骨に刻んだ約束の証
10分が限界と言うのはそれより前に疲労が来る事を暗に示している。移動せず何処か一箇所に身を潜めているという手段がないわけでもなく、その方がセルティも回収し易いのは理解していた。それでも帝人は移動し続けているし、相手もその選択を理解してくれている筈だ。
罪歌は女性の妖刀で人間を愛し、斬る事で支配する性質を持つらしい。誰が既に斬られているかなど分からないのだが通行人の全てを疑っていては限がない、故に人のいない方へ走り続けるしかない。帝人は人気の無い方へと直走る。しかしそれが仇となった。
「2人きりね竜ヶ峰帝人」
路地裏へ入り込んだのは良いのだが、見知らぬ道に右往左往している間に背後から声が掛かる。瞳を真紅に染めた少女と逃げ場の少ない路地裏で、彼女が言う様に2人きり。
「この娘はとても足が速いの鬼ごっこは得意なのよねえ竜ヶ峰帝人は鬼ごっこは好き?」
手にした儘の携帯電話を見やれば、やはり10分も経っていない。それでも時間は稼ぎたい。俊足の相手から逃走を図るなど無謀でしかなく会話するしかない様だが、持ち主の意識を乗っ取る妖刀に会話する気概はあるのだろうか。
「……罪歌さんは、鬼ごっこ、好きですか?」
呼吸を整えつつ、駄目で元々、と話しかけてみる。罪歌は、否、彼女に操られている少女はパチリ、と瞬いて満面の笑みを浮かべた。
「私に話し掛けてくれるのね嬉しいわ殆どの人は叫ぶか逃げるかで話し掛けてくれないの竜ヶ峰帝人は優しいのね■■■■■■■■■と同じだわ」
帝人は今の今まで逃げていた訳わけだがそれは当然の如く言わずにおく、逆上されてはかなわない。
「鬼ごっこは別に好きじゃないわでも追い掛けるのは慣れてるの誰も彼も逃げてしまうのよ追い掛けるしかないじゃない」
合点がいった。そういう事ならもっと短時間での回収を要請するか、いっそ幼馴染ではなくセルティと待ち合わせすべきだった。前者は悔いても後の祭、後者は待ち伏せされる予定ではなかったのでどうしようもない。
「鬼ごっこなんかよりも人間が好きよ人間が一番に好きよ愛してるわ血も肉も臓も骨の髄まで余すところ無く愛してるの個人じゃないの全ての人を人間という種を人類を愛してるのよ愛したいの」
帝人が考えている間にも罪歌は少女に喋らせ続けている。
「特に強い人が好きよ美しい人が好きだわ強さはそれだけで美しさになるし美しさは強さの証だもの美しく強い人が大好きよ」
「それは僕に当て嵌まりませんね」
彼女の語る好みに己が該当しない、と帝人は自己判断した。それを認めるのはやや悔しいが彼女が己への執着を無くしてくれれば結果として問題は無い。
「いいえ」
しかしキッパリと否定された。
彼女は帝人に歩み寄り、眼鏡の奥にある少女の瞳から彼のそれを覗き込む。短い時間だったが確かに彼女は言葉を切った。
「確かに貴方の身体は強くないかも知れない弱いかも知れない走るのも早くはないわね身長も少し低いみたいだし顔も年より下に見えるんじゃないかしら肉付きも悪そうね皮膚の下は骨?」
敢えての空白の後に言う事がそれか、と気にしていないわけではない外面の特徴を列挙されて乾いた笑いが零れる。それならば何故に己を此処まで追い掛けてきたのか問うてみたくなったがその間は無く続きが語られる。
「それでもその眼球がこの上なく綺麗だと美しいと思うのよ好きだわ宝石よりずっと輝いて見えるもの宝石に興味はないから価値なんてどうでも良いけど貴方の眼球の価値なら誰より何より知ってるわ」
他を貶めた上で眼球を絶賛された。
「……こんな黒い目、珍しくもないでしょう」
「輝きが違うわ■■■■■■■■■もそうだったけど奪い合いになるくらい綺麗よ首から上を持って行ったあの死神が妬ましいわ」
死神とはセルティだろうかと考えつつ外見を褒められた事の無い帝人は、相手が妖刀という非日常だという事も相俟ってほんのりと頬を染める。好ましい相手から良く言われて嬉しくない筈が無い。ただ奪い合われても嬉しくないので曖昧な笑みで話を濁す。
「僕は、罪歌さんの目の方が綺麗だと思いますよ」
言葉に嘘は無い、真紅に輝く目は純粋に綺麗だと感じるし、何より帝人が愛する非日常だ。好かない由が無い。ただ彼ですら把握していない非日常なら無節操に愛せるという気質を罪歌は知らない、故にその言葉は罪歌が帝人に言った賞賛と同じ意味合いで受け取られてしまったらしい。
「嬉しいわ竜ヶ峰帝人」
罪歌は歓喜に少女の身体を震わせる。
「この眼球はこの娘のものだけど私が使っている間はこの色は私のものよね私を褒めてくれてるのよね私を愛してくれてるのよね」
帝人が己の誤りを悟るも遅い。
「嬉しいわ相思相愛ね竜ヶ峰帝人ああ貴方を抱き締めたいけどこの腕は私のものじゃないのこの身体は私じゃないの」
罪歌は左掌から刀を引き摺り出し、
「私が貴方と愛し合いたいのに!」
帝人へと振り下ろした。