Luxurious bone ―後編―
「うん。でもね、この島では女が海に出るなんてとんでもないことだって思われてる。母さんもお婆ちゃんも反対してるわ。でも私、負けない。きっと世界一の航海士になってみせるわ」
「俺の船の航海士も女性だよ」
「ほんとに!?」
乗り出すようにしてナダはサンジ座るベッドに手を置く。
「ああ、とても優秀で勇敢な最高の航海士さ。だからナダもきっとなれるよ」
「ありがとう。まだ気象学とか海図とかの本を読み始めたばかりなんだけど、私、がんばるね。サンジと話していたら、何かなれそうな気がしてきた。父さんもきっと賛成してくれるわ」
「そうだね。・・・いつかまた、海で会おうよ」
ナダは「約束よ」とその小さな手を伸ばして、サンジと指きりをした。
窓の外にはすっかり夜が訪れている。しかし部屋のなかは暖かく、ランプの炎に照らされた少女の顔が光っている。遠く水平線に昇る太陽を眺めているような、優しく心地よい気分をサンジは久しぶりに味わう気がした。
夜明けの一時間前、最も夜の闇が深くなる時間にナダの家を出発した。
雲間から覗く月明かりが薄っすらと差している。ごうごうと強い風が吹き、森の木々を揺らす音が響く。指の先まで夜の冷気が染みてきそうなほど寒い夜だった。
門前に見送りに出てきてくれたナダとナダの母親に別れを告げた。
「神様のご加護がありますように」
母親はまるで自分の子どもを見るような優しい目をしてそう言うと、サンジの頭に鮮やかな藍色の布を掛けてくれた。
「サンジ、今度会ったときはサンジの料理を食べさせてね」
ナダが笑顔で言った。
「ああ、約束するよ」
サンジはそっとナダの肩に触れる。
「キスさせて」
とナダは腕を伸ばしてサンジの首に抱きつくと、サンジの頬にそっと柔らかい唇を触れさせた。
「剣士さんもお元気で」
「ああ、世話になったな」
名残惜しさは胸を締め付けるほどだったが、サンジはゾロに続いて道を歩き始めた。しばらく行ったところで後ろを向くと、ナダがちぎれるほど大きく腕を振っているのが見えた。ナダの影が闇に沈むまで、サンジはその姿を刻み付けるように何度も何度も振り返りながら前に進んだ。
きっとまた会える。
その確信がはっきりとサンジの胸に満ちて消えなかった。
海は無垢で孤独な魂を呼ぶ。呼び寄せられた者は広大な海原に冒険という名の船を漕ぐ。そしてその星の元に生まれた者たちはお互いに引きつけられ、出会ってしまう。それはとても哀しく、とても幸福なことだ。まるで髪についていつまでも消えない潮の香りのように。まるで運命のように。
南の浜でウソップ達と落ち合った。
浜に止めた小さな木製のボートの中で待っていたウソップとルフィの後ろにゾロとサンジが乗り込むと、ボートは穏やかな満ち潮の波の中を進み始めた。
「サンジ~、ほんと無事で良かったぜ」
無邪気な笑顔で、ルフィはサンジの体に両腕を巻きつける。ゾロとウソップはオールを持ってボートを漕ぎながら、そんな二人を嬉しそうに眺めた。
「お前、顔が泥だらけじゃねぇか。服も真っ黒だし。おい、怪我もしてんじゃねぇか。大丈夫なのか?」
サンジがルフィの顔についた泥を親指で拭ってやると、ルフィはまた嬉しそうに笑う。
「いやぁ、ちょっと調子にのって暴れすぎちまった」
「暴れすぎってもんじゃねぇぜ。島中大騒ぎでこのボート手に入れるのがどんなに大変だったか・・・」
ウソップの語り始めた苦労話をゾロが遮る。
「おい、もっとましなボートなかったのかよ。これどう見ても定員オーバーだろ。全然進まねぇじゃねぇか」
「あァ!?てめぇ、この俺の血の滲むほどの苦労を一言で片付けんなっ!このボート一艘手に入れるので精一杯だったんだよ。てか、てめぇの無駄な筋肉が重量オーバーなんだよ。文句あるなら降りやがれ!泳いで船まで行け!」
「そう言うてめぇが降りろ」
「ああ、神様。この身の程知らずのマリモをお許し下さい。アーメン。迷わずてめぇが降りろ、この海藻頭!潔く海に戻れ!誰も止めねぇから。止めるわけねぇから」
いつも通りのやり取りも、再び顔を合わせ船へ戻ることの喜びが滲んでいる。4人とも口元に溢れる笑みを堪えることができないでいる。
増してゆく月明かりが美しく、空に瞬く幾億もの星が視界を滲ませるほど輝いていた。遠ざかる島影を薄っすらと縁取る灯と遠く東の水平線に潜む夜明けの予感が完璧な調和を保っていた。
4人の口元から零れる白い息と震えるほどの寒さに、サンジは体に巻いた藍色の布でルフィの冷えた体を包んでやりながら、じんと暖かい感情が体を巡るのを感じていた。
その時だった。
背後の島で轟音がしたかと思うと、ぱっと空が明るく染まった。
驚いてサンジが振り返ると、島に聳える山の頂上から閃光のような光の矢が次々と昇り、夜の空を明るく照らしていた。
「やった!」
とウソップがガッツポースで叫ぶ。
「作戦成功。名付けて夜空に舞う光のファンタジー海軍陽動作戦の巻!」
「なんだ、あれ?」
開いた口が塞がらず、サンジは問い掛ける。そうしている間にも後から後から光は舞い上がり、闇を染めている。
「照明弾を山に100発ほど仕掛けてみました。特大花火も一発。この俺がこんなしょぼいボート手に入れるくらいで終わるかってんだ。これで海軍は誰もいない山に総攻撃でもかけるんじゃねぇ?麦藁海賊団はそのうちに洋々とトンズラってわけ・・・」
ウソップが言い終わらないうちに、パンっと山の頂きから昇った火の玉が空の高みで弾け、空一面を覆うほど巨大な火花が花開いた。もの凄い音を響かせて、一瞬昼間になったかと思うほど明るい光が世界を照らす。
「すげぇ!!」
とルフィが飛び上がり、4人の歓声がボートを揺らした。
雨のように島と海に次々と降り注ぐ花火の残光に照らされ、サンジの横顔が透かし模様のように彩られている。
止らない歓声の中で飽きずにいつまでも、ゾロはそれを眺めていた。
* * *
ナミはパラソルの下、白いデッキチェアに座り雑誌を読んでいる。
晴れた午後の空は薄い雲に覆われていて、一羽の海鳥が弧を描いて舞うように飛んでいる。テーブルに置いた小さなトランジスタラジオから途切れ途切れに聞こえるピアノの音が耳に心地よく、ナミは瞼を閉じる。瞼に淡く日の光が差すのがわかる。
ウソップの作戦が効して、海軍の攻撃を受けることもなく外洋に乗り出したゴーイングメリー号は、穏やかな海域を真っ直ぐに進んでいる。ボートに乗ったメンバーが合流した後、猛スピードで北北西に航路を取った船は、海軍基地がある島の点在する海域を何事もなく抜けることができた。そして昨夜、季節外れの花火大会とサンジとゾロの帰還を祝って、甲板の宴は深夜まで続いた。
酔いつぶれるまま眠りについたクルーたちはようやく昼前にキッチンに揃い、先程、ウソップとビビが作った昼食を食べ終えたところだった。サンジは船室のソファでまだ静養中である。
作品名:Luxurious bone ―後編― 作家名:nanako