永遠に失われしもの 第10章
聞こえてないかのように
下卑た声の持ち主を完全に無視して、
セバスチャンは微動だにしない。
--そろそろ、ぼっちゃんは
葬儀屋さんに会う時刻ですね。
私が帰るまで、大人しく
していてくださいね
あまり出歩いたりしないで--
もっともラウル刑事がしつこく訪問に
いらっしゃると思うので、
その暇もないかもしれませんが--
--
シエルの柔らかい髪の感触を思い出す。
ほんの少しだけ耳のところで癖のある髪。
細すぎて、手折ってしまいそうな程の首。
憂鬱な影を帯びた大きな深海の蒼い瞳。
我が身を希求する、その熱い息。
口の中に溢れる、甘やかな液体。
『誘惑を取り除く唯一つの方法は、
誘惑に屈することのみ』
--
「早くこっちに来いよ・・
待ちきれネェぜ。
アンタもその気があるから、
この檻なんだろ?
夜通し、いい声で鳴かせてやるよ・・」
壁際の男は、膝に抱えこんでいた
男娼を離すと、舌なめずりの音をわざと
鳴らせながら言った。
「怖くて独りじゃ来れないってか?」
酒にやかれたしゃがれ声が、壁際から響く
「こっちに連れて来てやれ」
どうやら、壁際の男はこの檻の
支配者らしい。手下とおぼしき、
図体がでかく、腕に刺青のある
目つき悪い男がセバスチャンに近づく。
「お断りします」
その男がセバスチャンの燕尾服に包まれた
腕を掴もうとするやいなや、
冷酷な眼差しを向け、
瞬く間に男は床に転がされ、
痛みに悶えていた。
壁の奥の男は目を見張って、しばらく
何が起こったのかわからないでいた。
それから、その男が、
さらに手下に指示を出そうとすると、
もう突然、間近までやってきた
漆黒の執事が、
その男の見開かれた眼球の前に
黒く針のように伸びた爪を
刺す寸手のところまで近づけて、
冷ややかな声で言った。
「来てあげましたよ。
ですから貴方も
大人しくしていてくださいね」
作品名:永遠に失われしもの 第10章 作家名:くろ