ところにより吹雪になるでしょう
阿部が大抵の授業に遅れずにかつ確実に出席しているのは、大学になっても続けている野球部で朝練があるからだった。水谷も一応誘われたけれど栄口のいないそんな部活でがんばれる自信もなく、替わりにノリで入ったチャラいサークルは一月もしないうちに行かなくなった。未だこんな自分とつきあいたいと言ってくる人がいるのは、どうもこの辺のツテかららしい。「サークルで一緒だったんだけどー」と顔も名前も知らない人から女の子を紹介されるのは結構不思議な体験だったが、慣れればただ煩わしいだけだった。そしてその彼女たちすべてと例外なく破綻しているものだから水谷の周りには悪い噂が絶えず、それに比例してこれといった友達もいない。
それですら意に介さない水谷だったが、こんな自分を真っ先に嫌いそうな阿部がいくら同じ高校のよしみとはいえ、なぜ避けたりしないのかがわからなかった。その分文句は耳が痛くなるほど言うのだが。
高校のときと比べ幾分体格の大きくなった阿部の隣でジロリと一瞥されると、水谷の身体が石になりそうになる。ちょっと前にうっかり「親父さんに似てきたんじゃね?」と言ったら、矢を射るかのごとく「死ね」とすばやい反応が返ってきたことは記憶に新しい。
普段より倍載せで苦言を言いつつも阿部は一限のノートを渡してくれた。実のところ水谷にとってはノートも講義もなおざりにしていいものだったが、なぜだか阿部は見せてくれるし、今すぐ写せと脅迫してくるので必死になってペンを動かす。一度コピーで済ますことを提案したら、勉強は書いて覚えるものだと返り討ちに説教を喰らった。
実際自暴自棄の水谷がなんとか二年生に進級できたのは阿部のノートのおかげだった。けれど今年は去年より阿部と被っている授業が少ないからまた奇跡が起こるとは限らない。
見づらいわけではないが結構癖のある字を懸命にたどる水谷にかまわず「水谷、俺と同じ演習の奴振ったろ?」なんて阿部が聞いてくるものだから、手元が狂ってシャープペンの芯が折れた。
「えー、あれはオレが振られたんだよー……」
「だったらあんな極悪人扱いされないと思うぜ」
「どんな」
「女子連中が『だから水谷なんかやめておけばよかったのに』って」
「……そりゃごもっとも」
教室内へ徐々に増えてくる人の中、阿部の声がやたらとはっきり聞こえてくるのが憎たらしい。だから何だと開き直った態度の水谷へ阿部は露骨にため息をこぼした。
「オレがあの女だったらお前のこと刺してるぞ」
「やめてよー、阿部が女とかキモチワルイ」
「ごまかすんじゃねぇよ」
「……」
「お前さ、一体何なわけ? 好きでもない奴とつきあうなよ」
オウム返しにまた「ごもっとも」と答えたら絶対殴られそうで水谷は黙り込んだ。阿部の意見はいつだって正しい。自分のことなんてもう放って置いてくれれば阿部のイライラだって少しは減ると思うのだが、そんなことを言えるほど命知らずじゃない。
「答えろよ、何で好きでもない奴とつきあうんだ?」
ノートの上を滑っていた手は止まり、水谷は隣の阿部の視線から逃げるように遠くを見ると、先週まで彼女だった女の子と目が合ってしまう。水谷が気後れするより早く、絶望を映した瞳は瞬く間もなく逸らされた。水谷はその子がこの授業を取っていたことに今気づいた。阿部と同じ演習ならおかしくないのだが、それすら知らなかった相手とよくもまあ簡単に。おそらく向こうはこの教室に度々しか現れない水谷のことを見ていたはずだ。やめておけと忠告した友達に逆らってまで自分を好きになってくれたのだが、水谷にとっては億劫の一言で片付けられてしまう出来事だった。
水谷も、寄せられた好意に応えるのがのが一番健全だとわかっているのだが、『水谷は大学行ったらモテそうだよなぁ』、『お前無駄にかっこいいから』、結局はいつもここに戻ってきてしまう。そうやって何人と同じことを繰り返したのか。
作品名:ところにより吹雪になるでしょう 作家名:さはら