骨に刻んだ約束の証
当面は地元に帰らなくなる3度目の池袋、駅の中央改札口で、帝人は幼馴染を待っていた。相変わらず人が多かったが3日もすれば己もこの雑踏の一部になるのだろうと思うと大した感慨も無く、それよりも彼の思考を占めるのはこれから住む住居の事だ。誰がどう見ても荒家である。学費以外の全てを自己負担という条件で両親を説得したので家賃も安く済ませようとするのは当然だが、如何せん襤褸過ぎる。セルティが知れば家賃は要らないから家に来いと迫られ拉致されるか、問答無用で転居させられるだろう程の襤褸だ。故に彼女に知られる事だけは避けたい。非日常と同居と思えば心躍るが、その内容を考えれば頭が痛む。家庭内暴力系夫婦漫才に終日付き合わされるのも嫌だがそれに慣れてしまうのは更に恐ろしい。常識から乖離してしまわない為にも隠し通さねばならない、とこの件に関しては数える事を止めた溜息を吐いたところで声を掛けられた。
「■■■■■■■■■」
名を呼ばれた、即ち待ち人が来たのだと其方を見れば、しかし期待していた待ち人ではなく、眼鏡を掛けた見覚えの無い少女がいる。
「逢いたかったわ■■■■■■■■■いえ今は竜ヶ峰帝人というのよね」
ここで初めて帝人は呼ばれた名が己の名と一致していない事に気付く。そして何故にその名を己のそれとして反応したのかと考えて、未だに信じてはいない結論に至る。
「初めましてと言うべきかしら貴方は私を覚えてないものね寂しいけれど初めまして竜ヶ峰帝人」
少女は語りながら帝人へと近付いてくる。
「ああ随分と待ったわ待ってたのよ貴方に貴女に再び逢える日を約束が果たされるのを」
ゾワリ、と背筋を這い上がる悪寒に1歩退くが柱に背が当たり後がない事を知った。咄嗟にポケットの携帯電話を操作する。着信履歴から幼馴染へ、周囲のざわめきと少女の言葉に混じり僅か聞こえてくる呼出音が酷く長く感じられる。
「今生こそ愛を交わしましょう!」
もしもし、とやや軽い声で応えがあったのと、少女の瞳の赤を見て帝人が動いたのと、鈍く輝く玉鋼が彼の腰骨のすぐ横に突き刺さったのとは凡そ同時だった。バリン、と柱に取り付けられた広告板の電灯が割れる音に何人かが此方へと視線をやり、音が伝わったらしい電話の向こうにいる幼馴染は声色を変えていた。
『帝人!? オイ、帝人!!』
「ごめん! 無事だったらまた連絡するから!」
電話を耳に押し当てながら人を避けて走り出す。通話は切ったが電話は握り締めた儘で地上を目指す。悲鳴が聞こえた気もしたが振り返る余裕など無く、走りながら考える。逃げる当てとして先ずこれから住むアパートが浮かぶが即座に却下する、居所を知られるのは非常に拙い。しかし帝人は池袋に明るくない、幼馴染に要所だけでも案内して貰う予定だったが本日はそれも出来そうになく、逃げ切らなければ明日以降もどうなるか分かったものではない。言い知れぬ恐怖と、それでも非日常に巻き込まれている歓喜で綯交ぜになった表情を浮かべながら帝人は再び通話ボタンを押した。
「もしもし、セルティさん?」
彼の挨拶に首の無い、声の無い彼女は電子音で返してくる。
「今、池袋駅にいて東口から外へ出たんですけど、追われてます」
帝人は己の悪癖を放置しているが怠慢でも愚鈍でもない、寧ろ非日常に遭遇した際の対応は迅速で適切だ。今回とて何の対策も練らずに危険地帯に越して来ようなどという無謀はやらかしていない。
「ええ、目が赤く光ってたので間違いないと思います」
己を狙っているらしい異形についてはセルティから聞いた情報を元に調べられる範囲で調べ直し、有事の際に文章ではどうしても空白の間が出来るのでセルティと会話や通話をする為に手話と電信符号を覚え、また彼女にも叩き込んだ。後は護身術でも学んでおけば良かったのかも知れないが、短期間での付焼刃でどうにかなる相手ではないとセルティに断言され、運動が得意ではない彼はさっさと諦めた。
「何処で知られたのかは分かりませんけど、池袋駅で待ち伏せしてたみたいです」
諦めて調べ物と会話手段の獲得に勤しんだ結果、走りながら符合を復号しての会話、という器用な事をやってのけている。取捨選択の効果はあった、が、如何せんどうにもならない現実がある。
「正直、10分が限界だと思います」
帝人は運動が得意ではない、壊滅的とまではいかないがどう足掻いても平均をやや下回る。不慣れな池袋で地の利も相手にあり、要するにそう長く逃げ続ける事は不可能だ。
「それまでに回収して下さい、お願いします」
了解の符号を聞き届け、後はGPS頼み、と帝人は通信を切った。