度と口にしたくないほどだった。長いままの煙草をすぐさま灰皿へ押し付けると、堪えきれず、うえええ、と声が漏れた。
「だ、大丈夫?」
「は、はい……」
と答えたものの、口の中に残る不快感で笑顔など浮かべられない。
「すみません、煙草貰えますか?」
そう言うと、栄口は快く応じてくれた。早く味を上書きしてしまいたくて、水谷の動作は素早くなる。しかし、その煙草ですら自分が想像していたものと遠くかけ離れていて、反射的に咳き込んでしまった。絶え間なくこめかみのあたりを小突かれているようだった。
「これ相当きつくないですか」
「多分そうなんじゃないですかね」
動じず栄口がそう言うので、水谷は内心慄いてしまった。自分にはこの煙草を日常的に吸うことなんて、とても無理だ、と思った。
「しかも怪しいアジア料理屋みたいな匂いがする」
「フィルターを舐めると甘いんですよ」
確かにそうだった。が、お香のような不思議な香りと、重いタールのせいで、水谷の頭の中はぐらぐら揺れている。置いてあった自分の煙草を、片手でくしゃりと握り潰す。とにかくこの出来損ないはもう要らない。
その様子を見た栄口が、どうしたのかと尋ねてきたから、水谷は大体のあらすじを伝えた。
「朝にコンビニ行って、昼にも行って、しかも数十分してまた行くのって、どうかなと思ってしまって」
「ああ、確かに」
「たかが煙草一箱なのに、ものすごく損した気分」
「わかります」
「まだ読んでないジャンプをドブへ落とした感じ」
栄口が、はは、と笑った。その感じのいい笑顔は十年前と変わっていなかった。
「ていうか、敬語使わなくていいですよ」
「いやオレ、会社では誰にでも敬語なんですよ」
水谷にとって栄口は上司なわけだし、砕けた口調で接されても構わない。けれど相手の性分はそれを良しとしないらしい。
「オレの方も、水谷……さんから敬語使われると不思議な気分になりますね」
栄口の吐き出す白い煙が、排気口へするすると吸い込まれていく。水谷も同様にそんな感情を抱いている。
お互いの間には、十年という空白期間が存在している。だから距離感がうまく掴めない。小さい頃に遊んだ親戚と大人になって再会したような、ずいぶんと懐かしい気もする。土日明けの月曜に学校で会ったような、ほんのわずかな間な気もする。
ああ、でも……。と水谷は気づく。再会がこういう形でよかった、と。今こうして普通に喋れているのは、同じ会社の上司と部下という間柄だからだ。きちんと役割が決まっていて、社会人として振舞うべき態度も定まっているからこそ、動じず対峙していられるのだろう。
もし突然道端で出くわしていたら、なんとなく気まずくて、軽い挨拶を済ませたら、すぐ退散していただろう。馴れ馴れしく接することも、下世話に近況を尋ねることも微妙に思える。
作品名:1ミリグラム、メンソール 作家名:さはら