Luxurious bone ―後編―
頷いてゾロは客間を出た。台所のテーブルの上にはナダが作ったらしいリゾットとスープが並べられている。ゾロはテーブルに座り、それを黙って食べはじめた。リゾットもスープも口にしたことのない調味料の香りがしたが、素朴なその味は素直に美味いと思えた。
白い土壁でできたナダの家は、部屋の中の暖を吸収して逃さない構造になっている。小さなキッチンと客間、2つの寝室がある家で母と娘は身を寄せ合い、慎ましくも暖かい生活を送ってきたようだ。父親がいた頃の幸福な記憶が母娘の生きる糧になっているのかもしれない。トマトときのこのたくさん入ったリゾットの味を噛み締めていると、それが素直にゾロの心にも伝わってくるような気がした。
サンジの体温を測ったり、額のタオルを替えたりするために忙しそうに動き回っていたがナダが一段落ついて腰を下ろしたのを見計って、ゾロは声を掛けた。
「そういや、聞きたいことがあるんだけどよ」
「なあに?」
「あいつが女神みたいだって、お前言ってただろ」
「サンジが?うん、言ったわ」
「そのあいつに似た女神とやらが出てくる話ってのはどんな話なんだ?」
「ふふふ、聞きたい?」
「ああ、聞きてぇな」
ゾロの言葉にナダは頷く。
「あのね、それはこの島に昔から伝わるお話なの・・・」
そして、利発そうな瞳を数回瞬かせると少女は穏やかな口調で話し始めた。
「・・・昔この島に疫病が流行ってたくさんの人が死んで、島が滅びそうになったことがあったの。お年寄りも若者も子どもたちも男も女もどんどんその病に感染してどんどん死んでいったのに、治す方法はなかなか見つからなかった。ある者は薬草を煎じて飲ませたり、ある者は神様に祈ったり、ある者は生贄を捧げたりしたけど恐ろしい疫病の勢いは止められなかった。・・・そしてある日、島に一人の女の人がやってきたそうよ。金色の髪の毛をして青い目をしたそれはそれは綺麗な女の人。そしてその女の人がこの病を治すために私の骨を煎じて飲んで下さいって言ったの。始めは誰も笑って信じなかった。そんなことをしたらあんたが死んでしまうよって止めた人もいた。でも女の人は自分の体からあばら骨を一本取り出してそれを砕いて病気の少年に飲ませたの。そしたら見る見るうちに少年は元気になっちゃったの。それを見て皆、喜ぶやら驚くやらで、その骨を島中の病人に飲ませたらみんな病が治ってしまったそうよ。でもね、その女の人はその後すぐ死んでしまった。・・・島民はとても悲しんで彼女の遺体を囲んで泣いたわ、自分の命を犠牲にして島を救ってくれた人だって。そしてその時不思議なことに、ぱあって空が明るくなったかと思うと一筋の光が女の人を包んで、遺体は天に召されていった。それでね、島の人たちは口々にあの女の人は女神様だったに違いないって話して、残された彼女の骨を大事に箱にしまって、村の教会に祭ったの」
「・・・本当にあった話なのか、それは」
ゾロが尋ねると、
「さぁわからない」
ナダは首を傾げ、
「でも不思議だけれど、素敵なお話でしょ」
と嬉しそうに笑った。
ゾロは病人に自分の骨を与えたという女の姿を思い浮かべようとしてみたが、乏しい想像力をどんなに駆使してみても漠然とした女の輪郭が浮かぶだけだった。
しかし自分の命が尽きるとき、女は微笑んでいたに違いないとゾロは思った。ゾロの身代わりに銃弾を受け、彼の腕の中で意識を失った昨日のサンジのように。
ゾロが寝息を立てている。
サンジはクッション代わりにした枕に背を預けてベッドに起き上がり、ナダが運んでくれたミルク粥を食べていた。あまり食欲がない、と小さな声で訴えてみたが眉を顰めたゾロに一瞥されて仕方なく食べ始めたのだ。
一口一口確かめるようにスプーンを口に運ぶと、喉元から入った熱い液体が食道を通り内臓に達する音が感じられる気がする。少しずつ全身に血液が回り、体が正常なリズムを取り戻す様子がわかる。
麻酔は殆ど切れている時間帯だったが、肩の痛みも思ったほどひどくはならなかった。そう告げるとベッドの横に座るナダが顔を綻ばして喜んでくれたことがサンジの体と心をいっそう暖めた。
「剣士さん、寝ちゃったわね」
ナダは壁に凭れて眠るゾロにそっと毛布を掛けて再び椅子に腰掛ける。
「昨日、サンジをここに運んできてから今まで一睡もしていなかったのよ。ずっとサンジの傍から離れなくてすごく怖い顔しておでこに青筋なんか立てちゃって、じーってサンジのこと見てるの。サンジのことすごく怒ってるけど心配で堪らないみたいな感じがありありと伝わってきて、私、不謹慎と思いつつも笑っちゃったわ・・・剣士さんはサンジのこととても大切な仲間だと思っているのね」
「・・・どうかな。俺とゾロってあまり普段話すことがないから。喧嘩はよくするけど。どっちかっていうとゾロは俺のこと苦手であまり近づきたくないんじゃないかな」
「どうして?」
「さぁ、どうしてだろ。自分の人生に何の関わりもない奴だと思ってるのかもね」
「サンジは?サンジは剣士さんのことどう思っているの?」
「俺は・・・」
少女の率直な問いに、サンジは戸惑うように右手に持ったスプーンを置くと、唇を噛み締める。
「俺はパブロフの犬だから」
「パブロフの犬?」
「そう。条件付けられた犬がベルの音を聞くと餌が貰えると思って唾液を零すっていうやつ・・・」
「ベルの音が剣士さんってこと?」
「例えばの話だよ。でもあいつとの出会いがあまりにも強烈だったから、俺は妙に臆病になっちゃったのかもしれないな。その日からずっと立ち竦んだまま動けずにいるのかもしれない」
「私にはよくわからないけど・・・」
ナダは細い足を椅子の上で抱えて、その上に丸い顎を置いた姿勢でしばらく考え込んだ。
「でもね、母さんがサンジの応急処置を終えて、もう大丈夫よって告げたとき、剣士さん、目を閉じてハアって深い溜息を吐いたの。サンジが助かったことでまるで自分が救われたみたいに、本当に安らかな顔だったわ。私にはそう見えた。」
ゾロは意外に長い睫を伏せて、腕を組んだ姿勢でぐうぐう眠っている。その規則正しい寝息が部屋の空気に溶けている。ゾロの眠りはいつも力強く揺るぎがないように集中していて羨ましい気さえする。本能のまま眠って本能のまま目覚める。そうできたらどんなに、といつもサンジは思う。
「サンジは何故、海賊になったの?」
ナダは首を傾げるようにして尋ねる。
「夢があったからね。子どもの頃からの夢。ずっと忘れてたんだけど、忘れたふりをしていたたけなんだってことに、ある日ある男のせいで気づかされたんだ」
「剣士さんに?」
頷いたサンジにナダはゆっくりと微笑んだ。子どもと大人の境界線にいる者だけが持つ淡く哀愁のある笑顔。
「私もね、いつか海に出たいの」
そして力強く彼女は語り始める。
「私、航海士になりたいの。航海士になって世界中の海を見て回りたい。人間の生き死にや自然の大きさ、命の美しさと脆さみたいなもの、世界にある何もかもこの目で見たいの」
「素敵な夢だね」
作品名:Luxurious bone ―後編― 作家名:nanako