Luxurious bone ―後編―
早い口調で、ウソップは状況を説明した。凡その計画はゾロとも調整済み、というように。サンジはウソップから顔を背けるように上を見上げると、ぽつりと天井に向かい言葉を吐き出した。
「・・・俺を置いてけよ。航路を急がなきゃなんねぇのに、この腕じゃ足手まといになるだけだ」
ウソップは下を向いて歯を噛み締め、唸るように言う。
「サンジ、二度とそんなこと言うな」
「ああ・・・悪い」
擦れた声でサンジが謝罪の言葉を洩らす。
家の外に満ちる朝の明るい光はサンジ眠るベッドの周りまでは届かない。部屋は薄暗く、ウソップはサンジの表情をはっきりと窺うことができなかった。光を孕んで輝く髪の色も、波立つ湖の表面のような瞳も部屋の闇に沈んでいる。
ウソップの後ろに立つ男も恐らく同じ気持ちでいるのだろう。
サンジを連れて一刻も早く海に帰りたい。
ゾロとウソップはナダの家を出ると、市場へ続く人気のない道を歩き始めた。途中までウソップを送るためにゾロも肩を並べて歩を進める。二人の間に重たい空気が澱のように溜まっている。
「・・・・何だってあいつはいつもああなんだよ」
ズボンのポケットに両手を入れて、ウソップは吐き捨てるように言った。
「普段は気取って威張ってやがるくせに、肝心な時には俺らなんて全く信頼してねぇみたいにひょいと背中向けやがる・・・」
「お前、何泣いてんだよ」
ゾロは呆れた声を出す。空中を睨みつけるようにして歩く狙撃手の目と鼻が確かに赤くなっている。
「泣いてねぇっ。勇敢な海の戦士が他人様に涙なんかみせるかってんだ。俺ァ情けないだけさ。あいつにとって仲間って何なんだよ。俺らってそんなに頼りないか?尽くして喜ばせるだけが愛じゃねぇだろ。たまには目一杯俺らに甘えてもいいじゃねぇか」
情けなくぐすりと鼻を鳴らしたウソップは、それでも「愛」などという言葉を容易く使ってゾロをひどく驚かせる。
言葉にすれば、単純なものなのかもしれない。サンジがゾロを庇ったり、ゾロがサンジを死なせたくないと必死になることもウソップに言わせればそういうことなのかもしれない。理屈で考えても理解できない。考える前に体が勝手に動いた。サンジを抱きしめて、この呼吸を止めないためなら何でもすると強く思った。
「コックだってお前のことを信頼してないわけじゃねぇさ。あいつはあんな言い方しかできねぇだけだ」
「わかってはいるさ。でもやっぱり俺はあいつが好きだから、ああいう言い方されると寂しいんだ。畜生、何の告白タイムだよ、これ。ああ情けねぇ。情けなくて泣けてくるぜ」
自嘲気味に笑ってまたウソップは鼻を啜る。道が2つに別れたところまで、二人は無言で歩く。
ふわりと緩い風が吹いて、ゾロの被る布を揺らした。異国の糸で織られた布を着て、異国の空気を吸いながら歩いていると様々な記憶や感情が混乱する。そしてその中にふと存在する確かな予感にゾロは耳を澄ます。時間にすればまだ僅かな間、サンジと同じ船に乗ってから、彼が見せた様々な表情。
キッチンで料理をするサンジの後姿、雨に濡れたサンジの髪の毛、掌で甲板に吹く風を庇いながら煙草に火を点ける横顔のシルエット。ふと洩らす幼い笑顔、気を緩めてくしゃみや欠伸をするとき、寝不足の赤い目を手で擦りながらハンモックに潜りこんで、金髪だけを毛布から覗かせて寝息を立てるとき・・・無意識に見せるサンジの仕草こそ胸が詰まるほどで、ゾロは目を逸らすことができなかった。
隣で目に涙を溜めているウソップと同じようにゾロもそんなサンジの姿を共有してきた。サンジと過ごす日々が当たり前になればなるほど、その存在が無性に腹立たしくて、そして無性に愛しかった。
ああ、これが傍にいるってことなのか。
とゾロは突然、理解した。見知らぬ島の名もない道を歩きながら、できるならあの男を慈しみたいという感情は唐突に訪れた。いつも精一杯虚勢を張るくせに、その足元は驚くほど脆い。だから、手を伸ばして支えたくなる。怪我を負った仲間の傷口を舐めて癒そうとする動物みたいに、本能がそれを求めているようだった。
赤く染まった鼻の先を指で擦りつつ、市場へ向かってとぼとぼと歩くウソップの背中をゾロは複雑な気持ちで見送った。
ゾロがナダの家に戻り扉を開けると、台所に立ったナダは忙しく料理をしている最中だった。薪で火を炊く旧式のコンロの前に椅子を置き、その上に爪先立って鍋を覗き込んでいる。
「お粥を作っているの。でもサンジってコックさんなんだよね。私のつくったものなんか口に合わないかしら」
「そんなことねぇさ。取りあえず何か食わせないと、夜明け前にもここを出なきゃならねぇしな。何か精のつく物、作ってやってくれよ」
「・・・やっぱり、もう行っちゃうのね」
「ああ」
「海賊だから?」
「ああ、海賊だからな」
二人で顔を見合わせてにこりと笑う。
「剣士さんのぶんも作るわ」
「おう、ありがてぇ」
「・・・やっぱりぴったりね、父さんの服」
ナダはそう静かに呟いて前を向くと、火力を調節するために屈みこんだ。
昨夜ゾロとサンジをこの家に導いたナダは、驚く母親を説得してサンジの応急処置をさせ、サンジの肩から大量に流れる血液に顔色ひとつ変えずにその作業を手伝った。
舌を噛み切らないように布を口に押し込んだサンジをゾロが抑えつけて、母親が火で炙ったナイフでサンジの傷を抉り、体の中の弾を取り出した。海軍に追われている事情を話したとき母親は戸惑いの表情を見せたが、ナダは怯まなかった。サンジが自分の足で出て行くことができるまでは匿うと強い口調で約束してくれた。
ナダは年齢以上にずっと大人びている。父親がいないことで随分と寂しい思いをしているのに一言も弱音を吐かず、その寂しさをほとんど見せることがないのだと母親は語っていた。しかし泣き腫らした目をして朝起きてくる姿を見たりすると胸が痛むのだと言う。 ナダの孤独な気持ちがサンジの感情と心の深い部分で共鳴したのかもしれない、とゾロは思う。
ゾロがサンジの眠る客間へと入っていくと、ベッドの中のサンジは扉の音に反応してゾロの方に顔を向けた。薬のせいかぼんやりとした瞳のサンジはまだ半分眠りの世界を漂っているよ うだ。
「ゾロ・・・」
小さく口を開いてサンジは確認するように呼びかける。
「どうした・・・もう少し眠ってろ」
穏やかな口調でそう答えると、ゾロはベッドサイドに立ち、こくりと頷いて再び瞼を伏せるサンジを見下ろした。汗に濡れた前髪がぺたりと額に張り付いている。ゾロは右手を伸ばしてその髪を撫でるように整えてやる。サンジの頭はゾロの右手にすっぽりと納まりそうなほど小さく、熱のせいで頬と唇が赤く色づいている。ゾロがそのまま頭を撫で続けていると、サンジは心地よい寝息をたて始めた。
「サンジ、眠ってる?」
部屋を覗き込んでナダが尋ねる。
「ああ」
「じゃあ、食事は起きてからがいいわね。剣士さんは今、食べる?」
作品名:Luxurious bone ―後編― 作家名:nanako